第13話
突貫工事で仕上げたわりにはしっかりとした執務室で、エーヴァルトは今日何度目かになるため息をついていた。
二階建ての砦は、ほとんどが木でできている。これは簡単に組み上げて簡単に解体できるようにであって、そもそも長居することを前提に作られてはいない。
木枠をはめ込んだだけの窓から下を見下ろす。川は、今日も静かに流れていた。
おそらく、デニスは今地下にいることだろう。
この砦の本質は地上ではない。穴を掘って作られた地下室にある。
名目としては、緊張状態にある隣国フォルトリエの国境監視用の砦だった。それも、ヴールが今時分イリャルギに攻め入ったことによる、緊張状態のためだ。
「すべて自ら撒いたものではないか……」
誰にともなくつぶやく。そして、改めて自身の机の上に広げられた手紙に目をやった。王家の意匠が施された封書と封蝋、そして便箋。何度読んだとて同じことしか書いていないが、それでもエーヴァルトは諦めきれずに机につく。
愛用のペンと、広げられた便箋と同じものを引き出しから取り出して、これもまた何度目かになる手紙をしたためることにした。
その内容は、砦で行われている『実験』の中止を請うものである。
まず人道に悖る、優秀な人材の喪失、目的不明のまま駐留することによる軍の士気低下。中止の理由をいろいろと書き連ねてはみるものの、王都からの返事はいつも同じだった。
それこそ描写は様々ながら、つまるところ『継続せよ』の一言である。
しかし不思議ながら、一向にエーヴァルトを罷免する様子はなかった。これほど幾度も中止の意思を伝えているにも関わらず、である。
「……はたして、本当に届いているのだろうか……」
一抹の不安が彼の胸中をよぎった。
中止してほしい意向をいくら書き連ねてみても、それが王家もしくはそれに近しい相手に届かなければ無意味だ。だが、残念ながらエーヴァルトには他に中止を請う術がなかった。
いっそのこと、ここから逃げ出してしまおうかと思うこともある。幸いと言うべきか、森の向こうはフォルトリエの領土だ。イリャルギの一件があった最中ではあるものの、表だって争っているわけではない。亡命することは可能だろう。
そうは思いながらも、今日も彼は手紙を書いていた。
「もしも姉上がこんな私を見たら笑うだろうな……」
自嘲気味につぶやく。
その時、執務室の扉が音を立てた。二度のノックののち、失礼します、と声がする。
「どうした?」
「は、それが――」
部屋に入ってきた青年の名は、カール・ヒュッター。普段は実年齢よりも大人びて見える彼が、今は少し焦ったように見えた。
「どうした?」
「あの、薬売りがきておりまして。どう対応するか、申し訳なくもうかがいたく」
再度同じ言葉で尋ねたエーヴァルトの眉間に、わずかに皺が寄る。
薬売りとのことだが、どうやってこの砦を見つけたというのだろう。名前すらもないこの砦は、きわめて簡素であると同時に、秘密裏に作られたもののはずだ。
それとも、王都ヴィットベルクからきたのかもしれない。どちらにしても、無下に追い返すのは愚策だ。
「わかった、私がいこう」
「ありがとうございます」
書きかけの手紙を残して立ち上がる。カールがぺこりと一礼し、先導するように廊下を進んでいった。
彼に続いて階下に降りると、ずいぶんにぎやかな雰囲気が伝わってくる。何人かに囲まれ、にこやかに手に持った何かの説明をしているのは、周りの軍員たちとそこまで年齢も変わらないだろう青年だ。
薬売りという名前から、もう少し年かさの男を予想していたエーヴァルトはやや鼻白んだ。
「本当ですかー?」
「本当本当。切り傷なんかこれでさっと治っちゃうから!」
疑いの目で言う軍員に、青年は笑って塗り薬を勧めている。前髪で半分隠れた顔は若干汚れているが、身なりはこざっぱりとしていた。良く見れば、青年の脇にもうひとり少年らしき姿もある。助手か手伝いか、とにかくそういったものだろうとエーヴァルトは思った。
「あ、エーヴァルト様!」
「すみません、あの……」
何人かが彼に気づき、申し訳なさそうに身を縮ませる。気にするなと手を振り笑いかけてから、件の薬売りの元へと近寄った。
「せっかくだから私にも見せてもらえるか」
「おや、あんたがお偉いさんかい?」
「一応は」
言葉は丁寧とは言い難いが、嫌な印象は受けない。人懐っこそうな笑顔のせいだろうか。くすりと笑うと、少年の方が慌てて頭を下げた。
「いやいや、勝手に入ってきちまって悪かったねぇ。そこで怪我した子がいてさ」
「怪我?」
言って、軍員たちを見回す。おずおずと手をあげたのは、年若いイザーク・マイツェンという軍員だった。ちょこちょこと歩み出てきたその膝には、白い布が巻かれている。
「……申し訳ありません。砦から少し離れた場所で、うさぎを狩ろうとした折、張り出た木につまずきまして……」
「深い傷なのか?」
「い、いいえ!まだ少し痛みますが、けしてそんな」
「お偉いさんが心配するほどじゃないさ」
割り込んできたのは例の薬売りだ。
「ただちょいと傷の範囲が広くてね。足引きずってたんで、勝手に治療させてもらったんだよ」
「そ、それでその、どこから来たか聞かれまして」
恐縮しつつ、上目使いで言うイザークにため息が漏れそうになり、エーヴァルトはそれを即座に飲み込んだ。
無理もない。この砦が何に使われているか、知っているのは彼とデニスだけだ。他の軍員たちは、国境の見張りと強化訓練を兼ねているぐらいにしか考えていない。この薬売りにも、そう説明したのだろう。
そこまで考えて、ふとエーヴァルトは思った。
「誰か、ギーデン殿をお見かけしたか?」
しん、と辺りが沈黙する。
どうやら今日、かの副官を見た者は誰もいないらしい。左右の同僚と確認し合った彼らは、そろって首を横に振った。
「……そうか」
普通に考えれば、朝から軍の副官の行方が知れないのは大事件だ。しかし、こういったことは珍しくもなかった。おそらく、ヴールの西端、国境近くにあるフィノイの町にでも羽を伸ばしに行っているのだろう。
特に探す様子もない彼らを不思議に思ったのか、薬売りが首を傾げていた。
「ああ、問題ない。それで、商品は見せてもらえるか?」
「はあ……ええ、どうぞ」
疑問は様々あれど、特にこちらの事情に首を突っ込む気はないのだろう。にこりと再び笑顔を浮かべ、薬売りは持っていた箱の中からいろいろと取り出してみせた。
これは切り傷に効く塗り薬、これは打撲に効く貼り薬。他にも滋養強壮に効く飲み薬など、大いに軍員たちの興味をひくものばかりだ。
さらに少量ではあるが、それこそ滋養にと甘い菓子なども取りそろえていると言う。これには特に何名かが目を輝かせていた。
エーヴァルトは軽く笑い、薬の在庫を軍員に問う。そういった物の管理は、アルトゥル・ロルバッハの役割だ。彼は暗記が得意で、エーヴァルトは非常にアルトゥルを重宝していた。
今回も例にもれず、正確な在庫を口にする。王都から持ってきたものも、もうかなり少なくなっていた。もちろんフィノイに行けばいくつかは買えるだろうが、この薬売りほどの品はおそらくない。
少し考えて、エーヴァルトは薬売りに言った。
「では、いくつかもらおうか。アルトゥル」
「はい」
呼ばれて、一歩前に出る。
「購入は任せる。それと、その菓子を。皆で分けるといい」
銀貨を数枚アルトゥルに握らせて言うと、誰ともなく歓声が沸きあがった。苦笑しながら、よろしく頼むと薬売りに一礼する。
「ほら、他の皆は訓練に戻れ。イザーク、君は反省文だな」
「……はい」
砦の中へ追い立てるように軍員たちを戻し、怪我をしているイザークには反省文の名目を渡すことで、部屋で安静にしているよう指示を出した。肩を落とし、ひょこひょこと戻る彼に肩を貸すのはカールである。
そして、商売は二人に任せることにしたエーヴァルトが、適当な場所に腰を下ろしてアルトゥルと薬売りのやりとりを見守っていると、少年が何かを手に近寄ってきた。
「あの……これ。たくさん、買っていただいた、お礼です」
思ったよりも高めの声で少年は言い、手にした物を差し出す。首を傾げつつ受け取って包みを開くと、ヴィットベルクでは結構有名な酒がひと瓶現れた。
「これは?」
「先生がこの間、頂いた物で。申し訳ないのですが、その、先生、少々酒癖が悪くてですね……できれば、その、受け取っていただけると」
言いながら少年はちらちらと薬売りの方を気にしている。どうやら内緒で持ってきたのだろう。見つからないうちに隠してください、と彼は付け足した。
「そうか、ならば遠慮なくいただこう。皆に振る舞っても?」
「はい、でも、その、あまり量がなくて……」
「大丈夫だ、それほど量は飲まない者が多い。それよりも味を楽しむタイプとでもいうのかな?なに、これはいい酒だ、皆喜ぶだろう。ありがとう」
「い、いえ、こちらこそ」
ぺこりと頭を下げ、少年は小走りで薬売りの方へと戻っていく。それをほほえましい気持ちで見送って、エーヴァルトは立ち上がった。今日の夜にでも、皆でこの酒を飲もうと思いながら。
猫の爪でひっかいたように細い月が、ぼんやりと夜の闇を照らしている。
辺りの声が消え静まり返ったことを確認して、リュカは改めて砦を見た。簡素すぎる砦である。
かがり火がいくつか炊いてあるのがわかるが、どうやら見張りなどはいなさそうだ。うまくいったらしい、と後ろを見て頷いた。緊張した面持ちのフォルカーがそこにいる。
二人は姿を隠すこともなく、堂々と砦へと歩いて行った。向こうからも二つの人影が歩いてくるのが見える。かがり火が逆光になって顔は見えにくいが、誰かはすぐにわかった。
「さすが」
「それほどでも」
にやりと笑って言えば、同じように答えが返ってくる。
「それで、どうする?」
少年に扮したナギがフォルカーへ視線をやって言った。我々と違い、彼は薬売りなのだから、もしも荒事があった時には危険だろうと問う。
「じゃあ、俺が残るよ」
手を挙げたのは、フォルカーから薬一式を借り受けていたクライヴだ。自身の機械弓が入った布袋が目立たなくなるぐらいに、その荷物は多くあった。
「あ、これ売上ね。あと物は向こうの木陰に隠しておいたから」
「あ、ああ」
銀貨と金貨の混ざった売上を受け取って、フォルカーは頷く。
クライヴとナギが薬売りに扮し、取引の後砦を発ったと思わせて、物を隠し宴が終わるまで待っていたのだった。リュカとフォルカーはそれに合わせて、二人と同じようにルベルマクからサイユの森に入り、川を越えてきたのだ。
「迷わなかった?」
「まあ俺は。少し慣れてたってのもあるし――おっさんはちょっと辛そうだったけど、俺より早かったかも」
「やっぱり、マガツが落ちた分結界が弱まってるんだよね。一応残りの里が頑張ってくれてるみたいだけど」
クライヴの言葉から、あの婆様が実力者だったことがよくわかる。ただ、今の彼らにとって里の結界が弱まっていることは、好機でもあった。そうでなければ、一度通ったリュカはともかくフォルカーを連れてくるのは難しかっただろう。
「よし、じゃあ行くか。ナギ、例の酒は渡したんだろ?」
「ああ。彼の情報通り、いい上司みたいだな」
口元にわずかな笑みを乗せて、ちらとフォルカーを見やり彼女は言う。
「ちゃんと見張りも含めて全員にいきわたるように配ってた」
「そりゃいい上司だ」
リュカも笑って頷いた。当のフォルカーは、何ともいえない苦い表情をしている。
もともとヴールの人間だけに、フォルカーは第六曜軍将軍――エーヴァルトについてもいくらかの人物像を聞き及んではいた。部下である軍員たちに気遣いのできる人間だという評価だ。
「まああの人なら、そうするだろうな」
「睡眠薬入りとは知らず、ね」
まさにフォルカーとクライヴの言うとおりで、エーヴァルトはナギからの酒を軍員たちに大いに振る舞った。
結果、砦は静まり返っている。
「そんじゃ――ナギ、行くか。クライヴ、後は頼むわ」
「ああ」
「はいよ」
返事は重なった。
鬼が出るか蛇が出るか。タエはこの砦に、古代魔術の残滓が収束していると言っていた。もしもそれが本当ならば、リュカの取る手段はたったひとつである。
そしてそれは、もはや商工会の命などとは関係なく、彼自身の心のありように従うだけのことだ。
小さく頷くと、念のためにとフォルカーの護衛にクライヴを残し、リュカとナギの二人は砦へと忍び込むことにした。
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