大物崩れ
・享禄三年(1530年) 十月 摂津国欠郡 勝間 三好一秀
「殿!赤松軍を率いる明石修理亮が神呪寺城に着陣したと報せが参りました!」
「よし、態勢は整ったか」
ふむ。篠原大和守(篠原長政)の報告に殿の目が活き活きとされた。矢戦ばかりで退屈だったが、これでようやく前線を進めることが出来るか。
「大和守(篠原長政)。近江屋には話は通してあるか?」
「ハッ!内池甚太郎には浦上陣へ兵糧を売りに行くように申し付けてあります」
「よし、では配下の者を近江屋に同行させよ。浦上陣で噂をばら撒け」
「ハハッ!」
具足を鳴らしながら大和守が駆けて行く。噂をばら撒くだと?一体どんな噂を撒くのだ?
「殿、どのような噂を広めるのですかな?」
「ん?気になるか?民部大輔(三好一秀)」
「はい。赤松がこちらに付いているなら、不意を突いて前後から挟撃するのが上策と某には思われます」
殿が不敵に笑う。
はて、我が殿はこのように不敵に策を巡らすお方だったかな?どちらかと言えば正面からひたと押して戦をするお方だと思っていたが……
「なに、儂も六角と対抗するために小細工とやらを覚えねばならんと思うてな」
「はあ……?」
「ふふふ。浦上陣には赤松が裏切って後ろから攻めかかって来ると噂をバラ撒かせたのよ」
「なんと!それでは不意を突くことが出来ませぬぞ!」
「わかっておる。だが、相手は腐っても二万の大軍だ。それに木津川の北は川の中州に当たる湿地帯だ。いくら不意を突いたとしてもこちらも進軍の足が鈍らざるを得ぬ」
「それは……確かにその通りではありましょう。しかし、ならば尚の事不意を突かなければ勝利は覚つかぬのでは?」
せっかくこちらが持っている切り札なのだ。殿はそのことを六郎様(細川晴元)にすら伏せて情報が流れ出ることを防いでおられた。
それをよりにもよって敵勢に知らせて一体どうなさるのか。
「浦上は噂を聞けば現実を思い出すだろう。今は天下人となった自分の姿に酔いしれておるが、前後を挟まれれば死地に陥ることくらいは分かるはずだ」
「左様ですな」
「ならば、その時を見計らって我らが押し出せば、敵陣はますます動揺するとは思わぬか?」
……なるほど。湿地帯に陣している浦上軍には素早い動きは難しいか。
例え赤松の裏切りが発覚したとして、すぐさま素早く退却することは出来ぬ。大軍であるがゆえに軍を退くのにも時がかかる。
「つまり、敵勢が退却する暇を与えずに攻め寄せるということですな?そのために情報を秘匿して明石修理亮の着陣を待っておられた、と」
「その通りだ。明石の着陣も含めて儂の策だ。後は噂が広く行き渡った頃合いに儂らが正面からひたと押せば、相手は勝手に崩れ立ってくれる。赤松裏切りの噂は浦上美作守(浦上村宗)本人よりも各所の兵にこそ動揺をもたらす。動揺した兵でどれほどの抵抗ができるのか見ものだな」
ふふふ。我が殿は一回り頼もしくなられた。この老骨の血も滾るというものだ。
「ならばこの民部大輔に先陣を仰せ付けられたい。殿の槍として道永の首を挙げてご覧に入れましょう」
「うむ。期待している。だが、今は内応の毒が浦上陣に深く広がるのを待つがよい。こちらの出陣は一月後とする」
「承知いたしました」
さて、我が配下の者にも気合を入れ直さねばな。
二カ月以上も向かい合っての矢戦だったから多少気が抜けておる。殿が攻めの姿勢を見せぬ以上如何ともしがたかったが、白兵戦が迫っているとなれば気合も入るだろう。
……ふむ。阿倍野の森もあと一月で見納めか。
一月後には、我らは木津川を越えて野田・福島の砦に迫っているだろう。森の向こうから飛来する矢には飽き飽きしていたが、こうとなれば森の景色も懐かしく感じて来るから不思議なものだ。
・享禄三年(1530年) 十一月 摂津国欠郡 今宮 浦上村宗
「殿!三好軍は次から次に紀州街道を攻め上って参ります!前方には三好の大幟を視界に捉えたとの報告もあります!本陣ごと北上している模様です!」
陣中で思わず爪を噛む。
三好め……まさか赤松次郎(赤松政祐)の軍勢が到着するのを待っておったのか?
こうとなれば赤松は三好と通じているとの噂も真実味を帯びてくる。もしや本当に次郎は儂を裏切っておるのか?
「我が方も兵を繰り出せ!こちらとて二万の軍勢を抱えておるのだ!敵は一万。道永様(細川高国)の後詰があれば充分に盛り返せる!」
「こちらの兵は赤松様の兵が攻めてくるとの噂に恐れおののき、皆正面に出ようとしません」
「なんだと!?物頭達は何をしておる!」
「物頭達の叱咤にも関わらず逃げ出す足軽も出始めております!こちらは戦うことが出来ません!」
くそっ!
赤松次郎の恨みを忘れていた儂の落ち度であるとは言え、倍の兵力を有しながら槍合わせもせずに逃げ出すとは……
「やむを得ん!足軽共を下げて譜代衆の長柄隊を正面に出せ!こちらも主力を全て出す!」
「ハッ!」
島村が陣幕を上げて部隊の指揮に戻る。
所詮足軽などは勝ち馬に乗る事しか知らぬ根無し草か。最後に頼りになるのはやはり譜代の臣だけよ。
鬨の声が響き、長柄隊が前進を始める音が響く。
冬も近いというのに今年は妙に暖かい日が続くな。今も吹く風に生暖かさが混じる。まるで血の匂いを運んでくる地獄の風のようだ。
ふっ。儂としたことが弱気になっておるのか?
逆だ。ここで三好を打ち破れば儂は天下人となれる。天下に号令するのは六角でも三好でもない。この浦上村宗よ。
心を強く持て。ここが儂の天下を引き寄せる壇之浦だ。
「道永様に使者を出せ!至急後詰をお願いしたいと!」
「ハッ!」
使番が一騎駆けだす。これで打てる手は全て打った。出し惜しみは無しだ。
「馬廻衆付いて来い!兵の士気は兵力の差で埋める!我らは敵の倍の兵力があるのだ!」
「おお!」
よし、譜代の者達はまだ戦う意思を持っておる。これならばまだまだ戦える。
三好筑前よ。戦を決めるのは兵力だ。戦は数なのだ。
意気揚々と前線に出てきた貴様を返り討ちにしてくれるぞ。
・享禄三年(1530年) 十一月 摂津国欠郡 天王寺 三好元長
ふむ。
浦上美作め、なかなかやる。士気の崩れた足軽には矢だけ射らせ、槍戦は播磨譜代の衆を繰り出して来たか。
さすがは播磨一国を切り取った男だな。最後の最後まで戦おうとする姿勢は武士の誉れよ。おかげで足軽の中にも槍戦に混じる者が出て来た。
あれほどの忠義心が摂津国衆にもあれば良いのだがな……
見とれている場合ではなかったな。
「正面の播磨勢は民部に任せよ!後ろから矢を射る足軽共を騎馬で蹴散らせ!」
馬廻の騎馬が数十騎駆けだす。こちらも阿波から連れて来た精鋭を当てて行く。お互いに出し惜しみは無しだ。
「殿!敵の長柄隊は意気も盛んに攻めかかっております!これ以上民部大輔殿だけでは厳しいのではありませんか?」
「大和守。心配致すな。三好の柱石たる民部をもう少し信用せい」
大和守も心配そうな顔をして前線を見つめておる。
先ほどからこちらの足元にも矢が数本刺さっている。落ち着かぬのであろうな。
……うむ。
騎馬の一隊が足軽共に突入した。やはり足軽の士気は低い。騎馬の突入を受けて四分五裂しておるわ。
槍や弓を放り出して逃げ出す姿がここからでも見える。
「大和守!騎馬三十を率いて播磨勢の側面を突け!ひと当てしたら離脱して戻って来い!」
「ハッ!」
騎馬武者三十を連れて大和守が駆け出す。
左右の足軽は既に逃げ出した。旗本衆は丸裸になっておるぞ。ここからどうする?浦上美作守。
……ん?
敵勢の崩れがひどくなった。後ろで何か起こったか?
使番が駆け込んで来るな。
「伝令!」
「申せ!」
「木沢勢三千が木津川を越えて道永本軍へと攻めかかりました!道永軍は湿地に足を取られて進むも退くもままならぬとのことです!」
もう一騎入って来た。
「伝令!」
「申せ!」
「明石修理亮が矛先を変じて道永軍と浦上軍の後ろに攻めかかりました!もはや敵勢の混乱は目を覆うばかりにございます!」
よし。機は熟した。
「全軍前進!全軍を持って木津川を越える!浦上軍を踏みつぶして道永本陣を粉砕するぞ!
寄せ太鼓を打て!法螺貝を鳴らせ!全軍前進だ!」
太鼓と法螺貝の音が鳴り響く。一拍遅れてあちこちで鬨の声が響き、まるで大地が鳴動しているような大歓声が上がる。
いよいよ全軍突撃だ。儂の血もようやく滾って来たわ。
槍持から槍を受け取ると満を持して全軍が動き出す。見る見るうちに民部大輔の旗が間近に迫って来る。
我が陣の長柄隊が浦上の先頭と間もなく接敵するな。
―――いけ!
念じると同時に敵味方の旗指物が大きく揺れる。槍戦が始まったか。
「怯むな!押せ!」
敵勢は正面を支えきれずにずるずると後退していく。間もなく木津川が見える。
文字通り背水の陣とはなかなか洒落ているではないか。しかし、その川が貴様らの墓場だ!
・享禄三年(1530年) 十一月 摂津国武庫郡尼崎『京屋』 細川高国
くそっ!
赤松次郎め。管領たる儂を裏切るとはどういう了見だ!
浦上は良く働いてくれたが、これまでか……
儂の軍勢も退却途中に野里の渡しで悉く中津川に没してしまった。何とか命からがら逃げ延びたが、大物城も赤松に抑えられていて如何ともしがたい。
しばらくこの京屋とかいう商家で身をかわすか。
ここは紺屋(染物屋)であろうか。あちこちに染料を入れる甕が置いてあるな。
民草もこの戦で逃げ出してしまったのであろう。考えてみれば民草も憐れなことよ。
それもこれも六角に三好、そして細川六郎。あ奴らが素直に儂に従わぬからこうなる。
天下を乱す不届き者よ。今一度儂が天に成り代わって成敗してくれる。
……む。
いかん。三好の配下の者か。数名が尼崎の町屋を探し回っておる気配がする。
”いたか?”
”いや、ここにも居ない!”
ふん。雑兵共が。貴様らに見つかる儂ではないわ。儂は管領、右京大夫であるぞ。
”道永は巨躯の男だと聞く。町屋で隠れる場所は少ないはずだ”
”この辺りにはいないのではないか?”
”念の為すべての町屋を当たれ”
おっと、この京屋へも踏み込んで来るか。
どこか隠れる場所は……この甕は空だな。よし、この甕ならば儂の体がすっぽりと隠れるだろう。
くそっ。狭い。
念の為蓋も閉めておくか。
……暗いな。
今少しの辛抱だ。ここを逃げ延びて西国に参ろう。もう一度大内を口説いて支援させるのだ。
ええい、早く諦めて他所を探しに行け。
”ここはどうだ?”
む。京屋に入ってきたか。しかし、中を見ただけでは儂の姿は見えまい。
はよう諦めて他所へ行け。
”……様を呼んで……”
何だ?何をヒソヒソ話しておる。
くそっ!どいつもこいつも儂の意に添わぬ奴らばかりだ。
うむ。静かになった。ようやく諦めたか。
……うん?
尻が……抜けぬ……くっ!ふぬ!
……む!
何やらガチャガチャと音がする。これは足軽の腹巻の音ではないな。まるで大鎧のような……
!!
甕の前で音が止まった。まさか気付かれたか?
む!眩しい!蓋が開いた……
「道永殿ですな?儂は阿波国人、三好民部大輔一秀と申す」
「……何故儂がここに潜んでおると分かった?」
「なんともご立派な大鎧ですな。甕の横に置いてありまするが」
不覚!かくなる上は……
「三好一秀とやら、頼みがある」
「お腹を召したいということならば、某の一存では……」
「安心せい。そうではない」
「……では、何事でしょう?」
「手を貸してくれ。一人では甕から出られん」
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