第14話
小さな寝息から、そこそこ響く鼾まで。
見張りだったのだろう、外で眠りこけている軍員たちのさまざまな寝姿を横目で見ながら、極力静かに扉を開ける。
わずかに軋んだような音がしたが、幸い誰も起きてこないようだ。まずナギが、そしてリュカが体を滑り込ませた。中は暗いが、ある程度夜目が効く二人にとってはそれほど障害にはならない。
あらかじめ打ち合わせていた通り、ナギが階段を探しに行く。それに対してリュカは、一階をくまなく捜索し始めた。
偵察していたクライヴからの話によれば、砦にいるのはおよそ三十人。この砦に何がしかの秘密があるとして、その三十人すべてがそのことを知っているとは考えにくい。
ならば、地下か最上階か。とにかく位が上の者しか知らない場所を探そうとリュカは考えていた。何もなければそれで構わない。
砦の入り口から真っ直ぐに廊下が伸び、左右に簡易的に区切られた壁と扉が並んでいる。さっさと奥へ消えたナギは置いといて、リュカはそれぞれの扉に耳を当て中の音を拾った。
ほとんど寝息か鼾しか聞こえてこない、どうやら、左右にある部屋は軍員たちの部屋のようだ。
いくつか何も聞こえない場所もあったが、外の見張り担当の部屋か、下手したら酒を飲んでいない者の部屋である可能性もある。もしもそうだとして、気づかれず中を見られる自信はなかった。
あとで必要があればナギに頼もうと、できるだけ静かに遠ざかり、廊下の奥へ向かう。
突き当りまで進むと、廊下は左右に分かれていた。右側が階段、左側には廊下に並んだものよりも二回りほど大きな扉である。
耳をつけて扉の向こう、音を探る。しん、とした静寂だけが耳を打った。
階段を一度振り返り、深呼吸をひとつ。それから意を決し扉に手をかける。おそるおそる触れたそれは、拍子抜けするほど軽くあっさりと開いた。
中をざっと見回す。それなりの広さがある部屋に、三十ほどの椅子と八の長机が均等に並べられており、窓際には少しの気遣いなのだろうか、小さな白い花が花瓶に活けてあった。
奥は半分だけ出っ張るように、もう一部屋ある。ちらと除くと、かまどや水の入った甕などが見えた。壁にかけられている器具から見ても、おそらく調理場なのだろう。ということは、手前の広い部屋は食堂と思われる。
少し考えて、リュカは調理場の中に足を踏み入れた。暗い中、足元を細い月明かりが筋を描いている。正面は壁だが、大きな窓があった。ガラスは入っていない、木枠だけの窓だ。
その木枠だけの窓の外から、極力見えないよう壁際に立つ。そして、改めて足元を見た。
「……貯蔵庫か?」
上に引き上げる形の取手がついた扉が二つ。調理場なのだから、おそらく食料を保管しておくための物だろう。
しかし、リュカはその向こうに人の気配を感じていた。少し遠くにあったそれは、ずいぶんと早く扉の方へと近づいてくる。
仕込みに必要な作業をしている誰かがいるのか、それとも盗み食いでもしているのか。どちらにしても、今そこから出てこられてはまずいとリュカは食堂の方へ戻ろうとした。
その時だ。貯蔵庫と思っていた扉を向こうから叩く音がして、思わず足を止める。
あまり大きい音ではなく、くぐもったような音だった。それだけこの扉が厚く作られている証拠だ。
「――おい、何のためにだ?」
独り言が口から漏れる。
叩く鈍い音はまだ続いていた。どう聞いても余裕のある叩き方ではなく、リュカは戻ろうとしていた体を反転させる。
そして音がしている扉に近づくとしゃがみこみ、先ほど他の扉にしたように耳を当てた。
「――れ、か……す……」
扉を叩く音に混ざって、途切れ途切れに聞こえたのは紛れもなく人の声だ。
――それも、掠れた嗚咽交じりの。
「どうした、誰だ!?」
自分が今どこで何をしているのかも忘れて、リュカは声を上げた。
そして扉を開けようと、取手に指をかけ思い切り上に引く。しかし厚くて重い扉はびくともしない。
「くっそ、ただ重いだけじゃねぇな」
よく見れば、小さな鍵穴がある。向こう側から開けられないようになっているだろうことは容易に想像がついた。
奥歯をかみしめ、一瞬考えてからリュカは腰の剣を抜く。扉の隙間に差し込んで、鍵の感触を探していると、扉を叩く音が徐々に小さくなっていくのがわかった。
「おい、大丈夫か!?動けるなら離れてろ!」
怒鳴りつけるが、それが聞こえているかの自信はない。とはいえ、切羽詰っている状態で閉じ込められたままなのと、扉の落下による怪我では後者の方がマシだろうと結論付け、リュカは剣の柄を握りなおした。
「はあっ!」
気合と共に、扉の周囲を一周させる。鍵が切れてくれればと期待したその動きは、がきんという音で止まってしまった。何度か力を籠めて動かしてみるが、一向に斬れる手ごたえはない。
ダメか、とつぶやいて剣を抜くと、今度は扉そのものを切ってしまえと言わんばかりに構える。
「――誰だ!?そこで何をしている!」
唐突な声と、まぶしい光に照らされて、リュカは目線だけを動かした。睨み付ける形になったことは否定しないが、情けなくも相手が短く息を飲む音を立てる。
そして声の主は手にランタンを持っていたので、その顔がはっきりと暗い中で浮き上がっていた。
肩先まで伸びた、薄い青色をした髪。疲れの宿る瞳は茶色く、その下には隅ができている。今でこそ険しい表情をしているが、どちらかといえば柔和な印象の顔立ちだ。
フォルカーに聞いた通りの姿に、彼は一層眉間の皺を深くした。
「あんたがエーヴァルトとかいう将軍とやらか。鍵出せ」
「――いったい、何の――」
「うるせぇ、出す気がねぇなら黙って突っ立ってろ」
言いながら、構えた剣を振り下す。しかし無情にも、厚い扉はリュカの剣を阻んだ。
「やめろ!」
「笑えねぇ冗談だな」
「冗談などでは――」
がしゃん、と音が響く。リュカが剣をその場に置いた――というよりは放り投げた音だった。びくりと身をすくませたエーヴァルトを一瞥し、吐き捨てるように言う。
「この下に閉じ込められてんのは、てめえの部下じゃねぇのか?」
「――そうだ」
「で、てめえは何をしてるってんだ?」
エーヴァルトは混乱していた。目の前の青年は、いったい何をどこまで知っていてそんなことを口にしているのだろうか。いや、そもそも彼はいったい何者なのか。なぜ今彼はここにいるのだろうか。
いくつもの疑問が頭をすり抜けるが、何一つとして口には降りてこない。
そうこうしているうちに、扉の向こうが静かになっていることにリュカは気付いた。息を吐き、剣を拾い上げ――その切っ先をエーヴァルトへ向ける。
「こんな形で顔を合わせなきゃならねえとはな」
震えるエーヴァルトの手が、自らの腰に伸びた。護身用の細剣が一振りそこにある。
「抜くな。それを抜かれたら、俺はあんたを斬るしかなくなる」
「――いったい、君は何者だ」
一通りの戦闘訓練を受けてはいたが、剣の腕などからきしだ。ここ数年は机にかじりつきで、碌に手合せもしていないエーヴァルトが、いかにも戦い慣れた風の目の前の青年と斬り合うことなどできるはずもない。言われた通り剣から指先を離し両手を挙げて問う。
「あいにく、明かすわけにいかない。そんぐらいわかんだろ」
「……それもそうか」
思わず納得してしまう。ほんの少し、警戒が緩んだ気がした。
「おい」
「うわっ!」
その瞬間、背後からの声に先ほどよりも大きく身をすくませる。気配などまったく感じなかったのだから当然と言えば当然だった。
「おう、終わったか」
「ああ。上は一通りな」
エーヴァルトを挟んで反対側、音もなく現れたナギに言う。頷いて、彼女は懐から何かを取り出した。そのままするりとエーヴァルトをすり抜け、リュカへそれを渡す。小さな鍵だった。
少し考え、リュカはそれをエーヴァルトに見せる。
「これはここの鍵か?」
「――まさか、殺したのか。彼を」
リュカの問いには答えず、ナギに向かって言った。彼女は面白くもなさそうに鼻を鳴らし、エーヴァルトをちらりと見る。
「殺す必要もない。少し眠ってもらっただけだ」
「……そうか」
その声音に違和感を覚えるも、誰も何も言わなかった。やがてエーヴァルトが、意を決したようにリュカを見て頷く。鍵に対する返答だった。副官であるデニスが持っていた鍵は、静かに月明かりを反射している。
「一緒に来てもらうぞ」
「……わかった」
抵抗するそぶりは微塵もない。頷いて、エーヴァルトはリュカとナギに挟まれる位置へと移動する。その聞き分けの良さに、少しだけナギが驚いた顔をした。
「――君は、あの――酒をくれた少年か」
彼女の顔を見たエーヴァルトが小さく呻く。これまた小さくナギが頷きを返すと、彼は自嘲気味に笑った。
かちゃりと小さな音を立てて、鍵が開く。リュカが扉の取っ手を掴んで持ち上げると、重さはあるものの先ほどまでの抵抗はなく、あっさりと地下への口が開いた。見れば、縄梯子が頼りなくかけてある。それを使って、リュカ、エーヴァルト、ナギの順で地下室へと降りて行った。
当然地下は上の階と違い、月明かりが入ってこない。エーヴァルトが黙ったまま、手にしていたランタンを奥へと向ける。
そこにあったものを目にし、リュカとナギは言葉を失った。
大きく絡み合う肉色の太いそれは、樹齢の大幅に経った木に似ている。上部からはいくつもの塊が垂れさがり、脈動しているのが見えた。木ではないのだろう、葉のようなものは存在していない。人の鼓動にも似たどくどくという音を響かせながら、光の届かぬ地下でそれは蠢いていた。
少しの間、呆然とそれを眺める。するとそれは不意に、幾度か不規則に脈打った。そしてずるりと吐き出されるように、上部から新しい塊がつりさげられている。
「――これは、『フィト・リトス』と呼ばれている」
口を開いたのはエーヴァルトだった。
「いったい何なのか、誰も知らない」
「あんたが一番上なんじゃないのか?」
「私は何も知らされていなかった」
力なく言葉を吐き出しながら、彼はその場に座り込んだ。そのまま独り言のように続ける。
「これの存在を知ったのは、この砦に来てからだ。初めは国境の警戒と言われ任に着いたが――蓋を開けてみれば、ここはただの実験場だった」
「この『フィト・リトス』とやらのか」
「そして、私たちもまた――ただの実験動物でしかない。あの男を除いては」
静かにナギがエーヴァルトを見た。リュカはどこか納得したように頷いている。
「あんた、最初から鍵なんか持ってなかったってことか」
「……その通りだ」
声は抑揚もなければ張りもない。事実だけを淡々とつぶやいて、彼は肩を落とした。
最初から解っていたことだ。自分がお飾りの将軍でしかないことなど。
「頼みが、ある」
頭を下げ、エーヴァルトは言った。恥も外聞も、何もない。
「あの男を――始末してはくれないか」
「あぁ?」
少しは柔らかくなりつつあった、リュカの目つきが一瞬で険しくなる。自分よりも年下だろう青年の低い声に、思わず身をすくませた。
「本気で言ってんのか、てめえ」
「……わたしは構わないが」
「黙ってろ」
呆れたように言うナギに、茶々淹れんなとぼやいてエーヴァルトに向き直る。大の男が、しかもそれなりの肩書の男が、まるで捨てられた子供のようなすがる目をしていた。
「殺してえなら自分でやりやがれ。腰の剣は飾りか」
「もう、嫌だ。己の愚行と知りつつも、部下たちを差し出さなければならないのはもう嫌なんだ」
「おい待て、何つった」
リュカの言葉は彼に届かない。両手でリュカの腕をつかみ、引きずるように力を込める。隅の浮いた両の目に、言い知れぬ狂気が垣間見えた。
「古代魔術の復活など、私の知ったことではない!何の罪もない彼らの命を、粗末にするようなことがあってはならないだろう!」
「落ち着けっつの!」
「許してくれとも言えない!クルト、ライナルト、エルマー、ルッツ、オスカー、ルーカス!」
くそ、と短くつぶやいて、リュカはエーヴァルトの胸ぐらをつかんでその場に立たせる。そのまま後ろの壁際まで彼の体を押し付けると、頭突きを食らわせた。
かなり痛そうな音がして、ナギが思わず肩をすくめる。かしゃんと音を立てて、ランタンが床に落ちた。
「ふざけんなよ!てめえで取れる責任ぐらい取りやがれ!」
石頭なのはリュカの方だ。一瞬くらっとした頭を軽く振って、しゃがみ込んだエーヴァルトに怒鳴りつけるが、呻きが返ってくるだけだった。
「綺麗事ぬかして酔ってる暇があんならてめえで動け!たとえお飾りだろうが何だろうが、今ここの責任者はてめえだろうが!その軍の紋章は何のためにありやがる!」
まだまだ言い足りないと言う顔をしつつ、大きく息を吸う。
「手が汚れるのも嫌だ、部下を粗末にすんのも嫌だ、軍の看板背負って責任負うのも嫌だ、それならとっととどっかへ亡命でもなんでもしろや!」
亡命、という言葉に意識が引き寄せられた。リュカを見上げる目に、徐々に正常な色が戻ってくる。そして彼は、首を横に振った。形のいい唇から、家族、という短い単語が刻まれる。
それを聞き取って、リュカはこれでもかと長い溜息を吐いた。
「今のあんたは、大事なものに誇れるあんたなのか?」
青年の言葉を正面から受け取って、咀嚼する。
それから震える手で腰に手を伸ばし、細い剣の柄に触れた。一、二度大きく深呼吸をし、ゆっくりと立ち上がる。まだ痛むのか、額を軽くさすりながら彼は笑った。
「とんだ石頭だな」
「よく言われる」
ふ、とリュカも相好を崩す。エーヴァルトは、自分よりも少しばかり小さな青年に向かって一礼した。
「改めて――ヴール王国第六曜軍将軍、エーヴァルト・フォン・シュトラウスだ。どうか礼を言わせてほしい」
「いらねえよ。俺が聞きたいのは、あの『フィト・リトス』とやらが何なのかだ」
覚悟を持った響きの声に安堵を含めて、リュカはそう返す。するとエーヴァルトは落ちたランタンを拾い上げ、フィト・リトスという名のそれをかざした。
それから、一瞬迷い――それでも決意は固く、彼は言う。
「よく知らない、というのは本当だ。私がこの砦にきたとき、すでにこれはここで根を張っていた。私がこれについて知っているのは、これが『呼応石』というものを作るための物だということだ」
思わずリュカとナギが顔を見合わせていると、エーヴァルトは続けた。
「これは、その身に人を吸収する。そうして、あれを作り出すのだ」
指差したのは、上部から垂れ下がる肉色の塊だ。これでもかというほど眉を顰め、リュカは問いかけた。
「てことはなんだ、あの数だけてめえの部下が――」
「私が殺したようなものだ。デニスを止められないままきてしまった」
塊の数を数える。先ほど新しく作られた物を含めて四つあった。
「あの塊を開くと中に拳ほどの石が入っている。やけに煌めく、まるで宝石のようなそれが『呼応石』なのだそうだ」
「どういう物かは?」
「知らない。先日までは、あの塊も六つあったはずだが」
「鍵はひとつだけか?」
静かにうなずく。名目上は副官の、ただし自分よりも『フィト・リトス』に詳しい男が持っていたはずだと彼は言った。
「なんか変な髭の奴?」
あまりに唐突にナギがそう言うので、二人が事態も立場も忘れ思わず吹き出してしまったその時だ。頭上の方からけたたましい足音が鳴り響いた。
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