B-side
誘拐犯の一人、
その日、桔平は月収三ヶ月分にあたる五十万円を持って、奈良競輪場に来ていた。定職なし・貯金なし・恋人なしの彼が狙うのは、誰もが夢見る人生一発逆転。ネットの記事を鵜呑みにして、大穴として知られるヨーロッパ車券を十万円で五回も購入した。桔平はあまり頭がよくない。最後のレースなど、4番・6番・8番の選手だけで三連単を組み立てたほどだ。
結果は見事惨敗。しかし、不運はこれだけではすまなかった。全財産を失ったショックでぼんやりとしていた桔平は、大和西大寺駅の階段から転落し、両足の骨を折ったのだ。医師の診断によれば、完治するまで一年近くかかるという。
手術は無事に終わったが、その後には退屈な入院生活が待っていた。食事は味気ないし、お見舞いに来てくれる友人もいない。病室で時間を持て余していると、隣のベッドから声がかかった。
「そこの超能力者さん。暇やし話でもせーへんか?」
横を向くと、右腕と左足にギブスを巻いた強面の患者がこちらを見ていた。がたいがよく、怪我とは無縁そうな男だ。
桔平は返事をした。
「別に構わねえけど、あいにく俺は無能力者だよ。人違いじゃねえか?」
「もしかして自覚ないんか?」
男は驚いたように目を見開いた。
「自覚もなにも、PSIテストで結果が出てるんだ。俺の体から超能力は感知されなかった」
「けど、実際こうしてオーラが見えてるからなあ……」男はいったん言葉を切り、改まった態度で言った。「失礼、自己紹介がまだやったな。俺は
無学な桔平でも【エンパス】のことは知っている。まとめサイトの記事によると、超能力者は全身から目に見えないオーラを放出しており、それを視認できるのは【エンパス】の持ち主だけなのだとか。
要するに、超能力者を見分ける超能力である。オーラの色を見れば、その人が持つ能力の内容を読み取ることもできるらしい。
「ほんとにオーラが見えるのか? いったい何の能力だよ」
「ちょっと待ってな。超能力学会のホームページに、色と能力の対応をまとめたリストがあるねん」
葉山はスマホを取り出すと、それを左手だけで器用に操作した。やがて、画面をスライドさせていた葉山の指が止まった。
「ほー、これは珍しい。赤みのあるオレンジ色のオーラは【エクスチェンジ】、他人と人格を入れ替える能力や。交換相手は超能力者に限られるみたいやけどな」
「マジかよ。テストって当てにならねえんだな」
「そうとは限らんで。なんかのきっかけで超能力が発現する人もおるらしいからな。全身に火傷を負ったとか、車に轢かれて死にかけたとか。兄ちゃん、最近両足を折ってんやろ? それが原因ちゃうか?」
なるほど。理屈はわからないが、心情的には納得がいく。
「ちなみに、その【エクスチェンジ】ってどうやれば使えるんだ?」
「えーとな……」再び画面に向かいあう葉山。「入れ替わる相手と、五秒以上視線を合わせるのが発動条件らしい。そんで強く念じるんやと。『人格交代!』って」
「お手軽だな、おい。そんなんでいいのか」
「訓練は必要みたいやけどね。まあ、仮にできるようになったとしても、能力を使う機会はないけどな。【エクスチェンジ】は法律で禁止されてるし」
「えっ、そうなのか?」心に失望が広がる。
「そらそうやろ。好き勝手人格変わられたら、日本中が大パニックやで。『天理少女監禁事件』って知らんか? ストーカーのおっさんが【エクスチェンジ】の力で女子高生の体を拉致った事件。まあ、すぐに逮捕されてんけどな。アホな犯人は被害者の人格が入っている自分の体を放置したまま、その場を立ち去りよってん。当然、被害者は警察に駆けこんだ。犯人自身の体があるから、身元の特定は一瞬で終わるし、探す相手の顔は分かりすぎるほど分かってる。そら捕まるわな。
警察が犯人の家に踏みこんだ時、おっさんは乗っ取った体を全裸にして写真を撮ってたらしいで。犯人曰く、『女子高生の体で自撮り写真が撮りたかった』んやと。ひょっとすると、脅迫の材料にするつもりやったんかもな」
「そのおっさん馬鹿だな。俺がもし犯人なら、あいだに何人か挟むね。四人ぐらいと人格を入れ替えた後で、本命の女子高生を狙うんだよ。そうすりゃ捜査を撹乱できるだろ?」
「いや、それは無理やで。【エクスチェンジ】で誰かに乗り移った状態で、別の相手と人格を入れ替えることはできひん。自分の体に戻る以外の選択肢はなくなるんや」
「制限があるんだな。納得」
ふと、桔平は自分がまだ名乗っていないことに気づき、慌てて葉山に氏名を告げた。ついでに入院の経緯と、怪我の状態も伝える。
「災難やな。一ヶ月も入院するんか」
「まったくだよ。暇すぎて死にそうだ」
桔平が愚痴ると、葉山はしばらく思案顔を浮かべてから口を開いた。
「なら、能力の開発でもせーへんか? どうせ俺もやることないし」
「開発? それって【エクスチェンジ】のか?」
「そうそう。超能力、使ってみたいやろ? 俺も【エクスチェンジ】に興味あるし」
「けど、違法なんだろ? それって色々とマズいんじゃ……」
「バレなきゃええねん、バレなきゃ。退屈しのぎに、ちょっと遊ぶだけやん。国民が子供の時に受けさせられるPSIテストの結果をもとに、国は超能力者を管理してる。新しい能力者が誕生しても、気づかれる恐れはないんや。俺の経験からいって、超能力者名簿に登録されたら面倒なことしかないで。自己申告して損するより、こっそり楽しんだ方がええやろ?」
たしかに葉山の言うとおりだ。せっかく超能力を手に入れたのだから、一度ぐらい試してみたい。
桔平は葉山の案に同意した。
「よっしゃ。じゃあ早速、今日から始めよか」
こうして、桔平の超能力開発が始まった。といっても、やること自体は葉山と目を合わせて『人格交代、人格交代』と念じ続けるだけ。看護師の目には、極めてシュールな光景が映っていたに違いない。
「本当にこのやり方で大丈夫なんだろうな。正直、不安になってきた……」
「心配いらんって。ホームページにちゃんと書いてあるから」
訓練を開始して、一週間後。ついに変化は起きた。葉山の両目を凝視し、心の中で『人格交代』の四文字を繰り返していた桔平は、ふと目の前に自分の顔があることに気づいた。まるで鏡を覗いているかのように。
驚いたのも束の間、その顔が口を開いた。
「うまくいったみたいやな。どう? 他人の肉体に入った気分は?」
おそるおそる体を動かしてみる。なんと、右足が動いた。その代わり、つい先ほどまで無傷だった右手には、真っ白なギブスが巻かれている。
戸惑いが確信に変わった。本当に【エクスチェンジ】が起きたのだ。桔平は感動し、葉山の体を眺め回した。
「すげえな、おい! ほんとに入れ替わってるよ!」
「喜んでくれてよかったわ。でも、まだ油断は禁物やで。自分の体に戻れんかったら、このまま一生過ごすことになるからな」
結果的に、葉山の心配は杞憂に終わった。一度目の人格交代でコツを掴んだ桔平は、何の苦もなく『復路』の【エクスチェンジ】を成功させた。
「もうばっちりやな。これで兄ちゃんも超能力者デビューや。おめでとう」
それから一週間、桔平は看護師のいない時間帯を狙って、【エクスチェンジ】で葉山と人格を入れ替えた。互いに不自由な体だったので、できることは少なかったが、暇つぶしにはもってこいだった。同室者に恵まれ、桔平は充実した入院生活を送ることができた。時間はあっという間に過ぎた。
葉山の退院日。桔平は彼と連絡先を交換した。別れ際、葉山はいつもの陽気な声で言った。
「これも何かの縁や。退院したら、また会おな」
その言葉は現実のものとなった。そして、桔平が犯罪者への一歩を踏み出すきっかけにも。
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