第52話 『本当のシェドリスは別に居て、女性だ』
嘘だろ、とその時ディックは思わず椅子から立ち上がった。
「嘘じゃない」
夜時間になってからやってきた男は言った。シェドリスが行く前に通信で話していた男。オリイの同居人だと言っていた男だ。
何だって、この男が、そんなことを告げるのだ、とディックは訳の分からない苛立ちを覚えた。
「サイドリバー監督は、病院の方へ行っている。後で君も行ったほうがいいかもしれない」
「あんたは、いいのかよ」
「俺は、君に言わなくてはならないことがある」
「俺に……?」
ディックは再び椅子に腰を掛けた。だが鷹は勧められても椅子には腰を下ろさず、端末に向かうとそれを立ち上げ、その中にメ・カを入れた。
何をするのだろう、とディックは椅子を動かし、明るくなる画面に視線を移す。
「俺は君にこの女性のことを頼んでくれ、と言われた。君はこの女性のことを知っているかい?」
「女性?」
再び彼は立ち上がると、画面をのぞき込んだ。ああ、と彼はうなづいた。アナ・Eに関する調査書だった。
その昔、彼女がこの地に流れて来る前の居住地や、その家族についても、事細かに記してある。
「いつの間にこんな……」
「奴も優秀な男だったからね」
過去形で言うのか、とディックは今更の様に、その言葉が重く感じる自分に気付く。先程から、言われたことに実感が湧かないのだ。
無論自分は元々のディックではない訳だから、彼との昔馴染みの記憶がある訳がない。それでもここしばらくずっとシェドリスと仕事をしてきて、彼という人間に親しみを感じていたのは事実なのだ。
だから、これからも上手く付き合っていければいいな、と感じていたのだ。彼がここの仕事を終え、この地を立ち去ったとしても。
なのに彼はいなくなってしまった。疑問だけを残して。
サイドリバーは彼をナガノと呼んだ。ナガノ。ナガノ・ユヘイ? いやそんな筈はない。ナガノ・ユヘイだったら、サイドリバーと対して変わらない年齢のはずだ。
シェドリスがサイドリバーとこの場を立ち去ってから、ディックの頭の中を、疑問符が飛び交っていた。自分は彼のことを知らなかった。それでも構わないと思っていた。
だがその時、初めて彼は、この「幼なじみ」のことを知りたいと思ったのだ。本当のことを。
「奴は優秀さ。だけどそんな時間無かったはずじゃないか。ずっとこの計画に打ち込んでいたんだから」
「だけど奴はここのことをはなから知り抜いていたからね。それに、君がディックではないことも、奴は知っていたさ」
彼はその時、頬からすっと血が引くのを覚えた。なにを、と口が動く。
「彼は、シェドリスを名乗った時に、自分を偽物と気付かない君は元々のディックではないこと位、気付いていたよ」
「どうして……」
ふらふら、とディックは頭を横に振る。最初から、知っていたというのか。だが次の言葉は、彼を更にぐらつかせた。
「本当のシォドリス・Eってのは、女なんだよ、ディック」
「は?」
鷹は苦笑する。
「……D伯の孫のシェドリス・Eは、向こうに少年と間違われて引き取られた。いや、その時、母親がもしかしたら、男として差し出したのかもしれない。相続の関係があるからね。そのあたりはよく判らない。とにかく、シェドリスという少女は、祖父の所に引き取られる時に、少年とされていたんだ。公式資料にも男となっているはずだが」
「確か、ホッブスさんは、今のあの姿を見て、俺にあれはシェドリスだって言ったんだよ…… 彼は昔のシェドリスだって知っていたはずだ」
「騙されたんだよ」
さらりと鷹は言う。だがそれ以上は言わない。シェドリスの死んだ原因は彼等にあることを。
「そうなのかもしれないな」
自分の声が奇妙に乾いていることにディックは気付く。
「きっと騙しやすいと思ったんだよな」
「いや、そうじゃないさ、君には言いたくなかったんだろ」
「……何を」
鷹はそれには答えなかった。そして別の話を切り出す。
「少女のシェドリスは、祖父の所に引き取られたはずだった。だが与えられた別邸で、彼女は出奔し、そしてその道中でコロニー群の攻撃に巻き込まれた。さて、ここからは、俺の口からじゃ言いにくいな」
そして端末から別のソフトを立ち上げる。すると、画面にはシェドリスの姿が映った。
さてここで、と彼の口が開いた。
*
「あのさサァラ、ホッブスさん、いきなり店畳んだんだ」
唐突な話題の転換に、彼女はややきょとんとした顔になる。
「へえ、そうなんだ…… だけどそれが?」
彼女はディックほどにあの店には用事は無かったので、ほとんど面識が無いと言ってもいい。
「いや、だからどんなものでもずっとそこに居るっていうのは難しいことなんだろな、と思ってさ」
「それで?」
彼女は苦笑する。そして単純だ、と言ってやろうかと思ったが、そばに「母親」が居るので遠慮する。アナはにこにこと二人の様子を見守っている。
「うん、いいわよ。あなたがそういうなら、これからよろしくお願いします。お母さま」
「そう呼んでくれで、嬉しいわ、サァラさん」
アナはそう言って、サァラの手を取る。ディックは軽く目を伏せる。
*
『きっとこれを見る様な時には、僕は既にこの地にはいないことだろう。できれば見ないで破棄してしまうことが望ましいが、もし君が見ていたら、僕は言わなくてはならない。済まなかった、ディック』
ちょっと待て、とディックは眉を強く寄せて。
『僕は君の幼なじみということにしていたシェドリスではない。本当のシェドリスは別に居て、しかも、それは女性だ』
嘘だ、と鷹に言われた時にはすぐに思った。だが。
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