不安の色

 

 ・享禄三年(1530年) 八月  伊勢国鈴鹿郡 太森  大原高保



「殿!物見の者が亀山城を視界に捉えたと報告がありました!」

「うむ!亀山城は無事か?」

「ハッ!かなり攻め寄せられておりますが、まだ城方は抵抗を続けているとの由にございます」


 高安久助の報告にほっと胸を撫でおろす。

 なんとか間に合ったか。我ら北近江軍がまっすぐ南下してきたから長野の動きも鈍ったとはいえ、こちらも素早く進軍とはいかなかった。

 なにせ、北伊勢から中伊勢には国人衆がひしめきあっている。我らの進軍に合わせて降ったとはいえ、いつ裏切って攻め寄せるかわからんからな。前後を警戒しながらの進軍は骨が折れる。


 兄上も人使いの荒いお人だ。

 北近江から伊勢に参って、二日の休息ですぐに亀山城の救援に向かえというのだからな。


「千草を攻めている後藤但馬守(後藤高恒)へ使いを出せ!我ら太森に着陣せり、と」

「ハッ!」

「木之本衆には亀山城の後詰に向かわせろ!しばらく戦から離れておったから腕が鳴るだろう。

 本陣は太森に置き、亀山城と千草城のどちらにもすぐに後詰を行えるように用意しろ!」

「ハッ!」


 わしの号令の元で軍勢が一斉に動き出す。

 皆長い行軍で疲れているだろうが、あと一息だ。亀山城の包囲さえ打ち破れば、急ぐ理由は無くなる。長野も容易に攻めては来れなくなるだろう。

 数日兵を休ませたら本格的に千草制圧に参加しようか。


 大きな鬨の声と共に前方から五百の軍勢が前進を始める。木之本衆が亀山城包囲軍に攻めかかったな。


「殿!神戸城の神戸下総守(神戸具盛)の使者が参っております」

「わかった。本陣に通せ」


 さすがに神戸は動きが早いな。我らの動きを察知しておったか、あるいは六郎(梅戸高実)から使いが参っていたのか。

 さほど待つことも無く一人の僧が本陣に通されてきた。直接家臣を派遣してこちらを刺激することを避けたようだな。戦闘の意思はないと見てよさそうだ。


 ということは、神戸は今までの行きがかりを捨てる心づもりはあるのかもしれん。


 僧が優雅な所作で膝を着く。同じ僧籍でも兄上とはだいぶ違うな。兄上はどこか童のようなところがあり、所作の一つ一つが騒々しい。このような優雅な立ち居振る舞いはあまり見ることはない。

 まったく、十年以上も相国寺で修業しておられたというのに悟りからはほど遠いお方だ。


「お目通り叶いましてありがとうございます。常善寺の良弁と申します」

「大原中務大輔である。神戸下総殿の使者と聞いたが、相違ないか?」

「はい。神戸様より意のある所をお伝えするように申し付かりました」

「ふむ。まあ、立ち話もなんだ。今床机を用意させるから座って話そう」

「お気遣いありがとうございまする」


 言うや、小姓が慌てて床机を二つ持ってくる。


「さて、早速だが神戸殿の意のあるところとは何だ?下総殿と我が弟の梅戸治部大輔とは数年前には北伊勢各地で争っている。長野と千草の同盟で一時的に意を通じているとはいえ、本来的には我らの進出を苦々しく思っているのではないのか?」

「確かに、神戸様と梅戸様は相争っておりました。しかし、安濃津の長野は御本家である関様・北畠様の仇敵。いわば不倶戴天の敵でございます。

 此度の六角様の軍勢は長野と千草の征伐を行うために出征をされたと聞き及び、神戸様は敵を同じゅうする者として此度は中立を貫くと仰せです」


 ふん。中立か。

 どこまでも都合のいい話だな。我らは神戸の本家である関を救援に参ったというのに。


「要するにこちらに味方する気はないということだな?」


 ……ふむ。

 わざと険のある言い方で様子を見るが、良弁とやらには慌てた所は見えない。

 意外と肝の太い坊主だな。それに、神戸にも含むところはなさそうか。


「……御察し下さりませ。今まで敵対していた者がいきなりお味方すると申し上げても、冷遇されるのではないかと思うのが人の心でございます。

 これは拙僧の見たところですが、神戸様も本心では六角様に協力しようというお心がおありのようです。ですが、先ほど仰せられた梅戸様との行きがかり上、どうしてもためらうお気持ちがあるのでしょう」


 ……ふむ。

 確かに神戸には六角と正面切って戦うほどの戦力はない。梅戸だけならばともかく、我ら兄弟が援軍に来ては勝ち目は無い。まして、今までの事がある。無体な扱いを受けるかもしれんと警戒しているということか。

 逆に言えば、冷遇されぬと安心させることが出来れば六角被官に取り込めるかもしれんな。


「相分かった。我が兄六角弾正が桑名周辺の騒乱を取り鎮めるまでは中立とやらを保証しよう。ただし、その後のことは兄の胸先一つだ。そのことは心得ておくように申し伝えてくれ」

「承知いたしました。中書様(大原高保、中書は中務大輔の唐名)のご配慮に感謝申し上げます」


 さて、どうなるかはわからんが神戸と関は六角被官として臣従する可能性があるな。

 兄上に文を出しておこうか。


 それと長野を敵としている限り心配無いとは思うが、念の為に神戸への警戒も怠らぬようにはしておこう。




 ・享禄三年(1530年) 九月  伊勢国員弁郡 金井城  六角定頼



「御屋形様!大木孫太郎殿、南部甚五郎殿が参られました!」

「うむ。通せ」

「ハッ!」


 小姓が下がると、入れ替わりに髭おやじが二人入って来る。

 どちらも満面の笑みを湛えている。こちらも満面のスマイルを繰り出してやろう。

 なにせ、この二人は朝倉・横瀬が桑名松岡城に攻めかかるのを反転して打ち破ってくれた。伊勢国人衆の中では間違いなく武功第一だ。


「大木孫太郎に南部甚五郎だな。此度の松岡城の救援では良く働いてくれた」

「ハッ!弾正少弼様から直々にお褒めを頂くとは光栄にございます!」

「我ら北方一統(北伊勢国人衆の内北方を地盤とする一統)今後は六角様のお下知に従いたくお願いに上がりました!」


 さすが梅戸高実の手回しだな。あっちも最初からそのつもりなら話は早い。


「相分かった。改めてその方らの忠誠を受け取ろう。これはその心意気に対する俺の返事だ」


 小姓から受け取った書状を二人に手渡す。

 直筆の感状だ。これでこの二人は梅戸と共に六角家臣として正式に取り立てることになる。


「おお……感状を下さるとは末代までの誉れ。有難き幸せにございます」

「無論、その方らの本領は安堵いたす。今は兵を休め、引き続き長野攻めに加わるが良い」

「ハッ!我ら御屋形様に忠誠を誓いまする」


 よし、これで桑名までの道は完全に確保したな。

 あとは、桑名の津の対策だ。今頃は伴庄衛門が説得に向かっているはずだ。


 摂津はまだ膠着状態が続いている。高国が頑張っているというよりは三好がまだ積極的に攻めていない。

 逆にいつ動くのかという不気味さはあるが、今のところ西の戦線は問題ないだろう。


 越前は一向一揆に手こずっているようだが、意外なことに朝倉景紀が奮戦している。浅井亮政が客将として参陣し、なかなかの戦功を上げているようだ。

 考えてみれば浅井亮政も戦乱にあって北近江国人衆を率いて戦い、美濃や南近江に侵攻もしている勇将だ。朝倉宗滴ほどではないにしても、朝倉景紀と浅井亮政のコンビはそれなりの戦力になり得るか。

 もしかしたらこっちの歴史では浅井は景紀配下の勇将とかになっちゃうのかもな……

 とはいえ、一向一揆に決定的な戦果を上げる事は出来ていない。


 摂津も越前も戦乱が収まるまではまだ時間が掛かるだろう。今のうちに桑名の権益まで抑えてしまいたい。本当を言えばこれが真の目的だ。


 そのためにも、伴庄衛門の説得がカギだ。頼んだぞ。




 ・享禄三年(1530年) 九月  伊勢国桑名郡 桑名の津  伴庄衛門



「では、六角様は我ら桑名の権益を取り上げると仰せになっているわけですな?」


 言い方に険悪さが滲む。私の交渉相手は桑名三人衆と呼ばれる桑名十楽の津の会合衆だ。

 桑名は古くから『公界』として守護不入の権益を守って来た誇り高い自治都市だ。六角様は桑名に矢銭を出すように説得せよと申されたが、そもそもそういった特定の守護に与することを拒否してきたことが桑名の誇りでもある。

 やはり一筋縄ではいかぬか。


「権益を取り上げるとは申されておりませぬ。六角様はあくまでも桑名をご自身の保護下に置きたいとの仰せでございます。いわば、石寺楽市と同じように桑名を扱うとの仰せです」


「同じことでございましょう。六角様の庇護に入るということは、六角様と敵対する守護との商売は控えよと言われているも同じ。我らの自治は全て骨抜きにされる」

「左様。今の桑名には科人とがにんなども参っておりますが、六角様に逆らった者達は追い出されることになる。これでは自治独立とは言えぬ」

「この桑名は禁裏御料の地でございます。それを横領しようとは帝に対する不敬と取られてもやむを得ますまい」


 やれやれ、一言いえば百言返ってきそうな勢いだ。

 よほどに六角様の軍勢を恐れているのだろう。しかし、自治独立の誇りは失いたくはない。人の心とは難しいものだな。


「お手前方の自治を誇るお気持ちはよく分かります。ですが、商人ならば商売のことを第一に考えて下され。

 今や桑名と石寺は商いにおいて太い繋がりが出来申した。桑名の津が仕入れる品物は我らが石寺に運ぶことで莫大な利を産んでいるはず。お互い六角様の保護下で商いを行えば、お互いにより大きな商いに発展させることができましょう。

 また、六角様は商いについてよくご理解されております。誰に売っていい、誰に売ってはいかんなどということは仰いません。むしろ敵地であっても『どこそこに商売をしに行けば儲かるのではないか』などと仰せになります。

 自ら軍勢を用意するよりも安く、より強力な軍勢の保護を受けられると考えてはいただけませんかな?」


 まあ、敵地での商売は敵地の情報収集も込みで仰せられているのだがな。

 今の段階でそこまでつまびらかにする必要もあるまい。


「しかし、まことに六角様は我らの商売を認めて下さるのですかな?保内衆は最初から六角様に保護されておった故何ら心配を持っておられぬのだろうが、後から従う者はどうしても冷遇されるのではないかという不安が付きまとう。ひとたび矢銭など支払えば、後は際限なく奪い取られるのではないか?」


 中野又左衛門殿が厳しい顔を崩さずに問いかける。

 よほどに不安を持っているようだな。目がうろうろと落ち着かぬ。すぐそこに六角軍二万が控えているのだから武力を持って制圧されればどうしようもないと理解はしていよう。


「御不安があるのならば、一度お会いになってみますか?」

「会う?六角様と?」

「まことに我らにお会いになるのか?」

「ええ、六角様も一度直に話してみたほうが良いかもしれぬと仰せでした。お三方がお会いになりたいと申されれば、明日にでも連れて来いと仰せになるでしょう」


 三人が顔を見合わせる。

 ようやく不安の色が和らいできたか。下交渉はこんなものかな。

 宿に戻ったら金井城に文を……


「わかった。明日にでもお会いしたいと思う」

「承知しました。では、これから金井城に同道頂きましょう」

「今からか!?」

「ええ、善は急げと申しますからな。さ、参りましょう」


 文を書く手間も省けたな。さて、私の仕事はここまでだ。桑名衆の説得という仕事は六角様にお返ししよう。


――――――――


ちょっと解説


ここで登場する神戸具盛は信長の配下として有名な神戸具盛のおじいちゃんになります。

同姓同名なのでややこしいですが、神戸信孝の養父の神戸具盛とは別人です。


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