第3話 紅茶

「ねえ、芋虫さん。あなたはちょっと変わった話し方をする芋虫さんね。それに普通の芋虫さんは長靴なんか履いていないと思うの。だから私はあなたに興味を持ったんだと思うわ」


 芋虫はテーブルに運ばれてきたコーヒーを啜ると、少し考えてからこう言った。


「紅茶が冷めないうちに早く飲んだ方がいいよ。ここのはとても香しい匂いがするんだ。それを飲めば誰かれとなく幸せな気分になれる」


 お嬢さんは言われるままにカップを両手でそっと持ち上げ紅茶を啜ると、ちょっと考えてからこう言った。


「私は時々思うんだけど、大人になってからの生き方というのはカップに注がれた紅茶に似ているわ」


「ずっといい香りのする紅茶でいたいってことかな?」


 芋虫はゆったりと椅子に腰をかけ、ほっと息をつき、お嬢さんにうなずき返した。お嬢さんは首を振るとこう言った。


「いえ、違うの。そうじゃないのよ。香りがいいのはほんの一瞬だけなの。それから熱を奪われ始め、除々に冷めてくるとあまりいい匂いはしなくなるの。それからすっかり冷たくなるともう誰にも相手にされなくなるんだわ。最後に紅茶は流しに捨てられるのよ……」


 お嬢さんの目に再び大粒の涙が溢れ始めた。芋虫は慌てて胸のポケットからハンカチを取りだし、お嬢さんに差しだすとこう言った。


「僕は紅茶が冷めてもまだ好きだよ。だってその中には紅茶が歩んできた道や物語がいっぱいつまっているからね。たとえ捨てられる運命にあったとしても紅茶は紅茶なんだ。そこにどんな変わりようがあろうはずもないんだ」


 お嬢さんはすっかり曇った顔をして涙声でこう答えた。


「どうして、そんなことが言えるの? たとえそうだとしても私にはとてもそんな風には思えないわ。いったいどうしたらそんな風に考えられるの? ねえ、お願いだから私に分かるように話してくださらない?」


 お嬢さんの涙はハンカチを濡らし、頬をつたい。床にこぼれ落ち始めていた。芋虫はなすすべもなくお嬢さんを見守っていた。

 天気予報は明日も雨かもしれない。


 ウェイターがテーブルに飛んでくるとこう言った。


「お客さん、困ります。うちは清潔が一番の店なんだ。それを床をこんなに濡らしちゃって。あーあ、あたしがまた拭き掃除をやんなきゃならない」

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