違和感

 

 ・大永二年(1522年) 十二月  近江国蒲生郡 音羽城攻め本陣  六角定頼



「城方はそこまで弱っているか」

「ハッ!すでに動ける者は五十名に満たぬとのこと。今ならば和戦いずれにしても勝ちを得られましょう。いかがなさいますか?」

「そうだな……」


 ……んん?

 ちょっと早くないか?俺の記憶じゃ、この日野攻めは三月くらいまでかかったと思ったんだが……

 本当は年末の段階でそこまで城方は弱っていたのか?


 仮に歴史が変わったとしたら、要因は何だ?俺はどう史実から外れた?


 ……わからん。

 確かに肉食いたさに牛馬を増やそうとしたし、布団や暖かい衣類が欲しくて綿花栽培を始めた。だが、それくらいのはずだ。

 たったそれだけのことで歴史が変わるなんてあるか?

 第一、牛馬の飼育は定頼の晩年期に保内商人が牛馬の売買を独占するほど盛んになっていたし、綿花栽培だって関ケ原合戦前には既に導入されていた。

 俺はほんの少し時代を先取りしたに過ぎない。この時代にない技術や知識を使ったわけでもない。ただこの時代に普通にある物を活用しただけだ。

 それでそこまで食い違いが出てくるものなのか?


「……かた様。御屋形様」

「ん?どうした?」

「いえ、突然黙り込まれたもので……」

「ああ、済まん。考え事をしていた。ともかく、夜が明ければ城方へ降伏勧告を行おう。

 進藤新助を行かせる。藤十郎もついていってくれるか?」

「承知いたしました」


 一礼して藤十郎は下がって行った。


 歴史の変化か……しかし、こればっかりはいくら考えてもわからん。

 ともかく、これ以上歴史から外れるような真似はやめよう。下手すると史実にない『定頼の敗北』なんてことが起きるかもしれん。

 最悪の場合、そのたった一回の敗戦で討死なんてことも無いとは言えない。


 おお~怖い怖い。

 やっぱ答えを知ってる安心感が無いとダメだわ。未知の歴史を生きるなら、一体何の為の楽勝人生だって話だ。

 しかし、歴史が変わっていたとして、今から取り返しがつくんだろうか……


 ダメだダメだ。起きてると次々に嫌な考えが頭をよぎる。

 こういう時はさっさと寝よう。寝て起きたらまた元通りに決まってる。俺は六角定頼として生きるんだ。



 ……本当に、大丈夫だよな?




 ・大永二年(1522年) 十二月  近江国蒲生郡 音羽城内  蒲生定秀



「我が主は、今降るならば藤兵衛殿の命までは取らぬと申しております。これ以上はお城方も戦えますまい。どうかご英断をお願いいたします」


 音羽城の広間に進藤新助殿の声が響く。大仰に頭を下げているが、どちらが優位にあるかは一目瞭然だ。

 上座では従兄弟の藤兵衛尉が不機嫌な顔をして座っている。

 震えているのは寒さ故か、あるいはそれ以外の理由があるのか……


 藤兵衛の周りには家老の町野将監や原藤右衛門が座しているが、いずれも藤兵衛に縋るような視線を向けている。

 もはや家臣の総意は降伏で固まっているようだな。


 まあ、当然だ。これ以上籠っても勝てる見込みはない。今ならば力攻めにしても六角軍の被害は最小限で済むだろう。

 城内に残った兵達も皆暗い顔をして震えていた。もはや城方に戦意は無い。これ以上家臣を苦しめる必要はないはずだ。


「降伏はせぬ。弾正殿にはいつでもこの城を攻めよと申すがよい」

「殿!」

「兵衛様!」


 呆れたものだ。ここに至ってもなお、意地を張るか。

 一体何が藤兵衛をそこまで駆り立てる?それほどの憎しみを抱くほどの何かを御屋形様がされたのか?


「藤十郎。貴様、ぬけぬけと良くもわしの前に顔を出せたな」

「主命でございますれば……」

「主命だと!貴様は一体誰に育ててもらった!貴様がその図体でいられるまで日野を守って来たのは一体誰だと思っている!

 恩を仇で返すとはこのことだ!」


 やれやれ、これだからこの従兄弟は好かんのだ。

 確かに蒲生の当主として日野を治めて来たのは伯父の秀行だが、その武を司って来たのは我が父高郷だ。

 誰のおかげというなら、一体今まで誰のおかげで戦に勝てたと思っている。


「これ以上の話し合いは無益なようですな」

 新助殿が話を切り上げる。確かにこれでは、交渉にもならんな。


「お待ち下され!あと三日!あと三日だけ猶予を頂けませぬか!」

「町野!貴様何を勝手に……」

「お願い申します!」


 新助殿がため息を吐く。どうやら説得しようとしているようだが、たった三日で藤兵衛が考えを改めるかな?


「……承知いたしました。我が主が許せば、三日後にまたお目に掛かりましょう」


 俺も新助殿と共に頭を下げて退出した。

 三日か……何と言って説得するつもりなのかな?

 あるいは……




 ・大永二年(1522年) 十二月  近江国蒲生郡 音羽城攻め本陣  六角定頼



「三日の猶予を頂きたいと城方からは申し出て参りました」

 進藤新助と蒲生藤十郎が復命にやって来た。蒲生秀紀はまだ降参はしないと言っているそうだ。


 そうだよな。そうこなくちゃ。秀紀は三月まで頑張る。それが史実だ。

 あ~ビビって損した。やっぱ寝て起きたら元通りじゃないか。


 おっと、ここは喜んでちゃいけない場面か。二人とも不審そうな顔をしている。重々しい雰囲気で頷かないと。


「そうか……ならば、三日待つとするか」


 三日どころかあと三カ月だよ。せいぜいグダグダやっとこう。


「御屋形様。某の見た所、城方は既に戦える状態にありません。今ならば力攻めでも城は落ちるのではありませんか?」


 藤十郎!余計なことを言うんじゃない。

 俺はあと三カ月を悠々と過ごすと今決めたんだ。もう戦は無しだ。小競り合いもしない。

 あと三カ月も耐えてもらわなきゃならんのだからな。これ以上城方を追い詰めてどうする。


「いや、それには及ばぬ」

「何故でございます」

「我らはこのままでも不都合はない。そうだろう?」

「それは……確かに……」

「であれば、例え一兵と言えども無駄に失う気はない」

「……承知いたしました」


 納得したか。我ながらいい言い訳だ。

 むしろ力攻めなんてしたら都合が悪いんだよ。言えないけど。


 さて、ともかくもあとは三月までは生かさず殺さずだな。ちょっと警戒網を緩めるか。

 史実の定頼もおそらく完全に外部との連絡を遮断まではしていなかったんだろう。ちょっと城方の心が折れるのが早すぎる。定頼に倣おうとし過ぎて張り切り過ぎたのか。

 危ない危ない。


 とりあえず、三日後の交渉ではこちらの意向として戦だけは避けたいという事を伝えさせよう。


 ……この状況で無理矢理戦を避けるのは不自然すぎるかな?


 ええい、構うもんか。ともかく俺は戦を徹底的に避け、秀紀は三月まで頑張る。それでいいはずだ。

 期待しているぞ。秀紀。




 ・大永二年(1522年) 十二月  近江国蒲生郡 音羽城  蒲生秀紀



 くそっ!

 弾正めが嫌らしい手を使いおって。このままでは本当に家臣が全員凍え死んでしまうかもしれん。

 ともかく、生き残った兵達だけでも屋根の下に収容せねば。


 降伏か……


 弾正は命だけは保証すると言っていたが、言葉一つをアテになどできん。それに、蒲生が裏切ったとなれば今まで散々に協力してきた九里殿が何と思われるか……

 最悪の場合、わしは六角ではなく九里に討たれることになる。降っても地獄、降らんでも地獄か。


 何故こんなことになった。

 六角など大した勢力ではなかったはずだ。伊庭・九里・蒲生が連携すれば封じ込めるのは容易かったはず。

 そもそもは先代の氏綱が伊庭を破ったことが原因だ。あの頃はわしもまだ若く、わしの一存で伊庭に味方することが出来なかった。返す返すも、あの時伊庭に味方しておれば今頃は……


 しかし、寒いな。居室の中に居ても火の気がないと凍えそうだ。

 何か羽織るものはなかったか?


 ……何もないか。


 そうだな。六角は最初から今の状態を狙っていたのだろう。通常であれば城に詰める者達の為に多少の冬備えはあるはずだ。だが、今年は何故か冬備えの品物がほとんど手に入らなかった。

 恐らく六角に買い占められていたのだろう。

 六角軍に包囲されても、ここまでの長滞陣をするとは思ってもみなかった。六角が軍を退いてから冬備えを始めれば良いと呑気に構えておった。


 ……もはやわしが腹を切って事を収めるか


 わしが腹を切れば、九里殿も事情を察してそれ以上日野に対して無体なことはするまい。

 蒲生は六角の旗の元で生き延びる。それならば、わしが腹を切れば全ては丸く収まる。


 いやいや、今にも九里殿の援軍が六角の包囲陣を破るかもしれんのだ。冬を越せる備えさえあれば、この城はまだ二年でも三年でも耐えて見せる。

 ここで心を弱くしてはいかん。


「誰ぞある!何か火を持ってきてくれ!」


 誰も反応しない。

 どうしたというのだ?侍女も顔を出さぬとは尋常ではない。


 ん?

 廊下を歩く音?


 具足を着込んでいる音だ!まさか弾正が約を違えて攻めかかったか!


「御免!」

「なんだ、町野と原か。一体その姿はどうした?まさか、弾正が……」

「我ら蒲生家臣を代表してお願いに上がりました」

「願い?一体なんだ?」

「弾正様への降伏にございます」


 ふん。今更降伏などどの面下げて出来るというのだ。


「くどいぞ、町野。降伏はせぬと言ったら……何をする!」


 こやつ、主君に向かって刀を抜くとは一体どのような了見だ。


「我らも非情の覚悟を定めており申す。もはや蒲生勢は一兵に至るまで死の淵に立っております。

 ご主君ならば、家臣を無益に死なせぬように差配致すもの。それを、己のわがままで守るどころか無益に死ねと申される殿にはほとほと愛想が尽き果てました」


「待て!わかった!その方らの言う通りにする」


「我らは、藤兵衛尉様の首を持って降伏致します。ここまで弾正様の温情を突っぱねた以上、それくらいのことをせねば蒲生は許されますまい。御覚悟を定められよ」


 この!家臣の分際で主君に死ねと申すか!生意気な!


「ならば貴様らを討って……」


 ぐっ……

 腹が熱い……

 最後は家臣にまで裏切られて死ぬことになるとは……


 惨めな……



 寒い……


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