三条派閥の群雄
・天文四年(1535年) 九月 摂津国芥川城 三好政長
「六郎殿、美濃では随分と酷いことになっておるようじゃな」
「はい。六角の片腕たる大原次郎が亡くなったようです」
「ほっほっほ。良い気味よ。近衛と組んで朝廷を壟断し、あまつさえ京を焼き払うなどという大罪を犯したことを天がお怒りになったのであろう」
三条相国様(三条実香)が上機嫌で上座に座る。下座には六郎様と儂だけだ。
しかし、この老人は随分と面相が変わって来たな。公家の嗜みも忘れて大口を開けて笑う様はまるで妖怪の如きものに思えて来る。人とは恨みによってここまで相貌が変わるものか。
「して、此度のお成りはどのような御用件でしょうか?」
「おお、そうそう。実は甲斐の久遠寺から堺に報せがあってな。武田陸奥守(武田信虎)の太郎の室が昨年亡くなったそうだが、継室を京から迎えたいという意向があるそうだ」
「甲斐の武田が……では、権中納言様(三条公頼)の娘様を?」
「左様。麿の孫娘を嫁がせるつもりだ。甲斐の武田と言えば近頃甲斐を統一して信濃や駿河へと勢力を伸ばし始めている家だ。六角が美濃で右往左往しておる間に信濃や甲斐を取り込めば、さぞや少弼も青ざめよう」
この老人は近江宰相を相変わらず弾正少弼と呼ぶ。六角を公卿とは認めたくないのだろうが、愚かな妄執としか思えぬ。
だが、この老人が六角を牽制してくれるのは有難い。摂津一国はこちらの勢力下に収めたから、そろそろ山城に進出するべき時期でもある。
武田が三条の縁戚となれば六郎様とは相婿になるし、諏訪を降せば武田が美濃へと進出することも出来るだろう。六角は近江の東に大きな懸念を抱えることとなる。
六郎様と公方様の和睦も成った今、六角を押し返して京を奪回すれば六角征伐軍を起こすことも不可能ではない。公方様が六角を頼りとするのはひとえに六角が強勢であるからだ。我らの勢力が強まれば公方様とて我らになびいて来るはず。こちらはこちらで勢力を伸ばして行くことが六角への脅威となるだろう。
だが、いきなり六郎様が正面から六角と食い合う展開は望ましくないな。できれば誰かを当てて六角を疲弊させたい。
誰か適任の者は……おお、木沢左京亮(木沢長政)が良いな。六郎様に忠実ではあるが木沢はあくまでも畠山家臣。例え六角に敗れたとしても我らの懐は痛まぬし、木沢が広げた領域はそのまま細川家が奪い取っても良い。無論、木沢が六角に勝てばそれはそれで問題もない。どちらに転んでも損はあるまい。
「相国様の御計らいに感謝いたしまする。我らも増長した六角を討つべく東に向けて進軍致しましょう。全ては天下をあるべき姿に戻す為に」
六郎様のお言葉に従って儂も頭を下げる。上座では満足げに笑う相国様の声が高らかに響く。
早速堺の法華門徒衆と繋ぎを付けよう。木沢に兵糧を援助し、南山城に勢力を伸ばさせる。一向一揆による傷もようやく癒え、石山本願寺との和睦も成った。今こそ京に進出する好機。六郎様の右腕たる儂の栄達もここからが本番よ。
・天文四年(1535年) 九月 河内国讃良郡 飯盛山城 木沢長政
「兄上、細川六郎様から南山城は切り取り次第(自由に攻め取れ)と沙汰を頂いたと伺いました」
「うむ。六郎様は儂を信任してくださっているようだ。南山城に進出し、京を奪回する足掛かりを確保せよと仰せだ」
弟の中務丞が満面の笑顔を表す。
摂津では三好千満丸を西の守りに据え、三好越後守(三好政長)が河内十七箇所を抑えている。西から攻められる心配は少ないにも関わらず儂を南山城に進出させるとは、六郎様は儂を余程に信任下さっているのだろう。
今こそ木沢家は北河内守護代から躍進し、畠山に代わる河内の雄として立つ時だ。
「ところで、右衛門督様(畠山在氏)はどう過ごしておられる?」
「ふふ。御父君(畠山義
「そうとも言えぬ。畠山尾州家守護代の遊佐河内守(遊佐長教)がどう出るかによって風向きは変わるだろう。お主は遊佐の動きに目を光らせて置いてくれ。特に、右衛門督様に何か変わった様子が無いかを重点的にな」
「承知いたしました」
遊佐河内守は未だ道永(細川高国)の弟の細川八郎(細川晴国)と連携しようとする畠山尾張守(畠山稙長)を苦々しく思い、尾張守を追放して御舎弟の左京大夫(畠山長経)を半国守護に迎えている。おそらく細川六郎様に接近する心づもりとは思うが、油断は出来ぬ。
応仁の大乱以前から二つに分かれて争っていた畠山総州家と畠山尾州家をそう易々と一つに出来るとは思わぬが、細川京兆家に対抗するという名分があれば万に一つ無いとは言えぬ。
後ろがガタついては南山城に進出するどころでは無いわ。
「まずは筒井や越智、十市などの国人衆を討ち平らげ、大和を帰属させる。その後に南山城に進出し、淀や槙島を支配下に収めるつもりだ。お主は南河内の動きに目を光らせておいてくれ」
「ハッ!」
さて、京から逃れて来た柳本党や法華一揆の残党を取り込んだことがここで役立つな。近江宰相殿のおかげで我が軍勢が充実するとは皮肉なものだ。
大和を抑えて南山城に進出すれば、我が勢力は近江宰相とて一目置かざるを得ぬことになるだろう。
まったく、近江宰相様様だ。クックックック。
・天文四年(1535年) 十月 河内国古市郡 高屋城 遊佐長教
ふむ。木沢左京亮が大和へ進軍したか。まあ良い。我らはともかく細川六郎との関係を修復することが先よ。今は木沢の好きにさせて置けばよかろう。
細川六郎と和睦し、再興しつつある堺との関係を強化して銭の収入を増やす。いずれは木沢と対立することになるかもしれんが、その時の為に今は力を蓄えておくべきだ。
「殿、少しよろしいでしょうか?」
文から顔を上げると縁側に走井備前守(走井盛秀)が座っている。一つ頷いて文を文箱に仕舞うと、一礼して走井が室内に入って来た。
「どうした?」
「先だって萱振商人衆の頭分を家中に召し抱えられたと聞きました。少々軽率ではありませぬか?地下人らをかように重用されては守護代遊佐家の権威にも傷が付きましょう」
相変わらずこやつは頭が固いの。堺が焼き払われて再興しつつある今こそ、堺の銭をわが物とする好機であるというのに。
「そのような凝り固まった考えではいずれ木沢の風下に立つことになるぞ」
「しかし、地下人共が殿の覚えが目出度いのを良いことに領内の武士に米を貸し付け、莫大な利銭を得ております。領内では徳政を求める声も高まっておりますれば、このまま放置すればやがては殿への不満も高まりましょう。下手をすれば国人一揆を招くことにもなり兼ねません」
「分かっておらぬな。順序が逆だ。莫大な利銭を得ておるからこそ召し抱えたのだ」
「……はあ?」
ふふ。頭の固いこやつには分からぬか。
「良いか、萱振は確かに強欲な男だ。だが、強欲だからと放っておけばいずれは木沢や細川六郎の為に働き出すだろう。そうなれば米や銭を用立てる萱振は脅威となってくる。
儂がいち早く萱振を取り込んだのは、萱振の富をわが物とするためだ」
「堺の近江屋に領内への出入りを許されたのもそれが理由で?」
「察しが良いではないか。近江屋は以前の堺でも米扱いの上手な商人であった。萱振としても心中穏やかではあるまいよ。萱振からの借銭で苦しんでいる者には近江屋を斡旋し、萱振の対抗馬として立たせる。そうすれば萱振衆も無茶な取り立てなどは出来なくなろう」
近江屋は近江宰相のひも付きなのが頭の痛い所だがな。近江の影響力が増すことはそれはそれで面白くない。何とか近江屋をこちらに取り込む手立てがあれば尚良いのだが……。
「しかし、それでは領内の家臣が借銭で苦しむことは変わりません」
「ふむ……ここだけの話だが、近いうちに畠山家の当主を挿げ替えることも考えている。代替わりを行って徳政を行うためだ。そうすれば借銭は無くなる」
「左様でしたか」
走井の顔も明るくなる。こやつも萱振にそれなりの借銭があったのかもしれんな。一度領内の借銭や借米の状況を萱振衆から提出させるか。
「だが、今借銭が無くなったからと言って油断してはならんぞ。一旦徳政によって旧弊を払うが、それ以後は領内の仕置に力を入れる。南河内の支配を盤石な物とし、紀伊と和して北上する。いずれは畠山尾州家を河内一国の支配者として立てて行かねばならぬ」
「しかし、北河内守護代の木沢は細川六郎様のお気に入りです。殿は今六郎様と和すことを志しておられるのでは?」
「今は和したとしてもそれが十年先も続くかは別の話よ。乱世なのだ。弱き者は食われるのが宿命よ。仮に十年後に尾州家が強勢であれば、総州家や細川京兆家を抑えて管領に就いても良いのだ。そうは思わぬか?」
「なるほど……」
走井の顔が再び曇る。こやつ、やはりイマイチ分かっておらぬな。
「まあ良い。領内の借銭については考えてあるから心配はするな。お主は国人衆に領内の仕置を強化するように申し伝えよ。特に百姓を慰撫し、用水相論などの調べを良く行うようにな」
「承知しました」
やれやれ、走井も今一つ銭の力を分かっておらぬな。これからの世は銭を握る者が強勢となろう。領地を広げるのも良いが、銭を得る仕組みを整備することの方が今は肝要よ。
その点、近江宰相は良くわかっておる。皆は京を焼き払ったことだけを取り沙汰して悪鬼羅刹だ天魔だと批難するだけだが、真に注目すべきはその後素早く京を再建したことだ。
これによって近江宰相は京の銭を握ることが出来るようになった。なかなかに抜け目がない。が、まだ甘い。北野社の麹座を取り込まねば完全に京を掌握したとは言えぬ。
恐らく近江宰相も次は麹座の掌握に乗り出すだろうが、その間に儂は堺の銭を掌握する。
木沢などはただ六郎の使い走りをしておるだけに過ぎん。本当の実力者は誰か、あと十年もすれば天下が知ることになるだろうて。
十年後の天下を握るために、今は南河内の地歩を確かな物にすることが先だ。
――――――――
ちょっと解説
ここで登場した『遊佐長教』という人物について。
南河内守護代として畠山総州家を傀儡にし、畿内に勢威を振るった人物です。三好長慶政権の初期に死んだことで知名度は低いですが、遊佐長教は天文中期の畿内騒乱において紛れもなく主役の一人でした。
河内を統一して三好長慶に娘を嫁がせ、三好長慶政権を作り上げる基盤となりました。三好長慶はそれまで幕府(六角定頼)に対抗しきれずに細川晴元に不満を持ちつつも大人しく越水城主として収まっていましたが、遊佐長教を岳父としたことで細川晴元政権を京から駆逐しました。三好と遊佐の同盟が六角定頼の武威を上回った瞬間だと思います。
役割は全く違いますがイメージとしては曹操に対する袁紹のような人物で、遊佐長教の後援を受け、長教亡き後に遊佐家の領地を抑えたことが三好長慶政権の成立に繋がっていきます。
足利義輝による三好長慶暗殺騒動の裏で遊佐長教も暗殺され、そこから三好長慶が河内を制することになりましたが、遊佐長教暗殺も裏で足利義輝が動いていたんじゃないかと疑っています。
『謀略に長け、畿内の動乱期をしたたかに生きた河内の雄』
それが私の持つ遊佐長教のイメージです。
この物語でも畿内の群雄の一人として活躍しますので、遊佐長教の動向にもご注目下さい。
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