攻め手

 

 ・大永二年(1522年) 十一月  近江国蒲生郡 音羽城攻め本陣  蒲生定秀



 音羽城を包囲してから既に四カ月が経った。

 御屋形様はどのような軍略を展開されるかと密かに楽しみにしていたが、蓋を開けてみれば何の変哲もない包囲戦だ。しかも本格的に攻めることもせず、ただただ小競り合いを続けているだけだ。


 音羽城に隙が無くて攻め口が見当たらないのか?確かに俺の目から見ても音羽城は隙の無い堅城だ。

 御屋形様はこのまま兵糧攻めになさるおつもりかもしれぬが、音羽城には三年を凌げる兵糧が備蓄されているはず。まさかにあと三年もこのまま囲み続けるわけにもいかぬだろう。


 やはり、いかな御屋形様とてそうそう妙計など出てくるものではないか。いや、それよりも御屋形様をも完封する音羽城の堅固さこそを称えるべきかもしれんな。

 蒲生の者としては多少の面映ゆさもあるが、しかしそろそろ撤退することになるだろう。最近は朝晩は冷え込みが厳しくなってきている。


「藤十郎。少し手伝ってくれんか?」


 進藤様から声を掛けられ、陣幕の外に出る。

 良く晴れていて気持ちがいいな。遠くには甲賀の山並みが真っ赤に燃えていて美しい。そういえばこうやって落ち着いて故郷の景色を見るのも久しぶりだ。


「こっちだ」

「何事ですか?」


 進藤様に付いて本陣の外まで行くと、おびただしい荷駄の列が続いていた。


「ものすごい数ですね……これらは全て兵糧ですか?」

「いや、綿入りの着込みだ。各陣に配って回る」


 着込み?冬支度ということか?御屋形様はまだ包囲戦を続けるつもりなのか?

 しかし、これ以上包囲を続けても結局はどこかの時点で撤退せざるを得なくなる。無駄に兵糧を消費するよりも早めに陣を退いた方が良い気がするが……


「どうした?何か用事でもあるのか?」

「あ、いえ、これを各陣に配ればよろしいのですね?」

「ああ、それとこれもな。御屋形様が指図して作らせた木綿の首巻だ」


 首巻……

 この晒しのような布を首に巻くのか?これも冬支度の一環なのだろうか……




 ・大永二年(1522年) 十二月  近江国蒲生郡 音羽城攻め朽木陣  朽木稙綱



 ええい寒い!


 ここ数日で途端に冷え込みが厳しくなった。

 配られた着込みを鎧の下に着込んでいるが、それでもまだ寒い。まるで刺すような寒気だ。

 首に布を巻いているだけでは首元も寒い。まあ、何も巻かないよりははるかにマシだが……


 暖かい湯にでも浸かりたいものだが、滞陣中ではそれも叶わん。

 せいぜい着込みを着て焚火たきびに当たるくらいしかできん。腹を炙っても尻が寒い。尻を炙れば腹が寒い。

 まったく何故こんなことになったのだ。


「六郎。何故俺はこんな所で寒さに震えていなければならんのだ」


 隣に立つ野尻六郎に思わず憤懣をぶつける。愚痴でも言わねば気が滅入ってしまう。


「やむを得ぬことでございます。此度の馳走は霜台そうたい(弾正の唐名)様直々のご依頼です。

 それに、農作業に支障をきたさぬように百姓兵は参ずるに及ばずとの連絡もございました。

 我らがここで年を越したとしても、朽木の収穫には影響は少ないでしょう」


「影響が少ないから良いというものでもないだろう。そもそも今回の日野攻めは、兵糧からして朽木領から持ち出しておる。にも関わらず、霜台は暖かくなるまでゆるりゆるりと攻めると抜かしおった。

 ゆるりとすれば、それだけ我らにも負担が大きくなるのが分からぬはずはあるまい!」


「今しばしの御辛抱でございます。霜台様からは卯月(四月)までは馳走をと仰せ付けられたのでございましょう?」

「ああ、最初に軍議で聞かされた時には開いた口がふさがらなかった。そもそもこの城はたったの一年で落ちるような城ではあるまい。そのくらいは俺にも分かる。

 ……まったく!霜台のわがままに付き合わされるこちらの身にもなれ!我らは六角の家臣ではないぞ!」


「殿。いささかお声が大きゅうございます」


「フン」


 まったく、何故自腹を切ってまで霜台の暇つぶしに付き合わされなければならんのだ。



「殿!伝令にございます!」


 小姓の一人が陣幕内に駆け込んで来る。伝令だと?


 陣幕の外に出ると、騎馬の若者が馬を降りるところだ。

 この者は確か……そう、蒲生藤十郎だ。


 日野の出でありながら本家を裏切って霜台に付いた変わり者の息子だったな。

 身内同士で戦などと尋常ではない。当節、身内同士で相争っているのは蒲生に限ったことではないが、それにしても気の毒なことだ。

 この者も辛い立場に立っておるだろう……


「藤十郎殿、お役目ご苦労にござるな。此度の戦ではさぞご心痛であろう」

「……お伝え申します」

「……」

「御屋形様の命にございます。”包囲陣に対する夜襲を警戒するように”と。特に夜陰に紛れて荷を運ぶ者は決して見逃さぬようにとのことでございます」


 ……この若造ガキャア!せっかく気の毒に思って和やかに話しかけてやっているのに、その澄ました顔はなんだ!


「よろしいですな。確かにお伝え申しましたぞ」


 ニコリともせずに行きおった……

 やっぱり藤十郎コイツも霜台の家臣だ!


 気に食わん!まったくもって気に食わん!そもそも霜台アイツが気に食わん!

 主従揃って気に食わん奴らばっかりだ!




 ・大永二年(1522年) 十二月  近江国蒲生郡 音羽城攻め本陣  六角定頼



 ああ、寒い寒い。夜は特に冷えるなぁ。雪がチラついてきたよ。

 もうすぐ年の瀬だし、無理もないか。


 しかし、城方はもっと可哀想だ。通常は秋になれば百姓兵を帰らせなければならないから、陣を退くのが暗黙の了解だ。つまり、城方に冬用の備えなんてのは少ない。

 木を切って焚火をすることくらいはできるだろうが、寝ている間の寒気はどうにもならん。


 この寒空に夏用の単衣ひとえ一枚で籠城戦だ。例えるなら真冬の雪が降る中を半袖短パンで過ごすみたいなもんだな。

 ……小学生の時にはたまに居たけどな。


 去年からこの日に備えて綿の実を買い占めておいたから、蒲生勢にはまともに冬用衣類はないはずだ。

 おまけに寝る時用のわらなんかも不足しているはず。厳寒期の野宿なんて、考えただけでも恐ろしい。

 史実でも日野攻めでは五百人の城方の内、実に三百人以上が戦闘ではなく寒さによってしている。冬将軍様の威力は絶大だよ。

 まあ死に様としては可哀想だが、こちらも日野は真剣に攻略しなきゃならんもんでね。


 警戒すべきは冬用の備えを城に持ち込ませないことだ。この包囲陣は攻め落とす為ではなく、外からの物資を運び込ませないことを重要視している。

 横関商人辺りはなんとかして物資を城に運び込もうと動くと思うが、それだけは防がないといけない。

 甲賀衆のうちで夜目の効く者を中心に監視網を敷いている。動きがあれば何か分かるはずだ。


 しっかし、そろそろ城方の窮状に九里辺りが包囲を破ろうと夜襲でも仕掛けて来るかと思ったが、今の所平和なものだな。


 為す術がないのか、それとも城方の窮状を分かっていないのか……

 まあ、外から見る分には俺が音羽城攻めに苦戦しているように見えるだろうから、無理もないか。


 藁や枯草を布団代わりに味方陣に配布しているが、これがまた痒いんだよな。まあ、凍死するよりマシだから贅沢は言えない。藁の山の中に潜り込んで寝るのはけっこう気持ちいいしな。


「御免仕る!」


 不意に三雲資胤が陣幕の中に入って来る。

 血相を変えているな。さては……


「御屋形様!夜襲でございます!」

「どこだ!どこに夜襲を仕掛けて来た?」

「鎌掛城より松明が三十程」

「四人に一本としておおよそ百二十か……」


 鎌掛城の正面か……蒲生高郷が兵二百で陣取っているあたりだな。


「藤十郎!」

「ハッ!お呼びでしょうか!」

「お主の父御の陣まで百名を連れて行け!夜襲があったようだ!」

「父の陣に……ですか?」

「そうだ。この辺りはお主が一番土地勘がある。済まぬが先導を頼む」

「ハッ!」

「夜襲に紛れて城方に物資を運び込もうとする輩が居るかもしれん。甲賀衆は荷駄や荷運びの者を中心に警戒を怠るな」

「承知いたしました!」


 城方からの夜襲か……

 やはり九里宗忍は音羽城の窮状を理解していないと見える。

 俺の攻め手は冬将軍だ。早く気付かぬと手遅れになるぞ……




 ・大永二年(1522年) 十二月  近江国蒲生郡 音羽城攻め蒲生陣  蒲生定秀



 夜襲と聞いて駆け付けたが、父上の陣に着くとそこら中に粥をすすりながら火にあたる兵が溢れていた。

 皆見覚えのある者ばかりだ。どうやら夜襲ではなく投降兵だったらしい。


 投降兵を率いて来た町田十郎が父上の前で震えながら火に当たっている。それほどに寒かったのか。


「お城方では冬備えも無く、火も充分に起こすことが出来ません。寝藁なども数は限られており、多くの者は城内にも入れずに外で雑魚寝をしている状態でございます」

「左様か……では、この寒さは辛かろうな……」

「はい。今夜雪が降って来たことで我らも心が折れ申した。我らはこれ以上戦えません。左兵様ならば我らを受け入れて下さるのではないかと思い、城を抜け出て参った次第でございます」


 ふむ……

 城方はそれほどに疲弊しておったか。考えてみればこの戦は夏の盛りから続けている。確かに夏の単衣でこの寒空では、戦ではなく寒さで死んでしまうな。

 保内衆からは六角陣向けの冬備えを夏前から用意していたと聞いた。おそらく出陣前には手配りを終えておられたのだろう。


藤兵衛尉とうひょうえのじょう(蒲生秀紀)はどうしておる?」

「ご家老様が説得されているそうでございますが、藤兵衛様は何としても六角に降ることはせぬと言い張っておられると聞きます」

「そうか……お城方で動ける者はいかほどだ?」

「朝晩の冷え込みで風邪をこじらせ、そのまま亡くなった者も大勢居ります。我らが抜け出したことで、今やお城方で動けるのは五十に届くかどうか……」


 五十ではもはや満足に守ることもできんな。こうなればいくら城が堅固でもいかんともしがたい。

 このような攻め方があったのか……


「藤兵衛尉は横関衆や九里には援軍を求めてはいないのか?」

「幾たびも使者を出しましたが、誰一人戻っては来ませんでした。おそらく悉く弾正様の手勢に討たれた物と城では思っております」


 確かに御屋形様は異常なまでに城内と外との接触を切り離されていた。全ては手のひらの上というわけか……


「父上。この事、御屋形様には……」

「お主から伝えよ。儂は降った者達に暖を取らせる。皆蒲生に忠誠を尽くす日野の者達だ。このまま凍えさせるのは忍びない」

「承知しました。すぐさま本陣に戻ります」

「ああ、藤十郎。済まぬが寝藁や焚き木を我が陣に運んでもらうように御屋形様に願ってはくれんか?」

「投降した者達の分ですね」

「儂らの分もだ。夜襲かと思って明かりを増やそうと寝藁も焼いてしまってな。このままでは、今度は儂らが野宿せねばならなくなる」


 やれやれ、父上も相当慌てたようだな。

 まあ、突然城方から松明が駆け下って来れば無理もないか……




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