美濃国騒乱(2)人の営み

 

 ・天文四年(1535年) 七月  美濃国厚見郡 稲葉山城  斎藤道三



「こ、これは……」


 物見櫓に立って城下を見下ろすと、信じられない光景が足元に広がっている。


「長良川の堤が切れたのか……」

「そのようです。井ノ口に陣している長井弥太郎の軍勢は丸ごと水流に飲み込まれたようです」


 新五郎の言葉に視線を向けると、昨日まで長井陣があった場所は今では濁流が飲み込む川と化している。長井陣だけではない。井ノ口の町そのものも遠くの郷方も皆ひとまとめに飲み込まれてしまっている。まるで稲葉山城のある金華山だけが川中に浮かぶ島のようだ。

 これで戦は儂の勝ちだが、素直には喜べん。一体どれだけの被害が出たのか見当もつかぬ。


「六角軍は、大原殿は巻き込まれていないか?」

「分かりませぬ。使いの者も戻ってきておりませんし、無事に大原殿の元へ辿り着けたかすら不明です。本来ならば昨日には井ノ口に到着されているはずでございました。仮に長良川を渡れずに立ち往生しておられたとすれば、もしかすると……」


 新五郎が悲痛な顔で言葉を飲み込む。

 例え使者が川から離れて布陣していただくように申し上げたとしても、これほどの規模の出水は儂も記憶にない。多少川から離れた程度では厳しいかもしれぬ。


 近江宰相様には心から詫びねばならんかもしれぬな。音に聞こえた東湖大将軍と言えども、この濁流に飲まれれば命は無い……。

 水が引かねば確認も取れぬ。もどかしいな。


 自然の脅威とはかくも恐ろしい物か。我ら人の戦などは自然の怒りに比べれば童の石合戦の如きものに思えて来る。


「今は戦も止んでおるな?」

「雨足が強くなって長井勢は引き上げております。おそらく次に攻め上って来ることはありますまい」

「よし、城内の者を収容しろ。城門の守りも今は必要ない。全員を雨の当たらぬ屋根の下へと入れよ。そして交代で具足を脱ぎ、火に当たって体を乾かすようにさせてやれ」

「ハッ!」


 この様子では西美濃衆の領地にもかなりの被害が出ているだろう。戦どころでは無くなったな。美濃が一丸となって災害からの復興を志さねばならん。近江宰相様にも儂自ら詫びに出向く必要があるだろう。

 美濃はこれから厳しい舵取りが必要になる。




 ・天文四年(1535年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



「何だと……もう一度申せ!」

「ハッ!我らが井ノ口に向かう途中、大雨により長良川の堤が切れ、北近江の軍勢は濁流に飲まれましてございます」


 滝川資清がボロボロの疲れ果てた姿で言上する。

 北近江軍が……


「大原は……次郎はどうなった!兵はどれだけ生き残っておる!」

「従軍した三番組と六番組の兵はほぼ全滅です。生き残った者は百名に足りませぬ。大原様は……行方が知れません。おそらくは……」

「次郎が……」


 体中から力が抜ける。座った姿勢を保てずに思わず両手を前に突いてしまう。

 大原次郎が……死んだ……?

 俺を支え続けてくれた弟が、東湖大将軍と異名を取った武士が、こんなにもあっけなく……。


 くそっ!


 何故俺は援軍に行かせたんだ。何故俺はこの時に洪水が起きることを知らなかったんだ。歴史を知ってたってこれじゃあ何の意味もないじゃないか。

 大原高保はこれからも俺を支え続けてくれる無二の弟だった。いや、それだけじゃない。相国寺から戻った俺を受け入れ、兄の氏綱の手足となる俺を様々に励ましてくれた。

 もう二度と次郎に会えない……。そんなことが……。


 不意に涙が溢れて止まらなくなる。

 何故俺は大切な弟を美濃に行かせたんだ……。



「ご苦労だった。久助、よくぞ生き延びて報せてくれた。今は下がって城内で体を休めるが良い」

「……」


 進藤が見かねて滝川資清に声を掛ける。資清は尚も涙を流しながら項垂れている。

 そうだ、滝川資清が生きて戻ったことをねぎらってやらないと……。体を休めるように言ってやらないと……。

 駄目だ。心がぐちゃぐちゃで何も言葉が出て来ない。


「久助、……ご苦労だった」

「ハッ!」


 滝川資清が頭を下げて下がって行く。駄目だな。こんな姿を家臣に見せているようじゃ駄目だ。戦国なんだ。俺がしっかりしないと皆が苦しむことになる。


「すまん。新助」

「御屋形様も今は居室にお戻りくだされ。後のことは某が差配致します。今はお心を休めることが第一にございます」

「すまん……」


 つくづく、俺は駄目な主君だ。




 ・天文四年(1535年) 七月  尾張国海東郡 勝幡城  平手政秀



「殿が……」

「墨俣一帯は濁流に飲まれ、殿も行方が知れませぬ。我らは偶然にも養老まで物見に出ておりました故に何とか生き延びることができましたが、いかに高台に陣を移されたとはいえ今回の洪水は我らも記憶にないほどの規模でございます。墨俣に陣を置かれていた殿は恐らく……」


 何と言うことだ。だから美濃などに出兵するべきではなかったのだ。

 この大事な時に我らの支柱たる殿を失うとは、何たる……何たる……。


「孫三郎様(織田信光)はどうなされた?殿と共に出陣しておられたはずだ」

「孫三郎様もご本陣に居られました。おそらくは……」


 剛勇を持って鳴る弟君の孫三郎様までも失ったというのか……。


「ご家老様、いかがなさいますか?」


 河尻彦次郎(河尻親重)が視線を向けて来るが、儂にもどうすればよいかなどすぐには分からぬ。

 三郎五郎様(織田信広)はようやく元服をされたばかりだし、弟君の喜蔵様(織田信時)はまだ十歳。嫡流たる吉法師様に至ってはまだ二歳だ。

 大変なことになった。守山城も孫三郎様を失っては松平の侵攻を食い止めることが難しくなるかもしれぬ。まして我らが受けた打撃は兵数以上に精神的な物が大きい。


 大和守家(清洲織田家)もこの機に乗じて弾正忠家の跡継ぎに口出ししてくるだろうし、伊勢守家(岩倉織田家)もこうなってしまえばどう出るか分からん。

 両守護代の干渉を跳ねのけるには三郎五郎様では難しい。誰かの庇護を受けると言っても近隣に頼れる勢力など思い当たらぬ。


 どうすれば良いのか……。


「ともあれ、与次郎様(織田信康)にお知らせしよう。吉法師様の後見をお願いし、吉法師様が元服されるまで弾正忠家を保っていかねばならぬ。

 孫三郎様もお戻りにならぬ今、頼れるのは与次郎様だけだ」


 河尻彦次郎が一礼して下がって行く。

 家臣の動揺も収めねばならんし、津島衆や熱田衆にも改めて繋ぎを付けねばならぬ。儂が落ち込んでいる暇はない。何としても吉法師様が殿の跡をお継ぎになるまで儂が盛り立てて行かねばならぬ。


 返す返すも、美濃などに出兵しなければこんなことには……。




 ・天文四年(1535年) 八月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



 美濃の洪水から一カ月。

 ようやく気持ちにも整理が付き、各地の情勢を冷静に受け止めることが出来るようになった。次々に運ばれてくる情報を処理するのに忙しくて余計なことを考えている暇が無かったことも幸いだった。


 はっきり言うと美濃の被害は甚大だ。


 大雨によって長良川の堤防が切れ、加納や井ノ口、枝広など長良川流域一帯を濁流が押し流した。家屋の被害は一万戸以上に及び、人的被害は二万人を超える規模になる見込みだ。どうやら短時間に多量の雨が降った為に避難すらも間に合わなかったようだ。長く美濃に住む者達ですら聞いたこともないような規模の洪水だったそうだから、大原や他の者が避難できなかったこともやむを得ないだろう。


 美濃は斎藤道三を中心にまとまり、災害からの復興に全力を上げている。道三自ら俺の元に詫びに来たが、今回のことはどうしようも無かったというのは俺にもわかる。

 合わせて近江に当面の食糧援助を依頼してきたが、これは受けることにした。もちろん有償であり、五年の分割で代金を支払うという契約だ。


 守護の土岐頼芸は水が引いた後に再び兵を集めて斎藤道三を討とうとしたようだが、美濃国中の国人衆から総スカンを食らって美濃を追い出された。

 当たり前だな。こんな大災害の直後にまた戦をするなんて言われたらたまった物じゃない。他国から攻めて来ているならともかく、国内で戦なんてやりたい者は誰も居ないだろう。

 土岐頼芸自身は援軍を出してくれた縁を頼り、今は尾張の清洲織田家の元に身を寄せているらしい。


 大原高保は水が引いた後、遺体になって発見された。顔かたちも無残に変わり、着込んでいた具足によって何とか判別できる状態だったらしい。おそらく洪水を真正面から受けたんだろう。

 高保の率いていた兵も同様で、多くは木曽川との合流地点近くまで流されていた。


 今回の惨劇で北近江軍は頼るべき大将を失った。今は海北綱親を後任に据え、軍備の回復に当たっている。一番組組頭には滝川資清を取り立て、三番組と六番組の生き残りは残りの組に編入した。

 これからは海北綱親を中心に新たに北近江軍を編成し直すことになるだろう。


 尾張も今は大混乱だ。

 織田信長の父親である織田信秀も今回の洪水で命を落とした。これで尾張は突出した勢力が居ない割拠状態に陥ることになる。その尾張を三河の松平清康が虎視眈々と狙っている。

 これからの尾張情勢は全く読めない。何がどう転ぶか見当もつかん。まさか織田信秀までもが洪水に巻き込まれているとはな。


 三河と尾張が松平清康の物になれば六角としても無視できない勢力となる。北伊勢の梅戸と北河には尾張の情勢を注視するようにさせた。


 中伊勢の長野は梅戸と北河の努力であと一歩で降る所まで来ているが、尾張がキナ臭くなればドル箱の浜田湊や桑名津が危ない。

 長野攻めは一旦優先順位から外して、今は北伊勢も尾張方面への警戒を強化させていく。


 いずれにせよ、自然の脅威の前に人間の出来ることは限られている。この災害を他人事にしない為にも京の復興が終わったら普請組には近江の堤防普請をさせよう。愛知川や日野川、姉川など近江にも暴れ出したら甚大な被害を出しかねない河川はごまんとある。近江でもこの惨劇を繰り返せば、身をもって洪水の恐ろしさを教えてくれた大原次郎に申し訳が立たん。


 俺は立ち止まるわけにはいかない。



 忙しく日々を過ごす中、お寅が男子を出産した。


 本来は目出度いはずなんだが、今は心の底から喜べる気分じゃない。俺がもう少し美濃のことに詳しければ大原高保を死なせずに済んだかもしれない。九百名以上もの将兵を無益に死なせずに済んだかもしれない。それを思えば、俺がのうのうと我が子の誕生を祝っていいものかどうかどうしても心の隅に引っかかる物がある。

 お寅はお寅で命がけで俺の子を産んでくれたんだから、労ってやらないといけないんだけどな。



 各地から次々に届けられる文を確認していると、不意に志野が居室にやって来た。


「御屋形様。よろしいですか?」

「志野か。どうした?今は少し忙しいのだが」

「お寅の元へ行ってやって下さいませ」

「……」


「お寅も必死で和子を産み落としたのでございます。御屋形様がそれをお慶びにならなければ、お寅も和子も浮かばれません」

「しかし、次郎が死んだのだ。今は慶ぶべき時では……」

「次郎様のことは残念でございました。ですが、新たに産まれた命にも情けをかけやって下さいませ」


 ……そうだな。産まれた子には何の罪もない。

 産まれたことを俺が喜んでやらなければ、産まれた子が将来心に傷を負うこともある。父親として、やってはならないことだ。


 会いに行くか。

 死んだ命を悼み、新しく産まれた命を喜ぶ。それが人間の営みだものな。

 俺が死なせた命は、必ずより良い時代への礎にする。それが俺に出来る唯一のことだ。


――――――――


ちょっと解説①


本来は天文四年のこの洪水の後に朝倉と六角による美濃侵攻が発生しました。六角定頼は最初は朝倉と共に土岐頼芸と敵対しましたが、途中で土岐頼芸の後援をする立場に転じています。その後の美濃では斎藤道三の影響力が大きく増していることを考えれば、この朝倉侵攻を撃退するのに中心的な役割を果たし、六角を取り込む交渉にも一役買ったのだろうと思います。

さらには、後に土岐頼芸を追い出した時にも美濃国人衆が道三に従ったのは、この時の災害復興と朝倉迎撃戦の時に土岐頼芸は何もしていなかったのが原因じゃないかなと思います。



ちょっと解説②


この天文四年十二月には『守山崩れ』が起きますが、この背後には桜井松平家の松平定信と織田信秀の策謀があったのだと思います。松平清康が死んだことで利益を得たのは織田信秀ですし、松平定信は信秀と姻戚関係にありました。清康が尾張侵攻中に暗殺されたのもいかにも信秀らしい策謀だと思います。

ですが、この世界線では織田信秀も美濃の洪水に巻き込まれて亡くなりました。

ということで、この物語では守山崩れません。


主人公は他地域の歴史はあまり知らないという設定なので、疑問に思いはしても理由までは分からない状態になります。ですのでここで解説としておきます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る