第11話

 『よかろう。確かに川向う、新たな何かを作っていたようじゃ。もっとも、おぬしらが行ってそう簡単に入れるとも思えぬがのう』

 「そのへんはおいおい考える。ついでにもう二ついいか、婆様」

 『少しぐらい増えたとて、この婆に何の損もありゃせんよ』

 「今回里を襲った呼応石の一件。その砦が関与している可能性はあると思うか?」


 数秒の沈黙が流れる。

 それから、タエはゆっくりと答えた。


 『魔術――不可思議な力の足跡とでも言おうかのう。それがな、続いておるんじゃ。まっすぐ、東の川向うに。古代魔術は使う力も大きい、すぐには痕跡も消えん。そして、それを使う場所は――』

 「痕跡がひときわ大きく見えるってことか」

 『聡いことじゃて』


 ふう、と息を吐く音が聞こえる。


 「まだ休むには早いぜ。もうひとつ残ってるだろう、婆様」

 『聞かんでもわかる』


 互いに真剣な声だった。先に話を始めたのはタエの方だ。


 『その娘をおぬしに差し向けた理由じゃろう?』

 「話が早くて助かる。暗殺と助力が結びつかなくてな」

 『ほっほ。それはそうじゃろう。ナギを差し向けたのはあくまで依頼があったからじゃ。そして儂は、そこなクライヴにお主のことを調べてもらい――結果、お主に二人の助けになってほしいと思った。もちろん、それなりの力量があってのことじゃが』


 試しやがったな、と笑って言った。どうやら、大事な大事な娘を託すに値すると思ったらしい。勝手なことをとは思うが、リュカにはそれを否定しきれなかった。

 それよりも、その依頼とやらが気になって、さらに問いかける。


 「どこからの依頼だ?」

 『言うてよいものか、儂とて迷ったわい。しかし、おぬしがここまできたのならば、教えようとは思っていた』

 「能書きはいい」


 珍しくも、苛ついた口調になった。それは、タエに問いかけながらもその答えに勘付いているからに他ならない。

 それを理解してか、タエは微かに笑う。呆れを多大に含んでの笑いだった。


 『おぬしの想像通りじゃよ。依頼を里へ持ち込んだのはリスナール家――もちろん、ギロディ家も承知してのことじゃ』

 「――そうか」


 リュカの表情が険しくなる。自国の商工会、その大老部であるリスナール家。先日商工会館で見た皺の多い顔を思い出し、自然とそういう顔になるのも仕方のないことだった。

 しかもギロディ家が許可を出している。リュカに国境視察の命を出した彼の老爺は大老部の中でも筆頭と呼ばれ、要は商工会のもっとも上に位置する人物だ。


 「あいつらは、よほど俺が邪魔らしい」

 『肯定以外の言葉を探すのは難しいのう』


 茶化すように言ったタエに、少しだけ救われる。


 『じゃが、二人を行かせて良かった。だからこそおぬしは、今ここにおる』

 「違いない」

 『ナギを……儂の娘を、よろしく頼む』

 「できる限りのことはするさ。どこまでできるかはわからないけどな」


 まるで彼女の、頭をなでるような。そんな響きの優しい声に合わせるように、ふ、と笑った。当のナギは不思議そうにリュカを見ている。


 『さて、少し休むとしようかのう』


 今までとは異なり、その声は室内に響いた。当然、ナギとクライヴにも聞こえる。


 「婆様……」

 『ナギ、悲しむことは何もない。お前はもう、ひとりではないじゃろう?』

 「違う、婆様。わたしはずっと、ひとりなんかじゃなかった。婆様もいた、クライヴもいた。里のみんなだっていた。だから、わたしは――」


 ぎゅっと握りしめた拳が、膝の上で震えていた。


 「わたしは、必ず、止めてみせるから。こんな思い、もう他の誰にもさせない」

 『いい子じゃ。いつか、また会おうぞ。ずっとずっと、先のいつかにの』


 優しく微笑むタエの顔が見えた気がして、すぐに声は聞こえなくなる。

 ぽつりとナギの拳の上に雫が落ちて――リュカは、タエの言葉の意味を知った。ほぼ同時に、向かいの敷物の上にあった人影と思っていたものが、ごとりと崩れ去る。それは老婆でもなんでもなく、ただ大きな石にフードのついたローブをかぶせていただけのものだ。


 「――待っててくれたんだな」

 「……ああ……」


 自然と口から言葉がこぼれる。頷くナギの頬を、幾筋もの涙が伝っていた。




 空に星が瞬いている。

 タエの家のすぐそばで小さな焚火を見ながら、リュカはぼんやりと思いをはせていた。


 「お疲れ」

 「――おう。あいつ、眠れたか?」

 「もうぐっすり。まだまだ子供みたいなもんだね」

 「まじか。つか何歳だよあいつ」

 「うーん、確か十六とかそこら。正確じゃないけど」

 「……末恐ろしいな」


 笑ったクライヴが、近くに腰を下ろす。そのまま視線を里の中心部の方へ泳がせ、彼はつぶやくように言った。


 「悪いね、付き合わせてさ」

 「乗りかかった船ってやつだろ。逆にここで知らん顔なんかしたら夢見が悪すぎる」


 言って、体についた土を払う。クライヴも同様で、腕や指先についた汚れを濡らした布で拭いていた。

 タエとの対話の後、三人は里の中にあった遺体をすべて埋葬した。とはいっても三人しかできる人間はいないので、中心にあった櫓を壊して大きな穴を掘り、そこに里の人たちをまとめて埋めただけのことだ。

 そんな埋葬でも、ナギとクライヴはリュカに深く感謝していた。


 「クライヴ」

 「なに?」


 聞きたいことでもあるのかという表情の彼に、リュカは言い淀む。少しの間、薪がはぜる音だけが響いた。

 やがて、答えたくなきゃいいんだけどよと前置きして彼は言う。


 「ナギとお前は、『黒衣』なんだよな?」

 「まあね。自分たちで名乗ったことはないけど」


 実際、彼らが自らをそう名乗りだしたと言うよりは、その黒ずくめの格好のせいでそう呼ばれ始めたというほうが正しい。軽く肩をすくめ、クライヴは答える。


 「確認しときたいんだが、『黒衣』ってのはどっからか依頼を受けて、誰かを暗殺するのを仕事にしてるんだよな」

 「簡単に言うとそうだね。ただみんながみんな、暗殺稼業してるわけじゃなくて。俺みたいに依頼の繋ぎをしたり、それぞれの国の情報を集めたり、それこそターゲットを調べ上げたりしてる奴らもいるよ」

 「なるほど。で、ナギは暗殺稼業専門と」


 頷きながら言ったリュカに、とぼけながらクライヴが聞いた。


 「なんでそう思う?」

 「あれだけの腕があるならと思っただけだ。腑に落ちないこともあるけどな」


 嫌味に聞こえなくもない回答に、苦笑が漏れる。


 「昔、まだ俺がガキだったころにたぶん一度だけ会ったことがある。『黒衣』の男に」

 「へえ、少し意外だね」

 「うちが依頼したりされたりしたわけじゃなくてさ。何かの情報集めの一環だって言ってた気がする。なんせガキの時のことだからもうだいぶあいまいなんだけどさ」


 また、パチリと薪がはぜた。


 「雨の日だったかな。夜中起きて――居間に親父殿といたのを見た。そんときはわかんなかったけど、おそらくはそいつが『黒衣』だった」

 「話を?」

 「いや、何も。すぐに親父殿に追い立てられたからな」


 ガキに聞かせるような話でもないんだろうよ、と少し自嘲気味に笑う。


 「そいつの顔が見えたのは一瞬だけだった。けど、ものすごく冷たい目をしてたな。まるで刃物みたいな。視線だけで何かが切れるんじゃないかってぐらい鋭くて、その後夢に見て――」


 泣いてアストラに慰められたのは幼い日の思い出だ。うっかり口を滑らせそうになり、そこで止めて咳払いで誤魔化す。


 「でも同時に、空っぽだなって思ったんだ」

 「――空っぽ、ねえ」

 「鋭いのに、その奥には何にもないみたいで。それがガキの俺には余計不気味に見えたんだろうな」

 「当たらずとも遠からずってとこかな」


 立ったままだったクライヴが、焚火を挟んでリュカの反対側に腰を下ろした。


 「俺たちはうんと小さなころに、婆様に素質を判断される。俺みたいに情報収集や繋ぎに向いているのか、ナギみたいに暗殺の手腕が優れているのか。変わったとこじゃ、外部との商売や武器の制作に向いてるってやつもいる。もちろん、どれでもないやつもいる。そういう奴らは、だいたい里の維持――家畜の世話や畑の手入れなんかをする」


 今夜のクライヴは軽装だった。いつも背負っている機械弓は、タエの家の脇に立てかけられている。危険はないと判断してのことだろう、とリュカは思った。


 「その中で、暗殺に向いてるって判断されたやつは子供のうちに感情を捨てる訓練をする。おそらく、あんたの見たのはそういう奴だ。おそらく貴族や騎士の情報が思ったように得られなくて、アッシュ家に接触したんだろ」

 「そういうこともあるんだな。完全分業ってわけでもないのか」

 「臨機応変ってやつよ」


 なるほど、と一応は頷く。そしてそのまま考える素振りをした後、軽く首をひねった。腑に落ちない。


 「――なあ。じゃあなんだってナギは――」

 「俺も初めて知った」


 言いたいことをくみ取って、クライヴが先に答える。

 そうは見えなかったけどなとリュカが茶化せば、動揺が顔に出ない性質でねと返した。


 「今まではそんなことなくてさ。でも、やっぱり――かわいそうだったのかもね」

 「……あいつがどう思ってるかは知らねぇけどよ、感情残したまま殺しの仕事するほうが辛いんじゃねぇの?」

 「うん――でも、あの子はちょっと特別だから」


 言っていいかどうか、迷っているようだった。とはいえ、リュカにはどうすることもできずただ黙って待つ。

 しばらく焚火の音だけが流れた。リュカが細い枝を火にくべ、クライヴはそれをぼんやりと眺めている。


 「――あの子はさ、捨てられてたんだよね。見つけたのが俺」


 やがて息を漏らすように、クライヴは言った。機械的に枝を放り込んでいたリュカの手が止まり、彼を見る。オレンジの光が静かにその表情を映し出していた。


 「あの日のことはまだ覚えてる。そのころ俺は、前任の繋ぎ役の人にあっちこっち連れまわされててさ。情報収集はもちろん、いわゆる『お得意様』との顔合わせなんかをしょっちゅうやってた」


 その時の光景を思い出しているのか、口元に優しい笑みを浮かべたまま彼は続ける。


 「久しぶりに里――ここに帰ってきた時のことだよ。森の中で声がするんだ。赤ん坊の声が。やけに力強くて、でもか細くて。当たり前みたいに探して、あの子を見つけて、俺が連れ帰ったんだ」

 「そうだったのか」

 「うん」


 気の利いた言葉が出てこない自分がもどかしかった。

 だが、リュカの見る限りクライヴの言葉は独白に近く、おそらく返事などどうでもいいことがうかがえる。ならばと相槌をうつだけにして、ただ彼の独白を聞くことにした。


 「里の皆は驚いてさ。そりゃそうだよね、女っ気なんてこれっぽっちもない十三の男が急に赤ん坊抱いてくるんだもの。訳を話したら話したで、親元に帰すべきか、里で育てるべきか、はたまた殺してしまうべきかって、もう大揉め」


 そりゃそうだろうな、とリュカは思う。何にしろ、食い扶持が一人増えるのは大変なことだ。


 「俺は育てたかったけど、何ができるんだって話でしょ。半ば諦めてたら、婆様が言ったんだ。『儂が引き取ろう』って」

 「そうか」

 「婆様の言うことに逆らおうなんて馬鹿はひとりもいやしない。それからナギは、婆様に育てられた。とは言っても婆様本人だって何しろ婆様だから、里の女たちがメインだけどね。俺も仕事の合間によく遊んだよ」


 クライヴの声の間に聞こえるのは、フクロウらしき鳥の声と焚火の音だけだった。


 「あっという間にでかくなっちゃって、気づいたら里でも一番の腕になってた。婆様はあの子の素性を隠したりはしなかったし、あの子にとっては婆様や、育ててくれた里の女たちへの恩義もあったんだと思う」

 「――だろうな」

 「まあそんな境遇の子だからさ。婆様も感情を捨てさせることに、何か思うところがあったんじゃないかって。もう聞くこともできないけどね」


 笑って言った、彼の瞳が濡れているように見えたのは、焚火の光の加減かそれともリュカの見間違いか。

 たぶん、どちらでもない。それが解ったので、リュカは静かに立ち上がった。


 「俺ももう休ませてもらうわ。家の中、適当に使っていいよな」

 「あ、うん。もちろん」

 「悪いな。おやすみ」

 「おやすみ」


 クライヴはもうしばらくそこにいるのだろう。ひらりと手を振って、リュカはナギがもう眠っている家の中へ、極力静かに入っていった。


 ひとり、焚火を見つめながらクライヴは目尻の雫をぬぐう。


 「なあ、婆様。きっとナギはもう大丈夫だよ」


 彼のつぶやいた独り言は、火の粉に混ざって弾けた。

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