エピローグ

「お久しぶり」


 「Secret Garden」の本部となっているオフィスビルの一室に入った途端、観葉植物の陰から鷹は声を掛けられた。

 ガラス張りの高層ビルの一角に入っている、そう大きくも見えない、借り物オフィスの様相を呈しているそこが、それでも確かに反政府勢力の一端にあるというのがやや彼の眼には不思議に思われる。だが実際なんて、そんなものだ。

 そしてそんな場所で、実用一点張りの格好をしたマルタは、眼鏡を外しながら微笑んだ。


「お久しぶり、元気?」

「元気よ。あなたも元気そうね。一人?」


 あの子は? という言葉を隠して、彼女は問いかける。彼は彼女のデスクに肘をつくと、顔を近づける。


「今日は一人。ねえ後でお茶でもどう?」

「お茶? ご飯じゃなくて?」


 そう言ってにっこり言い返す彼女に、彼は苦笑しながらうなづく。


「どちらでも。あなたの望むように」


 彼は肘を離して、姿勢を戻す。持っていたペンをいじりながら、彼女は目を伏せた。


「…………嘘よ。マリーヤとの話が済んだら、お茶しましょ。そのくらいの時間はあるわ」


 そうだね、と鷹は答えた。



 どうぞ、と中から声がしたので彼は扉を開けた。そこもまた、よくある小さなオフィスの一角に仕切られ、少しだけ別物に見せかけてある応接室にしか見えない。そしてその中で、やはりさっき話した彼女と同じ位の歳の女性が、端末を時々見ながら作業をしていた。


「やあ、久しぶり」


 マリーヤ・Rは顔を上げ、彼の姿を認めるとそうアルトの声で言った。いつもの様に仕事に熱中していたのだろう。金色の巻き毛は適当に引っ詰められているばかりだ。


「お久しぶりです」

「元気だったか? 今回は結構君にしては手間取った様だが」

「あなたの意図が分からなかったですからね。最後まで」

「ふむ」


 くる、と彼女は椅子を回し、脇にある作りつけのキッチンに立つ。彼女はいつもそうだった。こんな組織の筆頭に立っていながらも、人に茶をすすめる時には自分で淹れる。

 まあそれは、相手との信頼関係を印象づけるものではある、と彼も思うのだが。


「あなたの予測通り、ユタ氏は助かりましたよ。ちゃんと式典は行われたし、ルナパァクの目玉でもある貫天楼の方の視察もちゃんと済まされた」

「それは良かった」

「だからマリーヤ、シェドリス・Eを名乗る彼のことは、二の次だったのでしょう?」

「さてどうかな」

「ユタ氏は我々のスポンサーでしょう?」


 ことん、と彼女は彼の前にティーカップを置いた。


「まあ隠したことはないからな。君なら調べることも容易だろう? まあ他の連中が、そこまで調べることはないんだが」

「そうですね」


 彼は勧められるままに、茶を添えられた湯で薄めてから口にする。彼女の淹れる茶は、種類はどうあれ、美味い。


「だが私は、それが彼であれ他の皇族であれ、同じことをしただろう。彼であったのは偶然だ。ただ、彼だから、今回のウェストウエストには好印象を抱いて帰るだろうことは予想できた。だから彼を傷つける訳にはいかなかった。それだけだ」

「相変わらずですね」

「そうか?」


 そして彼女は自分の茶にミルクと砂糖を入れる。夏の惑星出身らしい彼女は、茶を実に濃く入れる。薄めて呑むか、ミルクを半分淹れて甘くするのが普通らしい。


「…………君の不服な点は予想がつくよ。だが私にはそれを一つ一つ慮っている余裕はない。だから君達の裁量に任せているんだ。私には全体のバランスを取ることと、お膳立てと、ベターを望むことしかできない」


 それだけできれば充分だ、と彼は思うが、口には出さずに茶をすする。


「…………別にいいですよ。ベストなんて望みはしない。そのほうがよっぽど傲慢というものだ。ところで本論に入りましょう」

「そうだな、その方が良さそうだ」


 かたん、と彼女はカップをソーサーに置く。そして両手を組むと、彼の方を真っ直ぐ向いた。


「実はユタの方から、こんな依頼が来た」

「直接に?」

「と言うか、別口だ。帝都政府の内閣調査室を発足させることになった」

「内閣調査室?」

「つまりは情報機関だな。表向きは、政府直属のものだ。政府の直属で、全星域における有効な情報を収集し、管理していく部門だ。その場合、その情報を巡るトラブルの処理も含まれる。かなりの総合機関だ」

「表向き?」


 鷹は彼女の言葉の端を拾い、問い返す。


「そう、表向きだ」


 彼女の目がやや不敵にひらめく。


「表向き、その機関は政府のために存在する。だが、それは政府のためではあるが、皇室のためではない」

「……」

「つまりは、皇室の人間をも、その事態次第では、追い込むことができる様な機関ということだ」


 ほう、と彼は思わずうなっていた。だが単純に感心する訳にはいかない。


「ですが、それは結局派閥抗争の一端ということになりませんかね。氏がその機関を牛耳るというなら」

「手厳しいな。だがユタは機関が安定次第、自分からもその機関は切り離すつもりだ。つまりは、自分すらもその対象になることが構わない、ということらしい」

「賢明ですね」

「私の選んだ男だからな」


 彼は思わず両の眉を上げた。彼女の言葉は自信に満ちている。それは、男への信頼と、選んだ自分の目に対するものなのだろう。


「…………花園の連中を皆、そちらへ移行させるつもりですか?」

「場合による。ある程度の仕事で満足して、後は紛れて暮らすのが良いと思う者には無理には勧めない。君の会ったシェドリスを名乗る彼も、在野を好んだのだろう?」


 そうですね、と彼は答えた。あの男は、長く居られる居られないを別にして、あの場所に居ることを望んだのだ。

 自分はどうだろう、と鷹は思う。正直、野心は無い。そして特別な反骨の意志も無い。自己分析するたび、所詮ただの不満分子だよな、と思わざるを得ない。

 だがそれで自分を責める理由もない。自分はそういう性質なのだ。それで居て悪い、という理由も無い。

 ただ、ただの不満分子であるからには、何かしていないと、自分の精神衛生に悪いのだ。単純な話、追われるのは疲れる。それだけのことだ。だが従うばかりというのも嫌だった。


「なるほどね……」


 彼は腕を組んで考える。


「悪い話じゃない」

「だろう?」

「だが悪い話じゃなさすぎて、裏があるんじゃないか、と思ってしまうんですよね」

「そういうことは後で考えればよかろう?」


 彼女は口の端に笑みを浮かべる。


「君には時間があるはずだ」


 そうですね、と彼は答えた。


「判りました。参加しましょう。ただし条件がある」

「ほら来たな」

「一つは、一つの独立したセクションであること。俺の上に上司らしい上司をつけないでくれ。そんなことをされたら、長居はしにくい」

「だろうな。それだけか?」

「オリイを手元に置くが」

「あの子をか。だがあれは」

「あれは、俺と同じだけ生きる。だから手元に置く。それが悪ければ、話は承諾できない」

「なるほどな」


 彼女は軽くうなづいた。


「マルタが奇妙なもののデータを引き出していると思ったが、そういうことか。まあ、君のいない所に置いても危険は危険かもしれないだろうしな。…………羨ましいことだ」


 マリーヤはさりげなく、…………本当にさりげなく口を滑らせた。


「あなたでも、そんなことを考えるのですか?」

「何だ鷹、私を何だと思っている?」


 滑らせた言葉は決して失言ではないらしい。あっけらかんと彼女は問い返す。


「私だって、彼とずっと生きて居られればそれに越したことはないさ。だが仕方ないだろう。私は君達とは異種族だ。これはどうしようもないことだ。あいにく私は血も涙も無い訳ではない」


 それはそうだが、と彼は思う。血も涙も無い訳ではないが、殆ど鋼鉄の女だとは考えていただけに、この生身の発言はひどく彼には新鮮だった。


「それでも一緒に居られればいいか、と言えばそういうものではない。私はこの先老いて行くだろう。その姿のまま彼の横に居るのは私が嫌だ。苦痛だ。これは理屈じゃない」


 ああ色んな考え方があるのだな、と鷹はふと思う。遠く離れて、それでも再会して、姿が変わってもお互いを求められたあの二人と違って、彼女には彼女なりのプライドというものがあるらしい。


「だが彼とつながってはいたい。だからこの仕事をしている。そうすることで、私は彼とつながっていられる。自己満足だろう。だがそれで充分だ」

「そういうもんですかね」

「そういうもんさ。君と違って、私には肉欲はそもそも多くはないんだ」


 そしてあはは、と彼女は笑った。はあ、と彼は返すしかなかった。



「引き受けたのね」


 彼女はそう切り出した。

 食事はディナーではない。ランチだった。オフィスビルのに一角にある、昼食を求める人々で一杯になったレストランだった。

 バイキング形式が人気であるらしく、彼女もまた、トレイに様々な皿を乗せては、旺盛な食欲を彼の前に見せつける。

 ここを選んだのは彼女だった。夕食は、と訊ねたら、お昼にしましょう、と言ったのも彼女だった。

 喧噪の中、殆ど話などできる状態ではない。だがそれだけに、何を話していても、誰の注意もひかない。


「あの子も一緒?」


 ああ、と彼はパスタを口にしながら答える。そう、と彼女はこってりしたソースのついた肉片を口にしながらうなづいた。


「それが一番いいんだわ」


 彼は手を止める。


「本当に、楽しかったけど、もうあなたとはそういう意味で会うのやめるわね」

「マルタ?」

「私そういうの、好きじゃあないの。別にあなたが私のこと一番に好きでなくてもいいんだけど、あなたに一番ができた以上、私はそういうあなたとつきあうのは嫌なのよ」

「俺はあなたと居た時にはあなたが一番だったけど」

「今までは、ね。でももう、そうじゃないない一番が居るでしょう? もしも私とそうしてようが、そう今は」


 そしてもう一口、肉片を放り込む。


「私は、そういうのは嫌なの。だから、もうそういう意味では会わない」

「…………そう」

「嫌いになった訳じゃないのよ。でも」

「判ってる。あなたがそう言うなら」


 仕方がないな、と彼は機械的に口にパスタを放り込みながら思う。

 彼女のことはかなり好きだった。少なくとも会っている時には、本気のつもりだった。だけど、やはりそれまでに付き合ってきた男女問わずと同じように、いつでも終わりは頭の中にあったのだ。

 それはあの友人と同じように。そして向こうもそれに気付いていたからこそ、自分にそれ以上を求めなかったのだろう。無意識としても。


 だがオリイは、それを求めてきた。曖昧な自分の気持ちを殆ど強引なまでに、引き寄せてきたのだ。

 結局、求めていたのはそれだったのだ。自分を永久に縛り付けようとする程の強烈な感情。あなたなしでは生きていけない、という程の。

 それが自分と、シェドリスやマリーヤとは違うところなのだ。そんなもので満足できたのなら、どれだけ簡単だったろう?

 ただその自分の感情のせいで、彼女を傷つけていたのは事実だ。


「ごめんよ」


 彼はごく自然にその言葉を口にしていた。マルタは手を止めて、ほんの少し、苦笑した。



 それじゃあね、と彼女はレストランの前で手を振った。ああ、彼もまた手を振った。

 次の仕事の場所が決まるまでの、仮の宿りを探さなくてはならない。

 時間を指定して待たせておいた店の中に、黒い長い髪が見える。時々声をかけて来る者がいるのか、姿を隠すようにグラフ誌を眺めている相手の姿に、一瞬あの旧友の姿がだぶる。


 今度彼と出会ったら、自分は。


 少なくとも、殺したくはならないだろう。そんな予感がした。そして予感は、確信に変わる。

 やがてショウウインドウの中から、彼の気配に気付いてオリイは顔を上げる。こん、と鷹はガラスを叩く。見ていたグラフ誌を閉じると、オリイは立ち上がった。

 数分もすれば、出でくるだろう。


 とりあえずは、一緒に何をしよう?

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