B-side

 誘拐犯の一人、沼藤ぬまふじ桔平きっぺいが超能力に目覚めたのは半年前のことだ。


 その日、桔平は月収三ヶ月分にあたる五十万円を持って、奈良競輪場に来ていた。定職なし・貯金なし・恋人なしの彼が狙うのは、誰もが夢見る人生一発逆転。ネットの記事を鵜呑みにして、大穴として知られるヨーロッパ車券を十万円で五回も購入した。桔平はあまり頭がよくない。最後のレースなど、4番・6番・8番の選手だけで三連単を組み立てたほどだ。


 結果は見事惨敗。しかし、不運はこれだけではすまなかった。全財産を失ったショックでぼんやりとしていた桔平は、大和西大寺駅の階段から転落し、両足の骨を折ったのだ。医師の診断によれば、完治するまで一年近くかかるという。


 手術は無事に終わったが、その後には退屈な入院生活が待っていた。食事は味気ないし、お見舞いに来てくれる友人もいない。病室で時間を持て余していると、隣のベッドから声がかかった。


「そこの超能力者さん。暇やし話でもせーへんか?」


 横を向くと、右腕と左足にギブスを巻いた強面の患者がこちらを見ていた。がたいがよく、怪我とは無縁そうな男だ。


 桔平は返事をした。


「別に構わねえけど、あいにく俺は無能力者だよ。人違いじゃねえか?」


「もしかして自覚ないんか?」


 男は驚いたように目を見開いた。


「自覚もなにも、PSIテストで結果が出てるんだ。俺の体から超能力は感知されなかった」


「けど、実際こうしてオーラが見えてるからなあ……」男はいったん言葉を切り、改まった態度で言った。「失礼、自己紹介がまだやったな。俺は葉山はやま龍司りゅうじ、【エンパス】の能力者や」


 無学な桔平でも【エンパス】のことは知っている。まとめサイトの記事によると、超能力者は全身から目に見えないオーラを放出しており、それを視認できるのは【エンパス】の持ち主だけなのだとか。


 要するに、超能力者を見分ける超能力である。オーラの色を見れば、その人が持つ能力の内容を読み取ることもできるらしい。


「ほんとにオーラが見えるのか? いったい何の能力だよ」


「ちょっと待ってな。超能力学会のホームページに、色と能力の対応をまとめたリストがあるねん」


 葉山はスマホを取り出すと、それを左手だけで器用に操作した。やがて、画面をスライドさせていた葉山の指が止まった。


「ほー、これは珍しい。赤みのあるオレンジ色のオーラは【エクスチェンジ】、他人と人格を入れ替える能力や。交換相手は超能力者に限られるみたいやけどな」


「マジかよ。テストって当てにならねえんだな」


「そうとは限らんで。なんかのきっかけで超能力が発現する人もおるらしいからな。全身に火傷を負ったとか、車に轢かれて死にかけたとか。兄ちゃん、最近両足を折ってんやろ? それが原因ちゃうか?」


 なるほど。理屈はわからないが、心情的には納得がいく。


「ちなみに、その【エクスチェンジ】ってどうやれば使えるんだ?」


「えーとな……」再び画面に向かいあう葉山。「入れ替わる相手と、五秒以上視線を合わせるのが発動条件らしい。そんで強く念じるんやと。『人格交代!』って」


「お手軽だな、おい。そんなんでいいのか」


「訓練は必要みたいやけどね。まあ、仮にできるようになったとしても、能力を使う機会はないけどな。【エクスチェンジ】は法律で禁止されてるし」


「えっ、そうなのか?」心に失望が広がる。


「そらそうやろ。好き勝手人格変わられたら、日本中が大パニックやで。『天理少女監禁事件』って知らんか? ストーカーのおっさんが【エクスチェンジ】の力で女子高生の体を拉致った事件。まあ、すぐに逮捕されてんけどな。アホな犯人は被害者の人格が入っている自分の体を放置したまま、その場を立ち去りよってん。当然、被害者は警察に駆けこんだ。犯人自身の体があるから、身元の特定は一瞬で終わるし、探す相手の顔は分かりすぎるほど分かってる。そら捕まるわな。

 警察が犯人の家に踏みこんだ時、おっさんは乗っ取った体を全裸にして写真を撮ってたらしいで。犯人曰く、『女子高生の体で自撮り写真が撮りたかった』んやと。ひょっとすると、脅迫の材料にするつもりやったんかもな」


「そのおっさん馬鹿だな。俺がもし犯人なら、あいだに何人か挟むね。四人ぐらいと人格を入れ替えた後で、本命の女子高生を狙うんだよ。そうすりゃ捜査を撹乱できるだろ?」


「いや、それは無理やで。【エクスチェンジ】で誰かに乗り移った状態で、別の相手と人格を入れ替えることはできひん。自分の体に戻る以外の選択肢はなくなるんや」


「制限があるんだな。納得」


 ふと、桔平は自分がまだ名乗っていないことに気づき、慌てて葉山に氏名を告げた。ついでに入院の経緯と、怪我の状態も伝える。


「災難やな。一ヶ月も入院するんか」


「まったくだよ。暇すぎて死にそうだ」


 桔平が愚痴ると、葉山はしばらく思案顔を浮かべてから口を開いた。


「なら、能力の開発でもせーへんか? どうせ俺もやることないし」


「開発? それって【エクスチェンジ】のか?」


「そうそう。超能力、使ってみたいやろ? 俺も【エクスチェンジ】に興味あるし」


「けど、違法なんだろ? それって色々とマズいんじゃ……」


「バレなきゃええねん、バレなきゃ。退屈しのぎに、ちょっと遊ぶだけやん。国民が子供の時に受けさせられるPSIテストの結果をもとに、国は超能力者を管理してる。新しい能力者が誕生しても、気づかれる恐れはないんや。俺の経験からいって、超能力者名簿に登録されたら面倒なことしかないで。自己申告して損するより、こっそり楽しんだ方がええやろ?」


 たしかに葉山の言うとおりだ。せっかく超能力を手に入れたのだから、一度ぐらい試してみたい。


 桔平は葉山の案に同意した。


「よっしゃ。じゃあ早速、今日から始めよか」

 

 こうして、桔平の超能力開発が始まった。といっても、やること自体は葉山と目を合わせて『人格交代、人格交代』と念じ続けるだけ。看護師の目には、極めてシュールな光景が映っていたに違いない。


「本当にこのやり方で大丈夫なんだろうな。正直、不安になってきた……」


「心配いらんって。ホームページにちゃんと書いてあるから」


 訓練を開始して、一週間後。ついに変化は起きた。葉山の両目を凝視し、心の中で『人格交代』の四文字を繰り返していた桔平は、ふと目の前に自分の顔があることに気づいた。まるで鏡を覗いているかのように。


 驚いたのも束の間、その顔が口を開いた。


「うまくいったみたいやな。どう? 他人の肉体に入った気分は?」


 おそるおそる体を動かしてみる。なんと、右足が動いた。その代わり、つい先ほどまで無傷だった右手には、真っ白なギブスが巻かれている。


 戸惑いが確信に変わった。本当に【エクスチェンジ】が起きたのだ。桔平は感動し、葉山の体を眺め回した。


「すげえな、おい! ほんとに入れ替わってるよ!」


「喜んでくれてよかったわ。でも、まだ油断は禁物やで。自分の体に戻れんかったら、このまま一生過ごすことになるからな」


 結果的に、葉山の心配は杞憂に終わった。一度目の人格交代でコツを掴んだ桔平は、何の苦もなく『復路』の【エクスチェンジ】を成功させた。


「もうばっちりやな。これで兄ちゃんも超能力者デビューや。おめでとう」


 それから一週間、桔平は看護師のいない時間帯を狙って、【エクスチェンジ】で葉山と人格を入れ替えた。互いに不自由な体だったので、できることは少なかったが、暇つぶしにはもってこいだった。同室者に恵まれ、桔平は充実した入院生活を送ることができた。時間はあっという間に過ぎた。


 葉山の退院日。桔平は彼と連絡先を交換した。別れ際、葉山はいつもの陽気な声で言った。


「これも何かの縁や。退院したら、また会おな」


 その言葉は現実のものとなった。そして、桔平が犯罪者への一歩を踏み出すきっかけにも。

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