氷期 三十と一夜の短篇代48回

白川津 中々

 吐いた息すら凍るような極寒の銀世界は当然氷点下となっており温度計を確認するのも馬鹿らしく思えた。

 引っ越した当初は北国の生活に慣れず、降り止まぬ雪と足を取る凍りが憎らしく、買い物の度に一つ二つと憎しみが増えていったものだった(今でも冬の厳しい寒さを許せてはいないが)。


 平時の倍の時間をかけて帰宅するとまず手を湯で温める。手袋をしていても芯から冷えてしまった左右の五指は青くなり大変不気味で痛みがある。これを戻さねば何もできない。台所の蛇口の湯のパルプと水のパルプを上手く調整してしばらく。塩梅を確認して指を蛇口から出る温水につけると痺れと刺激の後に血色が戻りちゃんと動くようになる。そしてようやく買い物袋の中身を出せるというわけだ。まったく難儀なことこの上ない。

 物臭に耽る際に必要なインスタントのラーメンやらコーヒーを片付け夕飯の準備に入る。その日は鍋。寒い冬は鍋に限る。温まるし、何より簡単なのがいい。材料を切って出汁にいれるだけという素晴らしい簡素さ。本来は手間をかけるのであろうが素人料理に面倒は敵。さっと済ませてしまうのが正義である。醤油と塩と柚子の皮を入れた土鍋に白菜やらねぎやらえのきやら冷凍の肉団子を並べ、メインである安く売っていた牡蠣を沈めて火を掛けること二十分。湯気と共に立ち込める匂いが食欲をそそる。

 ここで燗を用意。銚子に酒を入れ五分も温めれば完了。鍋と共に炬燵に移し晩酌の準備は万端。猪口に酒を注ぎ、とんすいに具をよそう。一杯喉を鳴らし、牡蠣を頬張り、また一杯やって、出汁を追っかける。


「あぁ」


 ここで一息出るのはもはやお決まりであろう。先まで冷え切っていた身体はみるみると熱を持ち始め、しっとりと汗が流れ始める。実に素晴らしい夜のひと時。金はなかったが、あの時は確かに幸せだったなと今では思う。


 その翌日は炬燵で寝入ってしまったためか風邪気味となり微熱が煩わしかったが、鍋に残った出汁を見て雑炊を食べようと考えたら途端に元気が出てきたのも良い思い出。また、あんな生活をしてみたいと微睡んでしまうのは老いたからだろうか。皴ばかりが走る手は、雪が降ってもいないのに冷たい。

 不自由はしていないが、いささか、熱が足りぬ今日この頃である。

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氷期 三十と一夜の短篇代48回 白川津 中々 @taka1212384

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