角屋水軍

 

 ・享禄三年(1530年) 十二月  伊勢国員弁郡 金井城  角屋元秀



「松本七郎次郎と申したな。面を上げよ」

「ハッ!」


 これが六角弾正様か。噂では智謀の化身とも言われる謀将とのことだが、目の前にいるお方はどう見てもそれほどに恐ろしいお方には見えぬ。

 どちらかと言えばニコニコと笑って気の良いお方に見えるな。


「話は聞いておる。保内の求める鰯を集めてくれているそうだな」

「ハッ!保内衆を始め、近江の商人方には良き商いをさせて頂いております」

「ふむ……物は相談だが、浜田に拠点を作って水軍を率いる気はないか?」


 ――!!


 俺を水軍の棟梁に?持ち船一つで伊勢湾を航行して小さな商いをしているこの俺を?

 ……正気なのか?


「恐れながら、有難きお申し出なれど某には水軍を組織するような力はありませぬ。今の某の資産と言えば持ち船一つに『角屋』の屋号だけ。

 とても水軍と呼べる代物では……」


「船は六角家が用意しよう。人を雇う銭もだ。お主がやると言うのならばお主はたった今から角屋水軍の棟梁だ」


 目線がまともにぶつかる。

 先ほどまでの柔らかな笑顔ではない。このお方は俺を試しているのか。


「桑名も先日俺の支配下に入ったばかりだが、桑名には桑名の水軍衆の流儀というものがあるだろう。俺には旧態依然とした体制の中で収まる水軍など必要ない。

 俺は浜田の湊に新しい水軍衆を作りたい。お主が出来ぬというならば他を当たるだけだ」


 つまり、自分の意のままに動く水軍を欲しているというわけか。

 確かに六角家の後ろ盾があれば新たな水軍衆を組織することもできるだろう。近江には湖の水軍衆がある。海と湖は違うとはいえ、六角は既に水軍衆を持っている。それらを海に持ってきてもいい。

 まして、帆や櫓櫂などの工夫は近江発祥の物が伊勢でも使われている。経験さえ積めば伊勢湾を暴れまわる水軍衆へと変貌するだろうな。


「……一つ気になることがござる」

「何かな?」

「六角様から援助を受けたとして、某が裏切るとは思われませぬので?」

「はっはっは。無論、俺を裏切れぬようにするさ。お主の水軍衆には兵糧を始め、木綿帆や武器なども優先的に提供しよう。お主はそれを地盤として水軍衆を組織することになる。

 ……俺を裏切れば、お主の地盤が音を立てて崩れるだけだ」


 なるほど。見た目と違ってなかなかに抜け目がない。

 今のニヤリと笑う顔はいかにも稀代の智将と呼ぶに相応しいしたたかさを感じる。


 だが、望むところだ。

 どうせ俺がやらなければ誰かがやる。話を聞いてしまった以上、その誰かが伊勢の海を制するのを指をくわえて見ているなど我慢ができるはずもない。

 やってやるさ。俺には失う物など元々ないのだ。むしろ、漁民相手のケチな商売から脱却する好機だ。


「有難きお申し出です。喜んで六角様の水軍として働かせて頂きます」

「よろしく頼む。まずは船を作らせる資材と資金を提供しよう。お主は水夫を集めろ。船と人手を揃えてまずは堺との廻船を営むがいい」

「堺と……それはまた、大きな商売を志しておられますな」

「無論だ。伊勢の海だけで満足してもらっては困るぞ。これよりは保内の荷を優先的に回すように計らう。堺の内池甚太郎と連携し、近江から伊勢を通じた堺との物流を作り上げろ。それが『角屋水軍』の最初の仕事だ」


 ふふふ。やはり俺の目に狂いは無かった。

 これからの伊勢は六角家が支配する。我ら角屋水軍は六角の水軍として伊勢一番の水軍衆にまで上り詰めてやるぞ。

 まずは安濃津、大湊、山田の水軍衆と争っていかねばならん。




 ・享禄三年(1530年) 十二月  伊勢国鈴鹿郡 亀山城  六角定頼



「此度は六角様の御来援に感謝の言葉もございませぬ。まこと、ありがとう存ずる」

「なに、弟の求めに応じて六角に従う決断をしてくれたことをうれしく思う。味方を助けに来るのは当然の事だ。それに、六角軍が来るまで城を守り抜いたその方の戦ぶりこそ見事だ」

「有難きお言葉」


 関安芸守が白髪交じりの頭で平伏する。

 千草城も無事に制圧し、北伊勢は全て俺に降った。まあまだいつ背くかわからん状態だが、内政開発によって領地が豊かになればそれだけ六角の傘から外れるリスクも増すことになる。

 結局は領地を豊かにすることが政権の安定に繋がる。経済政策はいつの時代も政権の安定には必須の物だ。


「今一人、弾正様にお目通りを願っている者がおりまする」

「うむ。聞いている。通すが良い」


 関安芸守が目配せすると一人の男が広間の廊下に座って平伏する。

 あれが神戸具盛か。信長に降ったことで有名な神戸具盛の祖父にあたる男だ。


「此度の戦にて最後までお味方せなんだことを心からお詫び申し上げます。にも関わらず神戸家をお赦し頂いた弾正様の寛大なご処置に感謝の言葉もございません」

「ふむ……神戸下総守よ。傍らの若者は誰だ?」

「これは某の末の息子で又十郎にございます。我が忠誠の証にと……」


 人質という訳か。だが、そんなモンは要らんね。

 裏切りを防ぐために人質なんざ取っても意味は無い。


「せっかくだが、人質ならば無用だ。忠誠を示したその心意気だけ受け取ろう」

「は、いえ、しかし……」

「人質が居た所で裏切る者は裏切る。人質を捨て殺しにしてな。それが乱世の習いであろう?」

「……」

「であれば、人質を取ることに意味はない。俺を裏切りたければいつでも裏切ればいい。その時は容赦なく潰すだけだ。そのことを理解していればそれでいい」

「……ハッ!これよりは弾正様のお下知に終生従いまする」


 関安芸守に伴われて神戸具盛が又十郎と共に下がって行った。

 どのみち俺を裏切れば経済が立ち行かないようにするだけなんだから、人質なんか貰っても手間がかかるだけだ。

 伊勢湾を制圧すれば自然と伊勢の経済は六角抜きに回らんようになる。そのために角屋七郎次郎をスカウトしたんだからな。


 本当を言えば九鬼水軍が欲しかったが、九鬼はまだ嘉隆の祖父の代で北畠配下の国人衆の一人でしかない。陸もそうだが、今の伊勢は海の覇権も確定していない状況だ。今から水軍を立ち上げれば、それなりの勢力に育つだろう。

 歴史に無かった角屋水軍だ。これがどう転ぶかは俺にもさっぱりわからん。もしかしたら九鬼にあっさり負けるかもしれん。ま、その時は陸から制圧するだけだがな。


 さて、問題は今後の北伊勢の統治だな。

 とりあえずは北近江方式で北伊勢の内政を梅戸高実に任せようか。問題は軍奉行を誰にやらせるかだが……旗本衆から選任するか。


 ……うん。そうだな。旗本が出世コースという印象を植え付けるには絶好の機会かもしれない。軍を率いる立場の者は基本的に旗本から選ぼう。そうすれば出世の為に旗本になりたがる者も出てくるだろう。

 部屋住みの次男や三男なんかはこぞって旗本衆に志願してくるはずだ。常備軍も充実するし、血の気の多い者には領地経営なんかやめて旗本衆で一旗挙げるという選択肢を提示することにもなる。


 そして、文官のトップが内政官だ。それは国人衆から選ぶ。できれば当地の国人衆が望ましいな。

 今後の占領地はそういう体制で統治していこう。

 最悪でも軍事を六角家の直轄にしておけば反乱の芽はある程度摘み取っていけると思う。


 差し当たって北伊勢の軍奉行は北河又五郎に任せよう。

 北河は今回の戦でも随分働いたし、史実でも浅井方の勇将として定頼を苦しめている。軍事的な能力は問題ないだろう。当面の敵は長野になるから千草城を軍奉行の拠点ということにしようか。

 いずれは海沿いに城を築いて水陸の連携を取れるようにしていこう。


 そういや、桑名を抑えたことで木曽川を挟んで尾張と国境を接することになってしまうな。

 そうなると北河又五郎ではちょっとマズいかもなぁ。織田信長の相手が務まる者となるとそうは……


 ……待てよ。


「新助。尾張の織田の当主は今誰だ?」

「織田ですか?さて、どの織田でしょうか?」

「えーと……清洲城を抑えている方だ」

「清洲織田であれば今の当主は大和守達勝ですな。今年の始めに上洛して参ったと噂に聞きました」

「信秀は?」

「信秀……はて……」


 やっぱりか!そうだよ。うっかりしていた。

 俺は信長の祖父世代なんだ。今は父親の織田信秀がようやく一人前になったくらいだ。


「恐れながら、清洲織田家の家老である織田弾正左衛門信定の嫡子が、確か信秀と申したかと」


 梅戸高実が横から口を挟む。さすが尾張最前線に居る梅戸だ。尾張の事もある程度知っているのか。


「その信秀だが、今どうしているかわかるか?」

「三年程前に信定から家督を譲られ、今は勝幡城を本拠地にする織田弾正忠家の当主となっておると聞き及びます」

「子は居るのか?」

「さて、そこまでは……ただ、居てもおかしくはないかと思います」


 ふむ……

 信長がもう産まれているとしてもまだ赤子くらいだ。それなら問題にはならんだろう。

 いや、確か信長が1582年で大体五十歳だから、今はまだ産まれていないな。


 そうだ!そうだよ!何ビビッてたんだ俺は。

 いくら現代で信長が稀代の英雄だとしても、今の時代にはまだ精子にすらなってないクソガキじゃねぇか。

 今なら勝てる……かもしれない。このまま尾張に進軍してしまえば……


「御屋形様、京より至急の文が参っております」


 小姓に声を掛けられて思考を一旦中断する。

 蒲生定秀からか……どれどれ……


「文には何と?」

「摂津で道永(細川高国)が負けた。広徳寺で腹を切らされたらしい」

「いよいよ三好と当たらねばなりませんか」

「そうなるな」


 いいタイミングだよまったく。

 これで俺は否が応でも近江に戻らないといけなくなった。京の蒲生定秀にいつでも後詰を送れるようにしなければ。尾張遠征なんてやってる場合じゃないな。


「新助、軍勢をまとめろ。場合によっては全軍を京へ向けねばならんかもしれん。一旦観音寺城に戻るぞ」

「ハッ!」

「六郎(梅戸高実)は引き続き北伊勢を抑えてくれ。特に長野と北畠の動きに気を付けろ。北河又五郎と兵三千を鎮圧軍に残しておく」

「ハッ!」


 さて、伴庄衛門から聞き取りをしなければな。三好が相手となるとこちらも相応の準備をせねばならん。

 東海地方への進出はしばらくお預けだ。

 北伊勢を制圧して桑名を支配下に置いたことで今回は満足するしかないな。


――――――――


ちょっと解説


ここで登場した角屋七郎次郎元秀ですが、実は子孫は伊勢松坂の廻船問屋として大手の水軍衆となる人物です。

息子の七郎次郎秀持は徳川家康の御用商人として北条氏との取次も務め、小牧長久手の戦いでは軍船も出しています。


主人公はたまたま保内へ干鰯を納入していた縁でスカウトしていますが、アタリを引いているという設定です。

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