尾張守

 

 ・天文五年(1536年) 四月  山城国 京 相国寺  六角定頼



 とりあえず義晴の隠居騒ぎは一旦収まった。今は俺の進言を容れて内談衆の組織作りに邁進している。内談衆としては大舘尚氏を筆頭に大舘晴光、細川高久、海老名高助、進士晴舎、荒川氏隆の六人が任命された。

 折角なので内談衆には俺から最初の訴訟を投げておいた。敦賀から渡唐船を仕立てたいので幕府に残っている勘合貿易用の勘合符を六角定頼に下されたいという訴えだ。ラスト一枚だったようだが、まあまともに考えれば退けられることは無いだろう。

 敦賀から出雲までの航路は京極家によって既に開発されているから、後は出雲から博多への航路を開発すれば勘合貿易に一枚噛むことが出来る。最後の勘合符を俺が保持しておけば、むしろ向こうから一枚噛んでくれと頭を下げてくるはずだ。

 さすがに敦賀で勘合貿易に耐えられるクラスの外洋船を作る技術はないから、渡唐船を仕立てるというのは嘘八百だが、その辺を理解できる幕臣などは居ないだろう。ま、バレた所で『文句あるか?』と言えば黙るだろうけど。


 ともかく、何とか宋銭を輸入する目途を付けないと銭不足が解消できない。輸入したとしても根本的な解決にはならないんだが、今はとりあえず輸入して国内の通貨供給量を増やすことが先決だ。だが、いずれは貨幣制度そのものにも手を付けていかなければならんなぁ。


 後は明に輸出する品目か。


 六角領で生産が盛んなのは肥料類と綿織物、それに最近は絹織物の生産にも手を付けた。だが、はっきり言うと織物は明の方が圧倒的に優位だから輸出品にはならない。


 シイタケ栽培は細々とやっているが、なかなかうまくいかないんだよな。まず菌糸を純粋培養する容器がまともに用意できない。陶器の器だとどうやったって雑菌が入ってしまうし、ガラス工芸が発達していないこの時代では試験管のような物を作るのは至難の業だ。


 今までは俺が細々と食卓の楽しみにする分があれば充分だったが、輸出品レベルまで生産するには領内上げて大々的に栽培しないといけない。だが、菌糸の培養が出来ない現状だと原木栽培と言っても最終的には運任せになる。

 それに国内でシイタケの市場なんかまだ形成されていないから、勘合船や密貿易船が出るタイミングでしか商売にならない。運よく収穫出来たシイタケが『売れるかどうかは分かりません』じゃあ領民も二の足を踏むだろう。

 精々が原木に傷をつけてを庭に置いておくくらいだから、安定した輸出品にはならないか。


 それよりも蝦夷の昆布や干アワビの方がいいかな。

 蝦夷地の乾物は江戸時代初期から人気の輸出品だったし、アイヌ民族は昆布や干アワビを米と交換して生活しているはずだ。せっかく敦賀を抑えているんだから、蝦夷から博多へ商品を運ぶことで利益を出すようにするか。


 あとは漆器や刀剣かな。定秀に言って日野で大量生産させよう。


 しっかし、こうして考えると近江商人の行動は実に合理的だったんだな。地場産業の創出も必要だが、結局は生産地から消費地への物流を抑えてしまうことが経済を抑える近道だ。



「宰相。此度はご苦労だったな」

「いえ、何とか収まって良うございました」


 ぼんやりと考え事をしながら待っていると茶室に近衛稙家が入って来た。今は飄々とした顔をしているが、稙家も義晴の隠居騒ぎには相当に慌てたらしい。最初に大舘尚氏から話を聞いたときは稙家も目を点にして驚いたらしい。ゼロ歳児に将軍職を譲ると言われれば無理もない。


 ……ちょっとその顔を見てみたかったな。


「しかし、今のうちに畿内を討ち平らげねばいかんのではないか?今は収まったとはいえ、いつまた公方が隠居を言い出すとも知れぬ。そなたが畿内を平定してしまえば、公方も心配が無くなろう」

「そのことですが、一つお願いがございます」

「何事だ?」

「某に尾張守の官位を賜りたく存ずる」


 茶碗を抱えたままの近衛の目がキラリと光る。顔はやや不満気だが、おれもここは退くわけにはいかない。


「尾張に介入するつもりか?しかし今は畿内を……」

「畿内にはまり込んでいる間に尾張を松平に奪われれば、某は摂津・河内の征伐を途中で切り上げねばならなくなり申す。後顧の憂いを絶つためにござる」

「ふむ……」


 近衛は尾張騒乱の深刻さを今一つ理解していないな。尾張が奪われれば次は美濃か北伊勢が標的になる。そうなると俺も悠長に摂津や河内の征伐をしてる場合じゃ無くなるんだ。


「ならば、そなたの息子の四郎殿を尾張守に任じよう」

「殿下……それは……」

「朝廷としてはそなたは一刻も早く畿内の平定に掛かってもらいたい。だが、後顧の憂いを絶つというそなたの思いも分からぬではない。

 この際、尾張の征伐と支配は四郎殿に任せてはどうだ?」


 義賢に尾張を任せるか……ちょっとどころじゃなく心配なんだよなぁ。近衛が分からないのも無理はないが、尾張は誰にでも捌ける土地じゃない。何せ織田信長を始め、敵に回すと厄介な者達がひしめいているからな。配下に収めるか、さもなくばしっかりと首を刎ねておかないと後々大きな禍根になる恐れがある。


 それに、義賢は三好頼長が西岡衆を配下に収めたと聞いて焦っている。戦で功名を上げることだけを考えている。戦が手段ではなく目的になってしまっては駄目なんだが、それが今一つ理解できていないように見える。

 今の状態でいきなり義賢だけに任せてしまう訳にはいかない。


「では、二年間は某も尾張に掛かりたく存ずる。二年の内には尾張の騒乱も目途が付けられましょう」

「わかった。では尾張守は四郎殿に与えることで納得せよ」


 有無を言わせぬって感じだな。仕方ないか。ここで近衛とまでケンカするわけにはいかない。


「承知いたしました。よろしくお願いいたしまする」

「うむ。ところで、麿には献上品は無いのか?」

「……はぁ?」

「仔猫じゃ。猫丸とやらは大層可愛ゆかった。麿の手元でも育ててみたいと思うての。ほっほっほ」


 稙家も気に入ったのかよ。まあ、確かに仔猫の可愛さは悪魔的だからな。


「承知いたしました。猫丸の兄弟がまだ居ります故、届けさせましょう」




 ・天文五年(1536年) 五月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角義賢



 父上が京から戻ると傅役の池田三郎と共に呼び出されたが、亀の間に行くと父上は仏頂面で座っておられる。何かお叱りを受けるようなことを仕出かしただろうか……。


「父上、お呼びでしょうか?」

「ああ。実はな、お主に尾張守の官位を賜ることになった」

「尾張守……では!」

「うむ。今準備している尾張攻めがそなたの初陣となる。池田三郎(池田高雄)に聞いてよくよく準備せよ」


 ついに儂にも初陣の機会が訪れたか!

 孫次郎は既に西岡衆の半分を配下に収め、従わぬ者達を次々に討ち平らげていると聞く。何やら置いて行かれるような気がしていたが、いよいよ儂も武名を上げる機会に恵まれた。


「……四郎、よく聞け」

「はい!」


 ……なんだろう?

 父上は尚も厳しい顔をされている。儂が初陣を飾ることを喜んでは頂けないのだろうか。


「お主が孫次郎に引き比べ、自らの武名を上げる機会が無いことに焦っておったことは知っている。だが、俺はあえてお主の初陣を引き延ばして来た。何故だかわかるか?」

「……私が孫次郎よりも力が弱いからでしょうか?」

「違う。お主と孫次郎では立場が違う。孫次郎は家を再興する者であり、まずは陣頭に立って戦う必要がある。だが、お主は俺の後を継ぐ者だ。戦場で槍働きをすることが役目ではない」

「しかし、当主が文弱であれば家臣からも侮りを受けましょう」

「武辺者であれば侮られないというものではない。当主に必要なのは領国を豊かにしてゆくことだ。領国が豊かであれば侮りは受けぬ。武が無くても良いとは言わぬが、文が無ければどうしようもない」


 ……父上は儂を侮っておられるのだろうか。戦の出来ぬ頼りない息子と思われているのだろうか。


「良いな。くれぐれも戦だけを武士の役目と思うなよ。むしろ戦は領国を守る為の手段だと心得よ」

「……」

「返事はどうした?」

「……承知いたしました」


 やはり父上は儂を戦の出来ぬ頼りない息子と思われているのだろうか……。



 父上の御前を下がると、池田の爺に尋ねながら初陣の用意を始める。用意と言っても儂の具足などは既に用意されているし、弓と矢の手入れをするくらいだ。


「父上は戦に出ることが儂の役目ではないと申された。袖を通すことの無い具足など滑稽でしかないな」

「若殿、それは違いまするぞ。具足は万一の戦に備えておくもの。いわば武士の心構えにございます。袖を通さぬで済むのならばそれに越したことはございません」

「三郎。しかし父上は儂の初陣を引き延ばしていたと申された。それだけ儂のことを頼りない息子と思っておられたのではないのか?」

「はっはっは。そのようなことでお悩みでありましたか」


 池田の爺が心底可笑しそうに笑う。何が可笑しいのかさっぱり分からぬ。


「御屋形様も初陣は遅く二十四の時でございました。それに御屋形様も元来戦を苦手としておられます」

「何?しかし、父上はあらゆる戦に勝利を収めた稀代の戦上手であろう。戦が苦手などということがあるものか」

「いいえ、御屋形様は長く相国寺に入っておられた故、家督を継がれた時も武士の戦をほとんどご存知ありませなんだ」


 なんと……父上は今の儂よりもはるかに遅くの初陣であったのか。それに戦が苦手だとは。


「初陣には某も副将として従いました。まあ、足は震えるわ敵の動きに慌てて頓珍漢な下知を出されようとするわで、酷い物でございましたよ」

「そんな……父上は古今無双の名将と誰もが言っている。父上が怯えるなどと」

「事実でございます。御屋形様は今までただの一度も自らの槍先で武名を上げたことはございませぬ。戦の組み立てを行い、軍略を練り、相手を屈服させるような戦運びをされることこそが御屋形様の強さにござる。


 ですが、槍先の功名が無いからと言って御屋形様を侮る者は天下に一人も居りませぬ。家中の者も誰一人御屋形様を頼りなしなどと思いませぬ。御屋形様についてゆけば民の暮らしが豊かになる。我らの戦の先には家族や領民たちの豊かな暮らしがある。

 それ故にこそ、近江の者は御屋形様のお下知に従うのでございます。決して力が強いからでも、武辺であるからでもありませぬ」


 そうか……。


「父上はそう申されたかったのだな?」

「左様にございます。次の戦においても恐らくは本陣に留められ、御屋形様のなさりようを見るようにと申されましょう。得難い経験でございます。くれぐれも、功名を上げる機会が無いとお嘆きになることのなきよう。功名が無いことで若殿を侮る者は一人も居ないということを肝にお銘じくだされ」


「……わかった。父上のなさりようを良く見ておこう」


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