第12話
「なんだいあんたたち、生きてたのかい!」
恰幅のいい女将――ラルベット嬢にそう言って笑われたのは、つい先ほどのことである。
ルベルマクまで戻ってリュカが最初にしたことは、二人と同じ宿に移ることだった。それから裏の井戸で体中の汚れを落とし、服も替え。汚れたものは洗濯し、場所を借りて干してから、宿の中に戻る。
「おばちゃーん、メシー」
「今作ってるから待ってな!」
結局、埋葬自体は昨日の夜までに終えたものの、使えない里を残してはおけないらしく、後片づけはさらに一日がかかる仕事だった。建ててあった家ややぐらは少人数でも簡単に解体できるようになっていたとはいえ、里の家畜はいないし、収穫されたものを保管しておくのだろう倉も空。里には本当に何も残っていなかったので、携帯していたわずかの保存食でちょうど二日を過ごしてから帰ってきたのである。
その後のちゃんとした温かい食事が、待ち遠しくないわけがない。
運ばれてきたものをすぐに平らげ、食後にと出された茶を啜ってやっと一息ついた。
「その……なんというか……すまない」
ぺこりとナギが頭を下げる。埋葬してやりたい、と言い出したのは彼女だった。
とはいえ、何が悪いわけでもない。同意したのは自分だし、確かに予想以上に大変ではあったがやらないよりもずっとよかった。
「気にすんなって」
それでも、気が済まないのかナギは何か言いたそうにしている。まったく、と呆れつつリュカは言った。
「お前ね、そーいうときは『ありがとう』でいいんだって」
「……そう、か。ありがとう」
多少ぎこちなくはあるが、笑みを浮かべて答える。目の下にうっすら浮いた隅が、少し痛々しかった。
「それで、砦に入る策は考え付いた?」
頬杖をついてクライヴが問う。正直に首を横に振るリュカに、誰ともなく息を吐いた。
「今んとこ何も思いつかねーや、場所すらわかんねぇし。とりあえず、ちょっと関所の門のとこまで行ってくる。二人はなんか使える情報がないか集めといてくれよ」
「わかった」
「はいはい」
二人の返事を聞いてから茶を飲み干し、リュカは席を立った。そして去り際、カウンターに並べられた菓子の詰め合わせに足を止める。
「おばちゃん、これ一個ちょーだい」
「代金はそこの籠に入れといてくれたらいいよ!」
カウンターの奥から元気な声が返ってきて、リュカは笑いながら代金を籠の中へと入れた。テーブルに座ったままの二人は、不思議そうにこちらを見ている。
手をひらひらと振り、特に何を説明するでもなく、リュカは宿の扉を開けた。
ルベルマクの町の真ん中を通るイクテイン街道をまっすぐ行けば、三日前に門前払いをくらった門がある。門の左右には石造りの塀が伸びていた。北側は森の手前で、南側は崖で。それぞれ塀は途切れている。
大して高い塀でも、大きな門でもないが、道を外れてまで入国しようという者はそうそういないようだ。相変わらず門番を務める男が、退屈そうに立っていた。
入国できる順番待ちの列はそれほど長くない。途切れるのを待って、リュカはにこやかに歩み寄る。
「よう」
「ああ、君か。まだこの町にいたのかい?」
「まあな」
三日前と同じく、マルクに話しかけてみた。向こうも覚えていたようで、軽く手を挙げて答える。
「まだ検問は続きそうか?」
「そうだね、まだ何の知らせも来ていないし。もうしばらくはこの体制が続くんじゃないかなあ」
「しかしあれだな、みんなずいぶん行儀がいいよな。暴動が起きる気配もないし、塀越えしようとする奴もいないみたいだ」
辺りを見回しながら言うと、マルクは軽く肩をすくめた。
「まあ、ほとんど商人だからね。ここで騒いだりしたら、今度はフォルトリエ国内でも商売がしにくくなることもあるだろうし」
はっきりとは言わないが、商工会の圧力がかかるのだろう。うっかり出そうになった舌打ちを何とか飲み込んで、リュカは頷いた。
「あ、でも昨日だったかな?同僚から聞いたんだけど、けっこう食い下がった人がいたみたいだよ」
「へえ?よほど大事な用事でもあんのかね」
「わからないけど、薬売りみたいだったって言ってたなあ。最後は泣き落としされて、ほとほと困ったってクレールの奴愚痴ってた」
「それだけやられても通したりはしないんだろ?」
「当然だよ!僕たちだってこれが仕事だからね」
胸を張る。そりゃそーだと笑いながら、リュカは宿で買った菓子をマルクに差し出した。
「んじゃ、がんばってるあんたに差し入れだ」
「……そんなのもらっても通せやしないよ」
「誰もそんなこと言ってねぇだろうが。純粋に労ってんだよ、少ししかないけどな」
「む、そうか……うん、それなら」
一度渋い顔になったくせに、甘いものに目が無いらしい。きらきらと表情を輝かせ、マルクは菓子を手に取る。
同僚に見つからないうちに食べてしまおうと思ったのか、槍を塀に立てかけ、包みを開けて焼き菓子を頬張った。
目じりの垂れ下がったころを見計らって、リュカは再度声を掛ける。
「ところでよ、その迷惑な薬売りはもうルベルマクを出たのかね」
「さあ?僕はよく知らないけど、クレールが言うにはとぼとぼと向こうの宿のほうに行ったって話だよ」
「へえ、待つつもりなのかねぇ」
もぐもぐと菓子を咀嚼する合間に答えるマルクに、リュカは適当に相槌を返してから、それじゃあと手を上げる。
「そんじゃ、引き続きお仕事がんばってな、マルク」
「あはは、ありがとう」
上げた手を軽く振りながら去っていくリュカを見送って、またもマルクは彼の人が誰だったのかを考えた。しかしやはり結局のところ、何も思い出せはしなかった。
その日の夜、二人は自分たちが泊まっているのとは異なる宿の前にいた。中からは酔っ払いの陽気な声が聞こえている。
「ここか?」
「だと思う。飲んだくれているらしい」
リュカの短い問いにナギが答えた。
「しかし少ない時間できっちり調べられるあたり、さすがというかなんというか」
感心とも呆れともつかない微妙な感想を漏らす。
リュカが門番マルクから聞いた『薬売り』の所在を、ナギに調べてもらうよう頼んだのは今日、日が傾き始めてからのことだ。
それから一時間もしないうちに、彼女は『薬売り』がいるらしい宿を突き止めてきた。
「別に、狭い町だしな。昨日の一件で目立っていたようだし、そこまで難しいことでもない」
あっさりと答える。クライヴと異なり彼女は暗殺担当のはずだが、剣の腕だけではなく情報収集もなかなかのようだ。
「そんじゃ、行きますか」
「ああ」
言って、扉を押し開ける。中の酒飲みたちは、外から入ってきた客には目もくれない程度には盛り上がっていた。
テーブルはほぼほぼ埋まっている。空いている席を探しているかのように辺りを見回すと、ナギが脇腹を軽くつついてきた。いた、と唇が動く。
途中給仕の女性に酒をふたつと水をひとつ、それから適当に肴を頼んだ。そして少し奥まったテーブルへと向かう。
「すまんが、相席を頼んでも?」
胡乱な目をした男がリュカを見た。無精ひげが生えている。年はおそらく、五十代ぐらいだろう。
「……他の席は」
「あいにく埋まってるようでさ。もちろん、ただとは言わない」
そこへちょうど、給仕の女性が注文したものを持ってやってくる。酒をひとつ男の方へ押しやって、リュカは再度聞いた。
「相席を頼んでも?」
「……勝手にしろ」
ちらりとナギを見る。彼女は水を受け取り、黙ってうなずいた。
「しかし、いつになったら通れるのかね」
酒を傾けながら、ぼやきを装ってリュカが言う。
「わたしに聞かれても」
いつもとは少し異なる声音でナギが答えた。どう異なるのかと聞かれれば、ごく普通の女性らしい声音だ。
内心の驚きを隠しとおして、リュカは続ける。
「どっか別のとこから通れればいいのに」
「……無駄だ」
不意に男が口を開いた。
「無駄?」
「ああ、無駄だ。他の場所からは通れない」
首を傾げ、ナギと顔を見合わせる。男は独り言をこぼすように、つぶやき続けた。
「森は……森はヴールの奴らが見張ってやがる。俺は一刻も早く向こうに帰らなきゃならないのに、ヴールの奴らならわかってくれると思ったのに、あいつら、撃ってきやがって、あいつら」
「なあ、おっさん」
ぶつぶつとぼやいていた男が嫌そうに視線を上げる。
「あんた、国境越えたいんだろ?俺たちもなんだ」
「ふん」
面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「だからなんだ。向こうには行けない。娘にも会えない」
「娘さんがヴールにいるんだな」
「そうだ。三年の行商を終えて、やっと戻ってきたんだ。なのに、今になって通れないと言いやがる!」
興奮した男をなだめつつ、もう空になった酒を再度頼む。それが運ばれてくるころには、男も少し落ち着いていた。
自分は二杯目の、男にはすでに何杯目かわからなくなった酒を勧めながら、リュカは声を落として問いかけた。
「なあ、あんた俺たちに協力する気はないか?」
「協力だと?」
「ああ、協力してくれれば向こうに行くこともできるはずだ」
考え込む男。酒の入った木のカップを握りしめ、水面をじっと見つめている。
ナギが何か言いたそうな視線を投げてくるが、にこりと微笑んでそれを躱した。それで納得したのか、彼女もまた男の言葉を待つ。
「――何をすればいい?」
たっぷりの間の後、低く男は言った。
「まず、あんたの名前を教えてくれ」
リュカの問いに、男はいささか驚いたようだ。目を見開いた状態で彼を見る。
それから、ほんの少し口角を上げて笑った。
「フォルカーだ。フォルカー・グレーデン」
「リュカ・デジレ・アッシュ。よろしく、フォルカー。こっちはナギ」
「おう、よろしくな」
ナギの方を向いて言う男の目に、先ほどまでの淀んだものはない。静かにうなずいた彼女を見て、リュカは少しだけ安心した。
「さて、本題だ。フォルカー、あんたが撃たれたっていうのは森のどのあたりでの話だ?」
簡易的な地図を広げて問う。ルベルマクの町と街道、関所、崖、森などが描かれているそれは、ここに来る前クライヴに書いてもらったものだ。
フォルカーは悩みながら、森の一部分を指した。
「断言はできないが、おそらくこのあたりだ」
そこに印をつけ、リュカはナギを見た。彼女は黙ったまま、また頷く。それはマガツの里から東の位置にあることを示す頷きだった。
「川は見たか?」
「ああ、見た。もう少しこちら側だったかな……それほど太くも深くもなさそうだが、あっさり渡れるかと言われれば難しそうだ」
「なるほど。橋は?」
「俺が知る限り、ないな」
フォルカーの答えに、リュカは少し考え込む。疑問がいくつか浮かんだが、そのあたりはクライヴが明日あたりに解消してくれるはずだ。
気を取り直し、彼は続けた。
「俺たちの持っている情報では、おそらくフォルカー、あんたが撃たれたあたりの川向うにヴールが新しく砦を築いているはずなんだ」
「砦だと?何のために」
「推測だが、実験場ってとこかな」
フォルカーの眉間に深い皺が刻まれる。そのまま彼は腕組みをし、深く思案に浸っているように見えた。
しばらくの後、彼は言う。
「もしやそれは――失われた術のことか」
即座に緊張が走った。
リュカの手が剣の柄に触れ、ナギの全身から警戒の殺気があふれ出す。
幸い、にぎやかな酒場の中だ。それに気づいた者はいないが、当のフォルカーは軽く手を叩いた。
「落ち着けって、特にそっちの嬢ちゃん」
かなり大きな音を立てて叩いたせいで、酒場の客たちが一瞬静まりかえる。
しかしそれも本当に一瞬のことで、またすぐに室内はにぎやかな声で埋まった。
「……どうしてそれを知っている?」
言われた通り全身からは消えた殺気を、目の奥にだけ残してナギは問う。声音はすっかりいつもの彼女だ。
「どうもこうも、俺が国を出る三年前にはそんな話があった。知っての通り、ヴールは工業国だ。資源はあるが、農耕に適した豊かな土地なんてもんはない。主に貿易によって成り立っている」
「それはお互い様だ」
「だが、それを嫌悪する者もいる――それが、今のエーベルヴァイン家だった」
「――なんだと?」
思わずリュカの表情がまた険しくなる。
エーベルヴァイン家。それはヴールの王族の名前だ。
「王は軍事力の拡大に力を入れ始めていた。その一端として、魔導の国と呼ばれるマギサを上回る力を手に入れんが為、太古の禁忌魔術を復活させようとしている――」
言ってフォルカーは手元の酒を煽る。
「そんな噂があったのが、三年前のことだ」
噂か、とつぶやいてリュカもまた、カップを空にした。
「だけど、本当なんだろう?」
問いかけたフォルカーがじっとこちらを見つめている。空のカップをテーブルに置いて、何と返そうか迷っていると、先にナギがああ、と一言だけつぶやく。
「俺が耳にしたときはただの噂だった話が、三年も経てば本当か……やりきれんな」
「正直、俺はどこまで本当かわからない」
ため息をついたフォルカーにかぶせるように、リュカがつぶやいた。
「本当にヴールが、その王族が、例の砦で古代魔術の実験をしているのか。あんたに向けて攻撃してきた奴らは、本当に川向こうの砦の奴らなのか。だとしたらなぜなのか、あんたを賊か何かと間違えたのか、それともやはりその砦では何かやましいことをしているんじゃないか――考え出せばきりがない」
「確かにな」
言われて、フォルカーが頷く。
「だから、確かめようと思った。そのためにはあんたの協力がいる。俺たちだけじゃ、砦の中には入れない。そんでまあ、ついでにあんたを向こうへ送れれば、と」
「ついでかよ」
今度は笑う。苦笑ではあったが。
「だから、もう一度頼む。俺たちに協力してくれないか」
リュカが言うと、その苦笑のままフォルカーは答えた。
「――俺は、何をすればいい?」
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