天下の大慶
・天文六年(1537年) 八月 山城国 京 近衛邸 六角定頼
近衛屋敷の一室では、屋敷の主である近衛稙家と将軍義晴を上座に据えて異例の評定が行われている。
参加者は六角家から俺と進藤、細川家から細川晴元と三好政長、そして内談衆の六名。
それだけでなく、公家衆からは山科言継、飛鳥井雅綱、二条尹房、三条公頼、葉室頼房、広橋兼秀などが顔を揃えている。山科と飛鳥井は俺や朽木との婚姻関係も持っていて、京に居残る『近衛派閥』の公家だが、二条と三条、それに葉室は本来近衛と対立する堺方のいわゆる『三条派閥』の公家だ。広橋に至っては周防の大内義隆の元に身を寄せていたのを呼び戻した。
これだけの面子に集合を掛けたのにはもちろん理由がある。
「皆々、ご苦労でおじゃるな。では、御大典の次第の確認を始めようか」
近衛の宣言と共に山科が京の絵図面を広げて式典の段取りを説明し始める。議題は、再来月に迫った帝の即位式についてだ。
山科言継の頑張りが実を結び、山科楽市は京と勢力を二分するほどの活況を呈する市へと成長した。当然ながら、市が活況を呈するということはその場所での取引高が増える。
山科楽市でも京と同じように大福帳式の利銭計算による納税を認めているから、取引高が増えれば税収入も加速度的に増えるようになった。山科楽市は供御人達が中心になって取りまとめていて、領主である山科言継には税収の五割を渡す契約にしてある。京の税収のうち朝廷に支払われるのは二割となっているから、山科楽市が賑わえば賑わうほど山科家、引いては朝廷の財源が潤うという仕組みだ。
そして、今年の初め頃に帝の即位式を行えるだけの蓄えを作るに至った。と言っても、俺を含めた各地の大名からの献金も合わせてのことだが、それでも話を聞いた帝は涙を流して喜ばれたらしい。
この財源は商業政策の中から山科言継が独自に作り上げた財源だ。
つまり、武士の一存で横領される心配が無い。山科言継が各地に出向いて伝手を作ったからこそ実現できた税収なのだから、仮に誰かが山科郷を横領したとしても肝心の山科楽市に品物が入らなくなり、税収そのものが消え去るという代物だ。
これが長く朝廷の財源として確保できるようになれば、今上帝や先帝のように『費用不足で即位式が行えない』という事態を続けなくて済むようになる。帝が喜ぶのも当然だろう。
公家の身で地下人と共に商いに精を出す言継のことを陰で小馬鹿にしていた公家衆も、さすがに即位式の費用を用意したとなればその功績を認めざるを得ない。
帝直々の御下命によって山科言継は従二位に叙され、合わせて権大納言に任じられた。羽林家の山科家としては最高位と言っていい官位だ。参議から中納言をすっ飛ばしての任官というところに、帝がどれほど言継の業績を高く評価しているかが窺い知れるだろう。
ちなみに、俺もそれに合わせて従三位に昇叙された。参議は本来公卿の官位であり、三位以上の者が任じられるのが普通だ。正四位参議というのは異例の措置として任じてもらっていた。
何故かと言うと、将軍である足利義晴も位階は従三位だからだ。
義晴の官位は従三位権大納言であり、従三位参議よりも格上にはなる。でも、一応俺は将軍を支える守護なんだから、余計な軋轢を生まない為に敢えて一段低い正四位のまま参議に任じてもらっていた。
だが、『いい加減ちゃんと三位の位階にも昇れ』と近衛稙家に言われてやむなく従三位への昇叙を受けた。
家臣たちは喜んでいたが、俺は不安の方が大きいよ。
「陰陽頭の土御門卿の占卜により、即位の礼は十月二十日と致します。即位の一月後、十一月の二の卯の日、即ち二十日に大嘗会を行うことと致します」
一同が頷く。勿論、陰陽頭の決めた日取りに文句はない。
「では、まず即位礼のお役目ですが、まず二条准后様には
「うむ。先帝陛下にも麿が伝授いたした。此度も務めることは名誉でおじゃる」
即位灌頂とは即位式に当たって帝が大日如来の印相を結ぶことにより、自身を大日如来と一体化する、つまり現人神と成ることを示す密教儀式だ。
これを帝に伝授するのは二条家の者と決められている。
「次に内弁(会場内部責任者)は三条様にお願い申しまする。三条様には臨時に左大臣の官位が下されます」
「相分かった。儀式の後には官位を辞する故、ご案じなさいますな」
三条公頼の言葉に近衛稙家が一瞬微妙な顔をする。政敵である三条実香の息子だからな。無理もない。
だが、今回の即位式に当たっては公家衆は派閥を超えて協力しあうことで合意した。帝あっての公家だという近衛の言葉により実現したらしい。普段のいがみ合いはともかく、国家の大事には協力しようという態度には好感が持てる。
「麿と飛鳥井卿、葉室卿、広橋卿は外弁(会場外部責任者)となりまする」
名を呼ばれた者達が無言で頷く。
「次に武家のお役目です。
まず、即位の礼並びに大嘗会の期間は京洛の警備を近江宰相殿にお願い申しまする」
「承りました」
「細川右京大夫殿には管領としてそれまでの間畿内の静謐を保って頂きたい。いや、それまでと言わず、その後においても天下静謐を実現為されたならば主上に対してこの上ない貢献となりましょう」
「無論のこと、天下静謐のことはお任せ下され」
「内談衆には諸国に触れを回し、天下の慶事ゆえに戦は控えるようにと各地の守護や地頭へご通達下され」
「承知いたしました」
俺の役目は京洛を警備して万に一つも即位式を台無しにしないようにということだ。まあ、当たり前っちゃ当たり前だな。戦の最中に即位式なんてやっていられない。
即位の礼は一般民衆にも禁裏が開放されて見物が許されるから、なおさら不逞の輩が騒動を起こさないように警備は厳しく行わないとな。
内談衆には義晴の名を持って各国の大名や国人領主に戦を止めるよう要請させる。
これに関しては強制力の無いお願いベースというやつだ。とりあえず畿内さえ静謐ならば即位の礼を行うのに不都合はない。が、だからと言って地方では好き勝手しててもいいってわけでもない。
この期間に戦を仕掛けた者は帝の即位を
尾張でも守山城を奪還したという報せがあったから、当面それ以上戦を仕掛けないように厳しく申し渡しておこう。
そして、細川晴元にはその間畿内の戦を止めさせろということだ。畿内の武家を取りまとめる管領としては真っ当な役割だが、果たして細川晴元にそこまでの器量があるかどうか……。
今回初めて顔を合わせたが、こりゃあ体がデカくなっただけのただのガキだな。性格がまんま顔に出ている。コイツが大将じゃあ畿内が治まらないのも無理はない。
帝としてはこれを機に天下静謐を実現したいと考えているんだろうが、今の畿内はまだ強力な政権が確立できていない。細川晴元政権は茨木長隆と三好政長の協力によって運営されているが、摂津国人衆はこの茨木長隆の動きを面白く思っていない。
茨木長隆は京の権門と対立したくない余りに荘園制への復帰を目指して国衆による荘園の横領を次々に停止させているが、それが時代にそぐわない復古主義であることは明らかだ。戦によって勝ち取った領地を何の補償も無く返還しろと言われれば、そりゃあ父祖の代から血を流して来た国人衆にすれば面白いわけはない。
三好元長という阿波からの脅威に対抗するために摂津国人衆は茨木長隆を自分たちの代理人として細川晴元の側に送り込んだが、よりにもよってその茨木長隆が自分たちの領地を召し上げに来る。
国人衆としては裏切られたという気持ちだろう。
それらの国人衆は水面下で木沢や遊佐という有力者と結んで茨木外し、三好政長外しを目論むはずだ。そういった勢力にとって、今回の御大典による戦の空隙は又とない機会だろう。
皮肉なことだが、この御大典を契機にして次なる天下争乱が始まることになる。
気付いていないのは細川晴元本人とその周辺だけだろうな。木沢はどう動くかわからんが、遊佐長教は明らかにその時に備えて力を蓄えている。
細川・木沢・遊佐……。
出来ればそんな蠱毒の壷の中に手を突っ込みたくはないが、近衛稙家との約束もある。俺も年が明ければ再び畿内に参戦しなければならないだろう。
「続いて大嘗会に関してですが……」
・天文六年(1537年) 九月 山城国乙訓郡 物集女城 三好頼長
「以後、よろしく頼む。今年は戦は起きんと思うが、念のため城の備えは怠らぬようにしてくれ」
「ハッ!」
鶏冠井が降ったことで西岡の大半は儂の支配下に収まった。あとは神足孫左衛門を降せば勝竜寺城は目の前だ。
義父上からは当面戦は自重するようにと厳しく申し渡された。
御大典の為でありやむを得ないが、仕掛けて来られたらこちらとしても対応せぬわけにはいかぬ。まあ、細川右馬頭(細川元常)は右京大夫の命には逆らわぬだろうし、当面はこちらも内部の引き締めと軍団の育成を優先していこう。
尾張では四郎(六角義賢)が松平から守山城を奪取したと聞いた。今やあ奴も立派に一国の太守か。
それに引き換え、儂は未だ一郡すらも掌握できておらぬ。爺は焦るなと言うが、やはり四郎に引き比べて我が身の不甲斐なさを感じる時もある。
初音にも今は多少不自由な暮らしをさせている。無論、三カ国を領する近江宰相と数郷の主とでは身の丈が違うのだから当然だが、それにしても今少し以前のような暮らしをさせてやりたいものだ。
「時に孫次郎様。此度の御大典に当たって三好彦次郎様が上洛なさると小耳に挟みましたが、孫次郎様は聞いておられますか?」
「彦次郎? 一体誰のことだ?」
「越水城主の三好千満丸様でございます」
何? 千満丸が上洛すると……。
「何でも細川讃岐守様(細川持隆)の御名代として細川右京大夫様の御供をされるとか。それにあたり、先ごろ元服を済まされて三好彦次郎虎長と名乗りを改められたとのこと。勝竜寺城周辺では密かに噂になっております」
「噂か……。弟が晴れやかに上洛するのに、兄は西岡の地で不遇をかこっているとでも噂されているのだろうな」
「い、いえ……そのような……」
「ふふ。隠さぬでも良い」
千満丸か。
文の返事が来ないからてっきり近臣に全てを握られて不自由していると思っていたが、元服したのであればこれからは文をやり取りすることも出来るようになるかもしれん。
儂が東から、千満丸が西から圧迫すれば、亡き父の仇を討てる日も遠くないだろう。
……そうだな。儂も御大典には初音と共に上洛しよう。義父上や四郎も来るだろうし、初音も久方ぶりに会いたいと思うだろう。
それに、もしかすると千満丸と会う機会を得られるかもしれぬ。
「ともあれ、御大典の後も天下が静謐であるとは限らぬ。有事に備えて戦の用意は怠らぬように頼むぞ」
「ハッ!」
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