内談衆

 

 ・天文五年(1536年) 四月  山城国 京 室町第  六角定頼



「弾正……いや、宰相。久しいな」

「公方様にはご機嫌麗しく存じ、恐悦至極に存じます」

「そちも余の意思をないがしろにしに来たのか?そちは宰相に取り立てられ、余よりも朝廷に忠義であるからな。此度は近衛の義兄上あたりから言われて来たか?」


 うわぁ、予想以上に警戒されているなぁ。

 側近たちから悉く反対されてイラついているんだろうが、あまり良くない傾向だ。


「いえ、某はこちらを献上に参ったのでございます」


 いけ、猫丸!義晴にじゃれつけ!

 ……義晴はあんまり気にしてないな。一瞥しただけですぐに視線がこっちに戻って来た。

 仔猫にほだされてストレス軽減作戦は失敗か?後ろから大舘尚氏の視線が首筋に刺さっている気がするぞ。


「……何のつもりだ?」

「可愛くはございませぬか?」

「ふむ。まあ、仔猫だから愛嬌はあるな。それがどうした?」

「左様に周囲を敵視されては公方様の真意は伝わりませぬ。仔猫に接するように和やかなお気持ちで接されれば、お側の者達も公方様のお話にもっと耳を傾けましょう」


 義晴が一つため息を吐いて再び猫丸に視線を戻す。猫丸は義晴に興味津々で、義晴の手に頬を擦りつけに行っている。いい感じだ。少し表情が和らいだな。


「……余は足利将軍として広く天下に権威を行き届かせねばならん。だが将軍が政を行うためには京を離れて各地に気ままに出向くことが出来ぬ。摂津の細川六郎は余に忠誠を誓うと申してきたが、河内の畠山や大和の興福寺などはまだまだ余に服したとは言えぬ。

 そちや六郎に全てを任せるのではなく、余自らの力で天下を静かならしめねばならぬと思っておる」

「左様でございましたか。それ故に若君に将軍位を?」

「そうだ。余が将軍でなくなれば京を離れて各地の征伐に出ても問題は無い。余が菊幢丸に将軍位を譲るのも全ては天下静謐を行うため」


 やはりか。義晴は義晴なりに将軍親政によって足利幕府を再興しようとしている。その為に自分を身軽な立場にしようとしていたんだ。だが、残念ながら努力の方向が間違っている。


 本気で足利幕府を再興するならば、まずは足利将軍家の直轄領を増やす努力をしなければならない。河内十七箇所なんかの幕府御料所を直接支配し、守護による間接統治ではなく御料所の国人を直参家臣として取り立て、農業生産力に裏付けられた直轄軍を編成できるようにする。

 でなければいつまで経っても守護に担がれる方法でしか軍事力を保てない。担ぎ手が変わるたびに何度でも天下が乱れる世の中にしかならない。

 俺が言うのもおかしな話だが、少なくとも俺に担がれている間は義晴の理想とする世の中には決してならない。


 将軍親政を目指すのならば、まずは将軍自身が圧倒的な軍事力を持つ必要があるんだ。


 義晴は本来的に頭の悪い男じゃないが、自らの思い込みに忠実なあまり過去の足利将軍の取って来た方法以外の統治方法を考えられなくなっているのだろう。

 義晴が目指す世の中は各地の守護が足利将軍の権威にひれ伏すことが前提になっている。だが権威だけでは人は従わない。当の足利将軍そのものが南朝の権威を否定するために作り上げられた統治システムなんだからな。

 悲しいことだが、足利義晴が頑張れば頑張るほど天下静謐とは真逆の世の中になってしまうんだ。


「公方様のお心は良くわかり申す。某は強いて譲位をお留めしようとは思いませぬ」

「……ほう?」


 後ろで大舘尚氏の慌てる気配がしたが黙殺した。今は義晴に共感することを第一にすべきだ。感情的になった人間は理屈では納得しない。逆にますます攻撃的になるのがオチだ。今は義晴の気持ちを聞くことに徹し、義晴自身に考えさせるようにするべきだ。


「ですが、菊幢丸様が将軍位に就かれても菊幢丸様御自ら評定を行うことは出来ますまい。それについて、公方様のお気持ちを伺いたく存ずる」

「ふむ。菊幢丸を補佐する内談衆を任命し、それらの合議によって京の政を運営していけば良いかと思っておる」

「なるほど。それならば、その内談衆が真に公方様の代わりに政を行えるかどうか、公方様御自ら監督する必要があるのではありませんか?」

「確かに、それもそうだな……」


 側で丸まった猫丸の背に義晴の手が伸びる。良い傾向だ。少しづつ猫丸にほだされ始めたな。


「では、それまでの間は余は将軍位を退かぬ方が良いかな?」

「少なくとも将軍位は一旦退けば再任するのは容易な事ではありませぬ。将軍位に在られる間に内談衆が滞りなく政を行えるか見て置かれた方が良いように思いまする」

「……ふむ。確かにその方が余の思いに近い内談衆が出来上がるかもしれぬな」

「左様にございまする」


 よし、義晴の意識が譲位から『内談衆』を立ち上げる方に切り替わった。しばらくは内談衆による政治制度を作る方に夢中になってくれるだろう。その上で猫丸が慰みとなれば、時間が稼げる。少なくとも畿内に介入して情勢をグッチャグチャにされることは防げる。


「よし、ならば先にそっちに取り掛かる事としよう。宰相には何かと相談することもあるかと思う。これからも時々は顔を見せよ」

「ハッ!」


 後ろで大舘尚氏が盛大に安堵の吐息を漏らす声が聞こえる。

 正直心が痛いな……。今の俺は明確に足利義晴を利用しているだけだ。本来的に馬鹿な男であれば少しは気も楽だったんだがな。なまじ頭がいいだけに残念でならない。

 まあそれはそれとして、とりあえず今のうちに尾張対策をしてしまおう。




 ・天文五年(1536年) 四月  越前国大野郡 亥山城  堀江景忠



 煎茶を頂き、次郎左衛門様(朝倉景高)へと茶碗を返す。美味い物だな。茶の湯と違い、味が軽やかだ。


「粉茶も良いですが煎茶というのもおいしゅうございますな。近江から取り寄せられたと聞きましたが」

「左様。近江には色々と越前には無い面白い物が溢れておるそうだ。この『煎茶』もその一つよ」


 次郎様も上機嫌で茶碗を口に運ばれる。周囲の気配を探るが茶室の周りには誰も居らぬな。わざわざ茶を頂きたいと所望した甲斐があったか。


「して、此度はどうした?わざわざ坂井郡から茶を飲む為だけにやって来た訳ではあるまい?」


 察しの良いことだ。ならば遠慮なく……。


「恐れながら、御屋形様のことにござる」

「兄上が何か言っておったか?」

「噂にございますが、御屋形様は次郎様を廃して大野郡司に九郎様(朝倉景紀)を任命なさるご意向があるとか。九郎様は近江宰相殿と戦うことばかりを考えておられますが、長尾が越後国内の戦で手を取られている今、いつ加賀の一向一揆がこちらに攻めて来るか分かりませぬ。頼りの次郎様が追われれば、最悪の場合我ら坂井郡の者は孤立無援の状態で加賀と対峙せざるを得なくなりましょう」


「ふむ……今しばし待て。近江宰相殿は万一の時には援軍を寄越すと申されているが、北近江の軍勢は未だ充分に整わぬと文が来ている。

 それに一乗谷の者の多くは未だ兄上を廃することに消極的だ。御供衆に任じられている兄上を廃すれば、朝倉家が足利将軍より安堵された越前守護の地位を失うのではないかと危惧している」


 悠長なことを申される。だが今は一刻も早く次郎様に朝倉の家督を継いで頂き、越前を挙げて一向一揆討伐に乗り出さなければならぬ。近江宰相殿と良好な関係を保たれている次郎様こそ朝倉家の惣領に相応しい。


「手をこまねいておれば手遅れになるやもしれません。御屋形様は次郎様の勢力が増すことを恐れ、秘かに刺客を放ったという噂もございます。仮に今次郎様が討たれれば、越前は希望を失いまする」

「何?刺客を放っただと?」

「あり得ない事とは言い切れますまい。御屋形様が次郎様を疎んじて九郎様を重用しておられるのは周知の事実。御屋形様にとってみれば軍勢を持って次郎様と対決するはみすみす近江宰相殿の介入を許すことにもなり申す。

 秘かに次郎様を亡き者にできれば、六角の口出しを封じることができましょう」

「ふむ……」


 お心が揺れているな。刺客を放ったなどというのは根も葉もないことだが、次郎様を廃そうと考えているのは見ていれば分かること。

 某は決して大袈裟なことを言っているわけではない。御屋形様が次郎様を本気で排除しようとすれば、そのような手段に出ると考えるのが普通だ。


「お主の忠告は良く分かった。身辺には気をつけるとしよう」


 ええい、これでもまだお覚悟が定まらぬか。やむを得ぬ。


「いかにお気をつけられても完全に防げるかはわかりません。これを戦を考えるならば、やられる前にやるのが常道ではございませんか?」

「儂が逆に兄上に刺客を放てと申すか?」

「宗滴殿も申されておったことにござる。武士は畜生と蔑まれようとも勝つことこそが本懐。それに、加州の儀を心掛けざる者は先祖に対し不孝であると。

 今こそ御屋形様を退けられ、次郎様が朝倉家を率いられる好機であるとは思われませんか?」


「しかし、刺客と言ってもどのようにすると言うのだ?兄の側にも近習や小姓は控えているだろう」

「必ずしも暗殺に拘る必要はございますまい。御屋形様は来月には府中の波着寺へ詣でられるとの由。一乗谷から府中までは二里ほどの距離がござる。参詣の途次を軍勢を持って襲い、返す刀で一乗谷を囲まれれば……」

「ふむ……」


 次郎様の目が揺れている。もう一押しだな。


「我ら坂井郡の軍勢はいつでも次郎様の後詰を致しまする」

「そうか。ならば敦賀に援軍を請わずとも一乗谷城を落とす事も可能だな」

「いかにも」


 これでよい。

 次郎様に対して刺客を放ったというのは言い過ぎたかもしれぬが、決してあり得ない事ではない。

 そうとも、これは嘘ではなく将来あり得ることを語ったに過ぎぬ。近江宰相殿の軍勢が整うのを待っておる間に一向一揆が攻めて来れば、うやむやのままに次郎様も戦線に駆り出されよう。戦場で九郎様が次郎様を謀殺されることだってあり得るのだ。

 そのような事態になる前に先手を打たねばならん。全ては次郎様に決断を促すための方便よ。


 某はただ次郎様に越前の国主となって頂きたいだけだ。御屋形様にはこれ以上越前を治めることは出来ぬ。次郎様こそが越前の国主となられるべきだ。

 某は越前の為に方便を使った。ただそれだけだ。


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