第53話 「だってあなたの母親だったら、あの子の母親になれるでしょう?」
『僕がこの地に再びやってきた時、誰かしらの名をかたる必要があった。今から数年前のことだ。戦争が終わるか終わらないか、という頃だった。
僕はその時シェドリスでもなかったし、そしてかつてこの地で名乗った名前も使える訳ではなかった。何故なら、その名前はこの地では知られすぎていた。だから、別の名を使う必要があった。
極端な話、誰でも良かった。その名前の人物が、生死不明であるのなら。
そんな時に、僕は一人の女性に出会った。彼女はコロニーの攻撃の時に巻き込まれたらしく、何処へ行けばいいのか判らない様子だった。彼女は自分がシェドリス・Eだと名乗った。……本物のシェドリスだ。
だが彼女は混乱していた。その名を出せば、祖父であるD伯のもとへ謝礼欲しさに連れて行ってもらえるのは判っているのに、それは困ると言った。では名前を出さなければいいのに、と思ったが、何故かそれを言わずにはいられない様だった。
僕はそれがひどく気になって、彼女に催眠をかけて、何があったのか詳しく聞き出した。僕にはその程度の能力はあった。僕の種族的な能力はそう多くはない。だが、その程度にはあった』
種族的な能力? ディックは首を傾げる。その疑問に気付いたのか、鷹は口を挟む。
「彼がナガノ・ユヘイだってことは、君も気付いたんじゃないか?」
「だけど…… それにしては若すぎるんじゃ……」
そしてそこまで言った時に、彼ははっとした。若すぎる。歳をとらない。
「天使種……」
そして腕を組みながら画面を見据えている鷹をも彼はまた見た。
「……あんたも、そうなのか?」
「さてね。それよりどんどん進むよ」
慌ててディックは画面に集中した。
『彼女は、D伯の別邸から逃げ出してきたのだ、と言った。と同時に、D伯が自分にどんなことをした悪い人間であることを主張したい、という気持ちを持っていた。その二つが、彼女の中で渦巻き、ひどく彼女を混乱させていた。
彼女は何も知らずに祖父に会えるのだ、と思ってD伯邸に出向いたのだという。だがそこではどう間違いがあったのか、シェドリスは男子である、という報告がD伯にはされていた。伯はその報告の方を信じた。だから当初彼女は全くの偽物で、名を騙る不届きな者とされそうになっていた。だが一応目通りは許されたらしい。
何が何だか判らないうちに、彼女はD伯の前に通された。少年と言われれば少年にも見えた。そして何よりも、彼女は母親に良く似ていた。母親の名はアナと言った。アナ・Eだ』
は? とディックは思わず声を上げていた。彼女が待っている「娘」とは、本物のシェドリスだ、ということなのか?
『母親が間違った報告をしたのか、それとも意図があったのか、取り違えられたのか、そのあたりは判らない。D伯は、アナの娘とは認めたが、自分の孫娘だとは認めなかった。
ただ、その時には伯は自分の孫息子だと認めたらしい。少年として通せ、と彼女に言ったらしい。そして別邸を与えて住まわせた。
ただし、その後がいけなかった』
画面の中の彼は、声の調子を落とす。
『彼女は少年の様に見えたが、と同時に、若い頃のアナとよく似てもいた。そして彼は、彼女を自分の孫とは思っていなかった。……そして、彼女は祖父に犯されたのだ』
ごく、とディックはつばを呑み込む。それって。
『彼女は訳が判らなかったらしい。その時彼女が生娘であったかどうかまでは判らないが、とにかく、祖父と名乗った人物が、わざわざ別邸を与えて、そしてそんなことをするのが、理解できなかったらしい。
でもそうは言ったところで、その館の持ち主であるところの人物に抵抗はできなかった。少女は大人の男をはね除けることはできなかった。
そこで彼女は自分が何であるのかだんだん混乱していく。D伯はアナの娘が気に入ったらしく、たびたびやってくる。彼女は更に混乱する。D伯は祖父だと名乗る。そんなこと信じていない。そして彼女をそこらの女と同じように抱く。彼女はどんどん混乱していく。
そして彼女はある日その別邸から逃げ出した。もうその時、彼女は混乱の極みに居た。殆ど着の身着のままで、チューブを乗り継いでコロニーの方へ向かったらしい。彼女自身もその辺りははっきりしていないが、チューブは、切符を買うのが比較的容易だからだろう。
行くべき場所は一つしかない。彼女はルナパァクへ帰りたかったのだ。母親のもとへ。
だがそこで、彼女は攻撃に巻き込まれる。
僕が出会ったのは、それからしばらくした頃だ。彼女は混乱した頭のまま、街で男達に絡まれているところだった。これは偶然だよ、全くの。ただ、助けたのは、彼女の口からシェドリスの名が出たからだった。でなかったら、僕は無情にも彼女を見捨てていたことだろう。サーティンから僕はシェドリスが行方不明になっていることは聞いていた。だから、彼女を捕まえておけば、切り札になるかもしれない、と考えた。ところが、だ』
画面の中の彼は苦笑した。
『情が優先してしまった。情けないことにね。僕は彼女の記憶を封印し、ルナパァク行きの輸送船に乗せてやった。その後彼女がどうなるかはどうでもよかったが、少なくとも、そこに居るよりはましだろう、と思った。
そして彼女には別の名をつけた。シェドリスというのは、遠い昔の子供向けの物語に出てくる少年の名なんだ。下町で育った少年が、実は貴族の子供だった、なんて話の。だから僕はそれと同じ作者の、逆に父親の死で突き落とされる。サァラという』
「何だって!?」
ディックは思わず叫んでいた。
『さてそこからは君も予想がつくだろう?』
*
ああ全く、とディックは運ばれてきた料理に口をつけながら、その時のことを思い出す。
目の前では楽しそうに話している彼女とアナの姿が目に入る。
*
病院でシェドリスの遺体に別れを告げた後、サイドリバー宅に監督が遅くなる旨を告げるついでに、アナに本当の娘が見つかった、と報告したのはディックだった。
シェドリスが事故で亡くなったことを言ってから、彼から頼まれていたことだから、とディックは自分の聞いた通りのことをかなりかいつまんで伝えた。
…………いくら何でも、自分の祖父に疑われ、その様なことをされたなどというのは、男の息子の妻であり、娘の母親である女性には言いたくはなかった。
辛いことがあったのね、とアナはうなだれて話を聞いていた。
このひとにも記憶の混乱傾向はあった。ここのところはサイドリバー家の健康的な空気に馴染んだせいか、安定しているらしいが、おそらくはサァラもその体質があったのだろう。彼は納得する。
そして二人で、彼女に対してどうすればいいのか、話し合った。アナはディックが娘の恋人で同居人であることを、案外あっさりと喜んだ。
そして彼女はこう提案した。
「では私があなたの母親と名乗りましょう」
それでいいのか、とディックは訊ねた。自分には帰る場所も、家族もない。誰が家族の顔をしていても構わない。だが彼女は。
「いいのよ。だってあなたの母親だったら、あの子の母親になれるでしょう?」
あ、と彼は首を縦に振っていた。
「それとも私の娘ときちんとした形にはならならいつもり?」
「いえ、そんな訳では……」
では決まりね、とアナは笑ってみせた。
*
その時の様にアナは、笑いながら娘と話す。ただし決して昔のことなど口にはしない。
もしもそれでいつかゆっくりと記憶が取り戻せたなら、それはそれでいい。その時に改めて自分が母親であることを告げればいいのだから、と彼女は言った。
ただそれだから、多少彼等は離れて暮らす必要はあった。近くに居すぎると、下手にサァラを刺戟しかねない。
アナには他のコロニーにシェドリスが他の立ち退き民同様、移転先を用意してあった。そこに住み、会いたい時にチューブに乗ってやってくればいいのだ。このウェストウェストは、人々が簡単に行き来するためのチューブが整備されている。
それは嘘の上に成り立つ平和かもしれない。真実を追うジャーナリストのはしくれとしては、間違っているのかもしれない。
だけど、とディックは思う。
目の前のサァラは楽しそうに話す。今度ちゃんと部屋が調ったらいらっしゃいな、とアナは言う。私の手料理を食べて欲しいわ、と。きっとあの味はサァラもよく知っているだろう
『でもねディック』
そしてあの彼が、最後に言ったことを思い出す。
『その物語のヒロインは、最後には幸せになるんんだよ。自分を本当に捜していた…… 待っていた人のところに居場所を見つけて』
そうだね、とディックは思った。
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