第9話  嵐の前に

 ギルドの扉を開けるとそこには心配そうに瞳をうるうるとさせたマリーが出迎えてくれた。よく見ると着ているTシャツには「NO CAT NO LIFE」というユーモラスな文字がプリントされていた。


「ティーナちゃ~~ん! 無事でよかったにゃあ!」


 そう言ってマリーはティーナに抱きついた。スキンシップにしては激しく、細かい傷口がやや痛んだ。


「ささっ! 体の疲れを癒すとっておきのお風呂を用意したからとっとと入るにゃ!」


 ティーナは半ば強引に手を引かれ、マリーに風呂場まで案内された。そしてマリーは満足そうにドタバタと来た道を戻っていった。


(んん~。強引だな~マリーちゃんは)


 ティーナは忙しなく駆けていくマリーの姿を苦笑いしながら遠い目で見送った。マリーが言うには特注のお風呂が用意されているとのことなので、さっそく期待に胸を膨らませながら上半身の防具を脱いだ。しかしその瞬間、予想していなかった事態にティーナは危うく叫び声を上げそうになった


─────腹部に禍々しい紫色の刻印が刻まれていたのだ。


 体から嫌な汗が湧き出てきた。ティーナは目覚めてからずっと腹部に痛みや違和感を感じていたのだが、その正体がこれではっきりした。

 その刻印はまるで小さな魔法陣のような独特な形状をしており、円の内側にはぐるっと文字が刻まれているのだが全く別の言語のようで解読はできなかった。

 ティーナは恐る恐るその魔法陣に触れてみた。


「……イタっ!」


 思わず小さく声が出た。それに触れた時一瞬だが体に鋭い痛みが駆け巡り、呼応するように魔法陣が光ったのだ。


(これはさすがに……ブルーノさんに見せといた方がいいかな……)


 自分の力ではどうにもならないことを悟ったティーナは、このまま放置すれば日常生活に支障が出てしまう上に取り返しのつかない事態に発展する可能性もあるのでブルーノに見てもらうことにした。

 それにしても不気味な模様だった。見つめているとそのまま暗闇の奥底へと吸い込まれてしまうような、そんな薄ら寒い感覚に襲われる。


「ま、お風呂でも入ってさっぱりしちゃおっか♪」


 じっくり考えることが苦手なティーナはすぐに目を逸らして風呂に興味を移した。


 扉を開けるとそこには広大な大地一面に咲き誇る色とりどりの花々の絶景が流れ込んできた。実際には綺麗に澄んだ緑色の風呂が沸いていたのだが、そこから溢れ出ている豊潤な香りがティーナの鼻を弄んだのだ。これがマリーの言っていたとっておきの風呂のようだ。想像を超えるサプライズにティーナはすっかり虜になっていた。

 足からゆっくりと風呂につかる。全身の傷口を優しく舐められるように心地の良い快感に襲われた。


「ん~~っ! 気持ちいい~!」


 ティーナは腕を上にぐぐっと伸ばす。あまりの心地よさにこのまま眠ってしまおうかと思ってしまうほどだ。体がこの風呂から出ることを拒み、容易に風呂から出られないことを悟った。

 結果、ティーナが風呂から出るのはすっかりのぼせてしまった後だった……。




♦    ♦    ♦




 「カァ………。カァ………」


 カラスに似た不気味な黒い鳥の鳴き声が空しく響き渡る。冴えない空の下に荒れ模様の大地が続き、朽ち果てかけた木々が悲しいメロディを奏でていた。


 ここは黒陣営ブラックテリトリーのとある一角。


 そこにはまるでお化け屋敷のような大きな建造物があった。外観はボロボロで覇気がなく、暗闇から突然ゾンビでも湧いて出てきそうな雰囲気があった。

 その屋敷の中ではヨハネス、ブランクの二人が豪勢な椅子に座る人物の前で頭を下げ、片膝を床に付けた状態でひれ伏していた。その者は全身を立派な黒い装束に身を包み、背中には大きなマントを付け、頭には赤くくすんだ二本の角を生やしていた。堂々として荘厳なその姿は、まさにこの土地を支配する“魔王”のようだ。しかし顔には屈強なお面を付けており、実際にどういう人物なのかは分からなかった。


「黒王様、ただいま帰還致しました」


 跪いた状態のままヨハネスが発言した。一切の雑音さえ聞こえず、ただヨハネスの声だけがその空間を伝った。


「……ご苦労だった」


 重厚で低温な声で黒王は二人を労った。しかしその声は肉声というよりも機械によって加工されたような違和感のある声だった。


「“楠木ティーナ”……。彼女の存在は無視できない……。いずれきたる世界を分かつほどの大きな戦いで彼女の存在が両陣営の命運を握ることになるだろう……。我々も何としても彼女に接触しておかなくてはならない。……それが多少強引なやり方だとしても……な」


「……ハッ!」


 ヨハネスが返事をした。白陣営ホワイトテリトリーへ侵入した時の危うさやゆとりある雰囲気とは少し違い、より真剣な面持ちで話を聞いていた。黒王に対する強い忠義心が見て取れる。


「ブランクが楠木ティーナとの接触に成功しました。すでには打ってあります。こちらは彼女の居場所を簡単に特定できる……。後はタイミングさえ合えばまたチャンスは巡ってくるでしょう」


 ヨハネスが話し終えたタイミングで、ずっと黙っていたブランクが我慢の限界とでも言いたげに息を大きく吐き出し、姿勢を崩して立ち上がった。


「……話はもう済んだか? もういいだろ。俺ァかったるいのが嫌いなんだ。じゃあな」


 そう言って何事もなかったかのようにその場から去っていく。


「ブランク。黒王様の御前ですよ? 慎みなさい」


 ヨハネスがそう注意を促すのだが、ブランクは見向きもせずそのまま去ってしまった。

 しかし黒王はそれを見ても特に取り乱す様子はない。


「フフ……。まあよい、我々の悲願が果たされる日も近いのだ。白へのは日々募るばかり……もう我々は止まらぬ。見ておれよ……」


 黒王の不敵な笑い声が屋敷にこだましていた。




♦    ♦    ♦




「……見たことない術式だな。それに強い魔力が込められている」


 日が変わり、今日から始まる修行のために早寝早起きに成功したティーナがブルーノに腹部に付けられた刻印を見てもらっていた。服をちらっとめくってお腹を見せることが思いの外恥ずかしかったようで、ティーナは少し頬を赤らめていた。

 ブルーノは手に魔力を集中させ、治療を施すようにティーナの腹部に当てていた。


「おし。とりあえず応急処置は済んだ。まあ、力を弱めただけだがな。強い力を持つ魔法を完全に打ち消すのは難しい、それこそ付けた本人を消すなりしなければな。つまりまだこれが残ってるってことは……生きてるよ、アイツは」


 やはり、あの戦いでは決着はついていなかったのだ。ブランクは確かにブルーノに倒されたが、その後現れたヨハネスに回収されてしまったため生死は不明となっていたままだった。

 ティーナは再びその刻印に触れてみる。しかし、昨日までの痛みはなくただの模様として刻まれているだけだった。それどころか、何となく色が薄くなった気さえする。そのことにティーナは深く感動した。


「や、やったあっ! これなら修行に集中できそうです! ありがとう、ブルーノさんっ!」


 すっかりティーナは元気を取り戻し、満面の笑みを浮かべた。その様子にブルーノも嬉しそうに頷いた


「ティーナは当分は自分のことに集中してればいい。それが俺達、いやこの世界にとっての近道になるはずだからな。俺のこともどんどん頼ってくれていいんだぞ」


 それを聞いてティーナは安心した。この世界での自分の居場所はここなんだと再認識できたのだ。記憶も朧気のままこの世界に転生されて、右も左も分からなかった自分に居場所を与えてくれた。そして今は自身の目標、倒すべき存在も以前よりはっきりしており、クリアな状態で動けている。ティーナはそれを可能にしてくれているブルーノ達や白陣営ホワイトテリトリーの人々に恩を感じており、何とかしてこの者達の手助けをしたいと考えるようになっていた。


「よし、それじゃあさっそく行こうか。マリー、済まないがギルドを空ける時間が増えると思う。何かあればすぐ連絡してくれ」


「ガッテンにゃ! ティーナちゃん、ファイトにゃあ!」



 ギルドからの暖かい応援を受け、ティーナはブルーノと共に笑顔で出た。自分のために、リュウカのために、あるいは世界のために……。ティーナは様々な“願い”を背負い、新しいステージへと歩き出した────。




*   *   *




「そうだ! その調子だ、ティーナ」


 魔道館にブルーノの声が木霊する。ティーナの両手から溢れんばかりの光が放たれ部屋を照らす。ティーナは目を瞑り、周囲の情報を一切遮断するように集中していた。


 ティーナが修行を開始してから早二週間が経とうとしていた。白陣営ホワイトテリトリーはあのブランク襲撃事件より警備を強化した成果もあってか、これといった大きな事件は起きず人々は平穏を取り戻していた。ティーナも以前と比べてこちらの世界の文化や地形、生活の知識も増え、修行により順調に力を蓄えつつあった。


(ここから手に集めた魔力を体へ広げるイメージで……)


 ティーナは魔力を自在にコントロールするための訓練に励んでいた。自身の内より溢れ出す魔力を感じ、それを簡単に発動させることはできるようになっていた。今は次のステップである『細かい魔力のコントロールをできるようになる』という目標を掲げ、努力していた。

 ブルーノは集中するティーナのことを腕を組んで考察しながら見守っていた。


(修行を開始して二週間か……。習得のスピードは平均より遅めだな。でも気がかりなのはそのだ。小さな体には考えられないほどの魔力が積み込まれているみたいだ。魔法の訓練は本来体力の消耗が激しくそう何日もぶっ通しでできるようなもんじゃない。これも生まれ持った一つの才能、ということだろう)


 ブルーノはティーナとほとんど付きっきりで修行を見ていたこともあり、ティーナの魔力の性質や魔法量についてを大まかに把握することが出来ていた。その中でも特にブルーノが目を見張ったのがティーナの魔法量であった。魔法量とはその者が扱える魔力の総量を示すものなのだが、それは魔法の習得範囲や規模に直結する重要な要素であり、ティーナはその部分においては一般的な常識を遥かに超える規格外のレベルだったのだ。

 しかしブルーノには懸念もあった。これでは以前水晶玉を使って魔法の性質をチェックした際に、水晶の色が変化しなかったことの説明がつかないのだ。


(まだ秘められた力をうまく扱いきれていないのかもしれない。これが今後の足枷にならなければいいが……)


 とはいえ一時はどうなることかと思われた魔法の習得も大きな問題なく進んでいるようだった。

 ティーナはその後日が暮れるまで魔道館で修行をし、ギルドに帰って自分の部屋で体を休ませていた。


「………………」


 ティーナはぼ~っと自分の手のひらを見つめ魔力を集めては消して、集めては消してと電気をチカチカと点滅させるようにして耽っていた。思えばここ最近はずっと魔法のことについて考えていた。一つのことに焦点を合わせて集中できるのはティーナの良さだが、体には思っている以上に疲労が蓄積されているようで、今日も気づかないうちに瞳が閉じて眠りについた……。



 今日も静かな夜だった。太陽も街もみな眠りにつき、深い闇が静寂と共に世界を覆う。


 ────そこに危険イレギュラーが潜んでいることに気付かずに……。


「イヒヒ……。さあ、“ウサギ狩り”の始まりだ……!」


 ギルドの前に、怪しく微笑む影が一つ……。その不気味な笑い声が激動の一日の始まりを告げた─────。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

JK2人でちょっくら異世界救世してみよか! 未咲しぐれ @AoiRaiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ