第8話  決意の日


「これは……酷い有様ですね……」


 白姫様の命により駆け付けた騎士団員達がブルーノとブランクの激闘の跡に着いた。しかし周りにあったはずの建造物が軒並み崩壊し、辺り一帯が更地のように変わり果ててしまった街並みを見て、みな言葉を失った。


「一体ここでどれほどの戦闘が……」


「これが人間同士の戦闘のレベルなのか……?」


 一般市民の生活圏にも大きな被害が出ていた。中には戦闘の衝撃に巻き込まれて怪我を負った人もいた。しかし、結果として黒陣営ブラックテリトリーからの強力な刺客に打ち勝った功績はあまりにも大きかった。ブランクは白陣営ホワイトテリトリーへ単独で侵入できるほどの力を持った存在であり、黒陣営ブラックテリトリーの重要な情報を持ち合わせている可能性が高いため仮に生け捕りができれば情報を聞き出し白側が優位に立てるからだ。


「いタタ……ふぅ……」


 ブルーノは駆け付けた医療員達から手厚く治療を受けていた。特に左腕の損傷が激しいようで、何重にも包帯が巻かれ動かないようにガッチリと固定されていた。


「ガッハッハ! 派手にやられたなァ、右腕の」


 すると周囲で一際大きな存在感を放っていた男がブルーノへと近づき、愉快そうに話しかけてきた。その男は熊のように大きく、ボディビルダー顔負けなほどに隆起した筋肉を露出させ、一目見ただけで只者ではない人物であると推測される。上半身は裸で下半身にはゆったりとした道着に似たボロボロの長ズボンを履いており、オシャレに一切興味がないことが伺える。肌はこんがりと日焼けしたような茶色、髪もややオレンジがかった茶色をしており、まとまってはいるもののかなりの長髪で“野生の狂暴なライオン”を彷彿とさせる。ズボンには赤色のバッジが鈍く光っていた。


「……ブルーノです、グリゴール帝」


 ブルーノはすかさず訂正を入れる。


「ハッハッ! いやあ、すまんすまん。ついいつもの癖でな」


 グリゴールと呼ばれたその大男は大きな声で笑いながら手を頭の後ろに当て、まいったと言いたげにポーズを取った。


「にしても、お前ほどの使い手が中々に酷いやられようじゃねえか」


「確かに、強敵でした。ただ、奴から抜け出せる情報は多いはずです。今はどんな状態で?」


「ああ、すぐそこだ」


 グリゴールは近くにいた兵士達の地点を指差した。そこには手足を手錠に似た頑丈そうな道具で拘束され厳重に見張られているブランクらしき姿が確認できた。


「息はある。目は覚ましてないがな。今すぐにでも殺してやりてえところだが、あいにく白姫様からの命令でな。これから連行するところだ」


 そう言うとグリゴールは少しだけ何か言いたげにブランクの方を見つめた後、ふと思い出したかのように我に返りブルーノに問いかけた。


「ところで、俺は白姫様にあいつの確保と、“テーニャ”……? という名の女の無事を確認するよう言われてきたんだが……。ブルーノ、お前に心当たりはあるか?」


 テーニャというフレーズを聞いたブルーノはすぐさまティーナを連想した。


「……ッ!! そうです、ティーナは!? ティーナはどこにいる!?」


 ブルーノは取り乱した。近くにティーナと思わしき女の子の姿は見当たらない。

 すると近くにいた兵士が事情を察したのか、グリゴールに話しかけてきた。


「グリゴール様。先程連絡があったのですが、どうやらこの近くで気絶したまま横たわっていた少女を一名発見したとの報告が」


 グリゴールはなるほどなと言わんばかりに指を顎に当てた。


「そうか、それが“ティーナ”か……。ブルーノ、一緒に向かうぞ」


 二人はティーナの安否を確かめるべく急ぎ足でティーナの元へと向かった。




*   *   *




『お前さあ……調子乗ってない?』


 ふと気付いたらティーナは学校の教室で座っていた。どこか意識をしっかり保てず、ふわふわとした気分だ。周りには同じクラスの女生徒と思われる人達がティーナの机を囲っているが、朧気で顔もぼやけてよく見えなかった。


『あっ……その……すみません………』


 ティーナは謝っていた。自分がなぜ謝っているのかもよく分からない。それでもティーナは何かに対して謝っていた────。





「………ん……んん……?」


 ティーナの視界にまっすぐに光が差し込んでくる。眩しくて目もうまく開けず、頭も回らない。


「ちょっとグリゴール帝! 止まってください!!」


「グリゴール様……!! どうか落ち着いて……!!」


 何やら周りが騒がしい気がする。しかしまだティーナの頭は冴えず、状況を掴めないでいた。


「うおオオオオオ!! ティーーナちゅわあああああんっ!!! 大丈夫かあああああああ!!??」


 ようやく目が光に慣れてきた。ティーナはゆっくりと瞳を開けていく……。すると、厳つい大きな顔がどアップに視界の目の前に出現した。


「ギィャヤアアアアアアアアアア!!!」


 ティーナはまるで化け物にでも遭遇したかのような大声で絶叫した。こんなに声を張り上げたのは生まれて初めてかもしれない。それもそのはずで、目を覚ましたら知らない大男が自分の目の前にいて顔を覗き込んでくるのだ、誰だって腰を抜かすだろう。


 ティーナは絶叫しながら驚くべき速さで後ずさりしてその場から離れた。頭にはその大男の顔がどアップでへばりついていて中々離れない。


「ちょ、ちょっと! 何なんですか、このおじさんはっ!」


 ティーナは涙目になりながらプルプルと震えた手でグリゴールを指差した。


「お、おじさん…………」


 “おじさん”と言われて傷ついたのか、グリゴールは急にしょんぼりと大人しくなった。


「グリゴール帝! ティーナが怖がっています」


 兵士達と共にグリゴールを制止することに努めていたブルーノもグリゴールをなだめようと試みる。グリゴールもティーナと距離が離れたことにより理性を取り戻したのか、呼吸を整えようとしていた。


「……ふぅ……いやあ、すまんかった! 俺は小さいものに目がないんだ。特に可愛い子供が近くにいると、つい自分を抑えられなくなっちまう。怖い思いをさせたな、ティーナちゃん」


 落ち着きを取り戻したグリゴールが苦笑いしながらティーナに謝った。


「ティーナは子供じゃないんですけどっ!?」


 自分が子供扱いされたことに驚いたティーナはすかさずツッコミを入れる。


「とりあえずグリゴール帝、ティーナと話すときはこの距離でお願いします……」


 先程のグリゴールとの攻防に体力をかなり消耗したのだろうか、ブルーノがやれやれと言った表情で元気なさげに発言した。


「ともあれ、ティーナちゃんが無事で良かった! 白姫様はお前さんのことをかなり気にかけているようだったからな」


 グリゴールは心底嬉しそうな笑顔でティーナに語り掛けた。


「あ、あはは………イタッ!」


 グリゴールの笑顔にぎこちない笑顔で返したティーナだったが、唐突に腹部の辺りに鋭い痛みが走った。ちょうどブランクに殴られた辺りの場所だ。


「? どうした? どこか痛むのか?」


「い、いやいや! 大丈夫です! 元気いっぱいです!」


 心配そうに近づこうとするグリゴールとブルーノにティーナは止まるようにと両手を突き出してストップのジェスチャーした。これ以上無駄に心配をかけたくなかったのだ。しかし、実を言うとティーナは目覚めてから腹部の辺りに慢性的な違和感を覚えていた。


「ところでティーナ、今後についてだが─────」


 ブルーノがこれからの予定について切り出そうとしたその時だった。突然少し離れた場所から兵士と思わしき人のただならぬ叫び声が上がったのだ。


「グリゴール帝!」


 ブルーノとグリゴールはお互い目配せをして、その方向へと駆け出した。ティーナもこのまま一人取り残されることを不安に思い、二人の後を追いかけた。

 一足先に二人がその現場へと着いた。そこにはブランクを担いだ見知らぬ男が兵士達の前に不気味に微笑みかけながら立っていた。兵士達は子犬のように震えて腰を抜かして動けないでいたが、特に怪我を負った様子はなかった。


「っ! お前は……」


 ブルーノとグリゴールはその男を知っているかのようなリアクションを見せた。その男は二人の存在に気付くと改まったようにそちらへと振り向き、丁寧にお辞儀をした。


「おやおや。これはこれは、ご機嫌麗しゅう白組の皆さん。先程はお騒がせしたようで、申し訳ございませんでしたね。くふふ」


 その男は感情のない社交辞令的な不自然な笑みを浮かべながら挨拶をした。細身でグリゴールに並ぶほどの長身で、髪色は薄い紫色をしておりサラサラできめ細かなショートヘアが特徴だ。顔の輪郭もほっそりとしており、特に開いているかどうか分からないほどの糸のように細い目が“狐”を連想させる。肌はまるで雪のように美しい白色で、上下の服を薄い生地でできたスーツのようにほとんどが黒に近い色で統一しており清潔感のある印象を感じさせる。


「ヨハンナ……」


 グリゴールが独り言のようにつぶやく。そしていつでも迎撃できるようにと戦闘の構えを取った。


です。くふふ、昔と変わりませんね、グリゴール」


 ここでティーナが息を切らしながら追いついた。それを見たヨハネスはティーナを指差し、発言した。


「あなた、命拾いしましたね」


 あまりに唐突だったのでティーナは驚いたリアクションを取った。


「そいつは返してもらうぞッ!」


 グリゴールは担がれたブランクを取り返すべく、今にも相手の懐に噛みつこうと殺気立っている。しかし、ヨハネスは戦闘する気がないのか、身構えようとしない。


「くふふ。私は部下を取り返しに来ただけで戦闘をしにきたわけではありません。それでもやりたいのなら相手になりますが、私はをしてここへ来ているのです。一方、あなた方は私が来ることを予測できなかった。この差は大きい。それに今ここであなた方とやり合えば被害の規模はさらに増え、収拾がつかなくなる恐れがある。頭の弱いあなたでも得策ではないことくらいわかるでしょう?」


 それを聞いたグリゴールは歯ぎしりをして動きを止めた。ヨハネスの話を聞いて迷いが生じたのだ。ヨハネスはそれを見逃さなかった。


「くふふふ。それでは皆さん、御機嫌よう」


「くそっ! 待ちやがれ!」


 ブルーノは何とか止めようと体を動かそうとするが、先程の戦闘により体はすでに限界を迎えており痛みで怯んで思うように動けないでいた。ヨハネスはそんなブルーノを気にも留めず、手品のようにポケットから大きな黒い布を取りだし空中へと放った。その布はしわなく大きく広がりヨハネスの姿を完全に覆い隠し、布が地面へと落ちるころにはヨハネスと担がれたブランクの姿は消えてしまっていた。ブルーノらはその虚しく舞い落ちた布をただ茫然と見つめるしかなかった。




「……目前の敵をみすみす逃がすとは……! 俺としたことが、何たる失態だ……!!」


 グリゴールは悔しそうに奥歯を噛みしめ、拳を思いっきり握りしめた。


「さっきの人は何なんですか?」


 ティーナが疑問に思い、質問をする。


「……あいつはヨハネスという男だ。でも屈指の実力を持つ魔法使いだ。かつては俺もあいつと共に研鑽を積んだ仲だったが……。あまり思い出したくはない、昔の話だ」


 グリゴールは忌々しい過去でもあるかのようにぶっきらぼうに吐き捨てた。


「とりあえず、直ちに警備を再編成、強化する必要がありますね。一度ならず二度までも敵の侵入を許したのは大きな問題です」


「ああ、そうだな。白姫様には俺が直々に報告しておく。……必要以上に被害が広がらずに済んだことがせめてもの救いか」


 そう言うとグリゴールは小さく息を吐き、兵士達の元へと歩いていった。とりあえず目先の脅威は消え去ったようで、場に張りつめていた緊張感が徐々に解け始めていた。

 一件落着といったように安堵の表情を浮かべたブルーノがティーナに話しかける。


「ティーナ、今日はお互い災難だったな……。ひとまずは無事で何よりだ」


 そう言うと安心したようにブルーノはティーナに微笑みかけ、ティーナの頭にポンと手を乗せた。


「えっと……ティーナは気絶してたん……ですよね?」


 少し前まで自分がしていたことを思い出そうとするティーナだったが、前後の記憶が曖昧なままだった。


「そうだ。敵の狙いはティーナだった。俺がいなかったらやばかったかもな。でも、これで全部解決したわけじゃない。むしろはここからだ」


 一転してブルーノは真剣な表情へと切り替えた。


「奴らの目的は正確には分からないが、目的の一つにティーナが関係していたことは確かだろう。ティーナの“特別な力”の存在に気付いている可能性が高い。そうなればまた襲ってくることだって考えられる」


 そう言われてティーナはブランクとブルーノとのやり取りを回想した。確かにあの二人にあまり良いイメージを持てなかった。


「確かティーナは白姫様から黒陣営ブラックテリトリーへの偵察を依頼されていたよな? 今日の様子から想像するに、過酷な道のりになるはずだ。正直言って命の保証もない。今の状態で行くのはわざわざ自殺しにいくようなもんだ」


 ブルーノの話はシリアスでとても現実的だ。思っていることを言葉を濁さずに直接伝えてくる。ティーナはこの世界のを今一度実感した。

 しかしここで真面目な話をしていたはずのブルーノが唐突にニヤリと微笑み、ティーナに話しかけたのだ。


「だったらどうするかって? 答えは簡単だ。ティーナが強くなっちまえばいいんだ。俺は少し前からティーナの今後についてを考えていた。またこうして危険にさらされる可能性があるのなら、基礎的な魔法をコントロールできるようになるまで俺がマンツーマンで教え込もうと思う。自分の身を最低限守れるようになるまでだけどな」


(それと……自分の特別な“能力ちから”についても……な)


 ブルーノの話を聞いて、ティーナの頭にふとリュウカがよぎった。もうすぐクッキーに会える……。それは嬉しい反面不安もあった。リュウカはどうやってこの世界で身を守るのか……。ティーナもリュウカも元は別世界の人間であり、この世界での常識通りに転生される保証なんてない。たまたまティーナには魔法を扱える力を持って生まれたが、もしリュウカがそうじゃなかったら……?



 ─────私がクッキーを守るんだ。



「分かりましたっ! ティーナ、誰にも負けないくらい強くなってみせます!!」


 ティーナには強くなる目的が一つ増えた。リュウカのためなら覚悟ができる。“未知”と向き合う覚悟が……。


「そう、その意気だ。なら明日からはまた修行だな。今日はこのままギルドに帰ってゆっくり休むか」


 ティーナの心強い返事を受け、安堵した様子でブルーノは答えた。


「オスっ! 師匠っ!!」


「師匠って……お前なぁ~」


 ブルーノは照れながらも、どこか嬉しそうに反応した。二人はまるで親子のように並んでギルドへと帰っていった。

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