卑怯な男。

 寒空の下、ある人を待っている。

 遊園地、観覧車の前、午前零時。

 今日だけ特別にこの時間まで開いている遊園地を指定したのは、遅れてくる予定の男だ。

 時計を見て、時間を確認しようとすると。

「ごめん。遅れちった」

 悪びれた顔一つ見せない男が、黒いコートに身を包んで現れた。

「結構待ったっしょ?」

「別に。数多くのカップルは見たけど」

「やっぱ待ったんじゃん」

 自分たちも、その列に並ぶ。

「仕事だったの?」

「そーそー。うるさいんだわ、あそこの本部長」

「こんな時間までかかるんだ」

「あ、なに?拗ねてんの?」

「違うよ」

「そういうキャラだっけ?」

「だから違うし。キャラじゃないし」

「可愛げないなぁ。別に、知り合いもいないんだし。本音言ってもいいじゃん」

「とりあえず黙れ」

 男は明らかに反応を楽しんでいた。周りのカップルが時々こちらを見て、ひそりと話し、でもまた自分たちの世界観に戻っていく。

 順番が来て乗ったのは、男二人には可愛すぎるピンク色の籠。

「ピンクなんてツイてるねぇ」

「内側からじゃ見えないから、意味ない」

「味気なぁー。でもさ、外からは見えんじゃないの?」

「すぐに見えなくなる」

 言った通り、恋人たちは次の籠に乗って何をするかでウキウキしている。とてもこちらを意識する余裕なんてないように見える。

 籠が少し上がると、すぐに話が始まった。

「いいじゃん、髪。切ったの」

 元から少し茶髪の髪の毛を、ちりりといじってみる。

「前までちょっと長かったもんね。あー、でも、切んなくてもよかったかも」

「なんで?」

「これ以上モテちゃったら、困りません?」

 男が整った顔で見上げてきた。

「どちらかと言えば、モテて困る立場なのはそっちだろ?」

「そうでしたね。でも、今日はその話はナシ」

 男が対面から、隣に席を移した。

 その時、ふんわりとコロンの香りが、鼻をかすめた。

「んで?キスでもしてみる?それとも、」

 男が静かに、胸元に手を這わせてきた。骨張って男らしいが、細く繊細な指に、何度。何度、混乱させられてきたか。

「やめよう」

 その強い声は唐突に、籠の中に響いた。

「え……ああ、そうだよな。まだ見えるもんね、距離的に…」

「違う。そうじゃなくてさ。わかってるんだろ?もう、危ないって」

 香ってきたコロンの匂いは、奥さんのものではなかった。

「……へー、そういう話、したいってわけね」

「いつまで続けるつもりなんだ?僕は別に、僕以外に相手がいたって構わない。嫌だったら、あなたが既婚者の時点で手を引いてる。僕が言いたいのは、奥さんがいつまであなたの行動を「公然の秘密」にするかだ」

 男が黙った。細い鼻筋が、繊細なパーマの黒髪が、全てがこの男の魅力だった。

「つまり、それは他の関係を切れってこと?」

 男が言った。あまりにもバカバカしい言葉に、笑った。

「察しが悪い」

 顔を近づけて、男に一度口付けた。

 タバコの匂いが、コロンと混じっていた。

「……終わりにしよう、ってはなしなんだけど」

 観覧車はまだ頂上だ。あと半分時間がある。

 男は隣から動かない。

「俺はまだ続けたい」

 あまりにも、愚直で、素直で、愚かな回答だ。

「お前はどう?」

「だから、言ってる。終わりにしたいって」

「終わりにしたいってのは、状況の話。でも、お前の心は?」

 男が肩を掴んで、正面から話をしようとする。

「心?心は、って?今になって、僕の心を気にするわけ?もっとずっと前に、そういう質問をするべきだったよ」

「言わないとわからない」

「あなたはずるい。僕があなたを好きな気持ちをちゃんと分かってから聞いてきてる。そんなのは質問じゃなくて、確認作業だ」

「それでも聞きたい。こうしなきゃいけないからじゃなくて、こうしたいから、で話せよ」

「そんなの……」

 地上すれすれになって、やっと、二人の距離は離れた。

 先に出ると、男は後から静かに歩いて着いてくる。

「どこまで一緒に来ても、僕の回答は変わらない。あなたとのこの最低な関係は終わりだ。五年もこんな堕落した関係を続けた、僕の方が馬鹿でした」

「あのさ、アサヒナ」

 体が止まった。

「俺は、待ってるよ」

 男がアサヒナを追い越した。

 前を歩いて小さくなっていく黒。

「卑怯だ……」

 言葉は届かない。こちらから、会いにいくまでは。

 あの手が、指が、髪の乱れが。とがった鼻先が…汗ばんだ胸の上下が、遠のいていく。

「……くそっ…本当にクソだ……っ!」

 会いにいくのは、時間の問題だ。アサヒナもそれは、わかっていた。


男は、笑っている気がした。


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由野さんのBL短編集。 由野 瑠璃絵 @Hukunokahori

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