第15話

 デニス・バン・ギーデンは暗い部屋の中で目を覚ました。

 少しばかりふらつく。軽く頭を振って、なぜ自分がベッドにも入らず床に座り込んで眠っていたのかを思い出そうとした。


 確か、昨日は一人フィノイまで出かけた。日用品の買い足しだとか、もっともらしい理由をつけて――歓楽街に向かった。国境近くの街では、やはり普段より人の行き来が少なく、いささか活気がないように見える。

 しかしそんなことはデニスに何の関係もなかった。自分の給金はもとより、軍の金も持ち出して歓楽街で酒と女を堪能し、砦に戻ったのは夜もずいぶんと遅くなってからのことだった。


 砦では珍しく宴を催していた。堅物のエーヴァルトはあまり羽目を外すことを好まない。その点でも、デニスとは正反対の男だった。

 どうせ安い酒で安く酔っ払っているのだろうと、大して気にも留めず自室へと向かう。そして第六曜軍の名簿を手に、一人の青年をこっそり呼びつけた。彼もまた、宴に参加していた一人だ。


 「楽しんでいるところ申し訳ないが、頼みたいことがある。フィノイで食料を買い付けたのだが、明日届くため貯蔵庫の整理を手伝ってもらいたいのだよ」

 「は、はい……わかりました。しかし、その、私一人、でですか?」

 「もちろん私も行くとも。君には悪いが、楽しんでいる彼らにあまり水も差したくないのでね」

 「わかりました、そういうことでしたら」


 ルーカス・リントナーという青年は、人好きのする笑顔でうなずいた。

 貯蔵庫までの道すがら、デニスの脳裏に『もうやめるべきだ』と言ったエーヴァルトの顔がよぎる。

 何を馬鹿なことを、と彼は本気で思っていた。ここで実験を実らせることができれば、中央――王都でも出世頭になれるのに。こんな青臭い子供たちを一から鍛え上げる必要もなくなるのに、と。


 エーヴァルトと異なり、デニスは第六曜軍の軍員たちを、自分の出世のための材料としてしか見ていない。クルトに言った言葉も、今ルーカスに言った言葉も、何もかも彼の本心ではなくただの都合のいい出鱈目だった。

 やがて二人は薄暗い食堂に着く。中を横切り厨房に向かい、デニスが地下への鍵を開けた。


 「縄梯子があるだろう?それで下に降りて、明かりをつけてくれたまえ」

 「はい。それにしても、ずいぶん大きな貯蔵庫ですね」

 「まあ、必要なものが多いからな」


 たとえば、生きた人間だとか。


 その声がルーカスに届く間もなく、無情にも貯蔵庫の扉は閉められた。無表情のデニスが、かちゃりという小さな音を立てて鍵をかける。

 似合わない口ひげを撫でつけながら、彼は何食わぬ顔で食堂を出た。宴はもう終わったのか、ずいぶんと静かだったが、それを気にする理由もない。また一歩、出世に近づくのだ。デニスは軽い足取りで自室に戻った。

 それからしばらくは机で書き物をしていたはずだ。主に王都にいる第零曜軍に提出する報告書を仕上げた後、一息つこうと席を立った。そこからの記憶はない。


 無意識に、デニスは懐に手をやった。いつも、地下への鍵を入れているそこへ指先を差し入れる。無情にも、ひやりとした金属の感触はない。


 「――な――!」


 声には焦りが如実に表れていた。ない、ないとつぶやきながら全身をまさぐる。しかし彼の探している物は一向に見つからない。

 はっとして窓から外に目をやった。見張りに立っているはずの軍員たちは、おのおのもたれかかって脱力している。鼾が響いている者もいた。


 一瞬、大声を張り上げて叱責しようかとも考えたが、今はそれどころではない。デニスは転がるようにして走り、階段を駆け下りた。

 食堂の椅子を蹴飛ばしながら急ぎ、厨房の中へ入る。彼の願いもむなしく、地下貯蔵庫の扉はぽっかりとその口を開けていた。


 「――っ誰だァ!!そこにっ、いるのはァ!!」


 自分でも驚くほどの声だ。それは、中にいる三人の耳にもはっきりと届いていた。

 エーヴァルトが静かに一歩前へ出る。


 「私だ。ギーデン殿、話がしたい。降りてきてはもらえないだろうか」

 「エーヴァルト閣下!?な、なぜ?!い、いいや、閣下ともあろうものがコソ泥の真似事など!」

 「何と言われようとかまわない。私は貴殿と話がしたい。降りてきてはもらえないか」


 同じ言葉を二度繰り返すと、デニスの歯ぎしりの音が聞こえた。葛藤している。


 「ろくでもねぇな」


 ぽつりとリュカがつぶやいたのが、ナギの耳に届いた。不思議そうに見てくる彼女に、軽く顎をしゃくってエーヴァルトの先を指す。渋々、といった表情で降りてくるデニスが見えた。


 「すまないな」

 「……いったい何をお考えで?この期に及んで、まだご抵抗されると?」


 エーヴァルトの指示で、リュカたちは暗がりに隠れている。地下室を照らすのが、小さなランタンだけだったのが不幸中の幸いだった。あまりデニスには見つかりたくない。


 「ギーデン殿。貴殿は此度のこと、どう捉えておられるのだ?」

 「はあ?」


 位は上でも、デニスの方が年上なこともあってエーヴァルトは一応の礼を尽くしている。にもかかわらず、問われた方はつまらなそうに眉を片方釣り上げた。


 「どう捉えるかと?そりゃあ、願ってもない好機と捉えておりますが?」

 「好機、とは」

 「だってそうでしょう!呼応石を完成させ、意のままに操ることができたのなら、我がヴールはこの古代魔術を使いこなしていることになるのですよ!十分すぎるほど、他国への脅威となりえるじゃありませんか!」


 エーヴァルトの表情はリュカたちから見えない。見えないが、どんな顔をしているのかは想像ができた。そして、その想像通りでもあった。


 「我がヴールのために、我々はこうして実験を繰り返しているのです。まあ、この間の兄弟は失敗作でしたが――今度こそ、こちらの命令に沿うようになるでしょう」

 「――失敗作、か」


 静かに近くの床へランタンを置いたエーヴァルトの、その声音が明らかに変わる。しかしデニスはそれに気づいているのかいないのか、ただ嬉々として持論を繰り広げた。


 「命令を聞いたのは、例の里を襲撃するまででしたからな。あれではこちらに協力者がいたからいいようなものの、その後のことを考えると実践には難がありましょう」


 横から殺気の風が一瞬吹き付け、即座に消える。さすがだな、と思いながら、同時にデニスの一言がリュカの胸中に引っかかっていた。


 「しかし成功しさえすれば、褒美は思いのまま。我々も華々しい栄誉のもと、王都に大手を振って帰れるというものです」

 「我々――否、お前だけだろう?」


 吐き捨てるように言うと同時に、腰の剣を抜く音がする。あまり使われてはいないようだが、よく手入れされた細剣は、ランタンの淡い光を浴びて煌めいた。


 「彼らを失敗作と呼び、なお部下たちを犠牲にし――お前だけが栄華を手に入れようとしているのだろう?」

 「な、何を……」

 「そして私も、用済みとなれば彼らと同じ道を辿るのだろう」


 一瞬、悲しげな響きを秘めた声。唇を軽く噛み、エーヴァルトはデニスを正面から睨み付ける。

 少しの沈黙のあと、やおら声を上げたのはデニスだった。それも、笑い声だ。


 「はっはっはっは!そこまでお気づきとは!ならばもうすでに、あなたなど不要!」


 額に手を当て、胸をそらし笑い。言い終わると、彼もまた腰の剣を抜く。


 「きええぇいっ!」


 甲高い咆哮とともに、突くような形で剣が繰り出される。突然の動きに驚きながらも、エーヴァルトは右に避けることで喉への直撃を免れた。


 「――くっ!」

 「ほらほら、閣下殿!逃げてばかりですかな!?」


 挑発をしかける物言いに、エーヴァルトの足が鈍る。僅かな遅れを狙うようにデニスの手が閃き、青い髪が切れて宙を舞った。

 負けじと剣をふるうエーヴァルトだったが、切れるのはデニスの服一枚だ。大したことでもないというふうに彼は笑い、変わらず腕を動かしている。


 「……いいのか?」

 「何が」


 ぼそりとナギがつぶやいた。ぶっきらぼうに答えるリュカだったが、彼女が何を言いたいのかはわかる。

 じっと湿気を孕んだ目で見てくる彼女に、はあ、とため息をついた。


 「まあ、分が悪いな」

 「なら」

 「でも、これはあいつじゃなきゃダメだろ」


 リュカの言葉に、小さく首を傾げる。


 「わからない。誰が殺そうと同じだろう?」

 「同じじゃないさ、少なくとも俺たちにとっては」


 ますますわからない、というような顔のナギに思わず苦笑が漏れた。あの婆様、情操教育がなってねぇなと胸中で毒づく。


 「俺たちみたいなのは、人の上に立つ以上そこには責任ってもんがある。なぜなら、下の人間は上の命令に従わなきゃならないからだ」

 「……当然だろう」

 「そうだ。だから、上の人間は下の奴らのために動かなきゃならない。それを忘れて、上の人間が自分だけのために動くのならば、そいつはもう人の上に立つ資格ってのを自分で放り投げたことになる」


 ほんの少し、ナギの眼球が動いてまた元に戻った。エーヴァルトの方を気にしているのがよくわかる。


 「だから、あいつが今までもこれからも部下たちのために戦っていくってんなら、そこに俺たちは手出ししちゃいけない。どんな結果になろうと、あいつの覚悟を踏みにじるようなことを少なくとも俺は今、したくない」

 「――わたしには、やはりよくわからない。だが、その意見にはわたしも賛成だ」


 視線を改めて二人に向け、彼女は言った。その横顔を眺め、リュカはほんの少し笑う。

 決着は、もうすぐのようだった。


 デニスの幾度目かになる急所を狙った突きを、エーヴァルトがギリギリで躱す。お互い体力を消耗し、息が上がっていた。あれだけ挑発的にエーヴァルトをあざ笑っていたデニスが、何も言わず肩を上下させながら息を整えている。

 そこへエーヴァルトが右手を繰り出した。細い切っ先が弧を描き、デニスの首の皮を薄く裂く。服で覆われていたはずのそこは、度重なるエーヴァルトの突きでいつしか露わになっていた。


 「くっ……なかなか、やりますね……」

 「貴殿も、な」


 言いながらデニスが大きく後ろに跳ぶ。思いのほか伸びるエーヴァルトの剣先から逃れるためのその行動は、彼にとって最悪の選択だった。

 ――地下室に、うなり声が響く。

 はたしてそれは、本当にうなり声だったのだろうか。判別する時間はなかった。


 「な、なああああっ!?ああ、うわあああああ!!」


 次に響いたのはデニスの悲鳴で、すかさず走ったナギがランタンを拾い掲げる。

 ぼんやりとした明かりの中映し出されたのは、肉色の木の幹に咀嚼されているデニスの姿だった。


 「っ、ギーデン殿!」

 「馬鹿やめろ!」


 とっさに伸ばしている手を掴もうと駆け寄ったエーヴァルトを力任せに引き倒す。彼の方が上背はあったが、筋肉量ではリュカが上回った。


 「な、何を!」

 「馬鹿野郎よく見ろ!お前まで食われちまうぞ!」

 「しかし、このままでは――」


 リュカに重なる形で倒れたエーヴァルトが立ち上がろうとするわずかな時間。それだけの時間で、デニスは指先まで飲み込まれてしまう。

 呆然とするエーヴァルトの目の前で、二つの肉色の切れ端が嫌な音を立てて落ちた。伸ばしてきた腕だか何かだかを、ナギが切り落としている。

 すると『フィト・リトス』は動きを止めた。警戒は緩めぬまま、リュカも立ち上がる。


 どくん――と脈打つ音が聞こえた気がした。


 垂れ下がっていた四つの塊が、しゅるしゅると音を立てて根元の方へ戻っていく。デニスを飲み込んだ大樹のような体が脈動を始め、それに合わせるような動きで地下室に伸びていたのだろう、ナギが切り落とした物と同じものが中心部へと収縮しだした。


 「――おい、なんだ、これ」


 思わず疑問の言葉がこぼれるが、それに答えられる者はいない。三人ともが、こわばった顔で成り行きを見守るほかなかった。

 どくどくという脈動がどんどん大きくなる。そのまま収縮を続けていたそれは、不意に大きくなった動きを止めた。

 ぴくりとリュカの指先が動く。同時に、本能が警告する。


 「――っ、行け!」


 ほとんど叫ぶように言って、足のすくんだエーヴァルトをナギに押し付けた。一瞬不満げな表情をしたナギだったが、彼をここで死なせたくはないのは同じだ。小さく頷いて、素早い動きでランタンをその場に置くと縄梯子に手をかけた。そしてその細腕のどこにそんな力があるのかという動きでエーヴァルトを引っ張り上げる。

 弾むような音が、一回、二回。リュカが腰の剣を抜こうとしたその瞬間――鼓膜を破壊するかのような、巨大な破裂音が響き渡った。

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