最終話 誰のものでもない未来を僕たちは(7)ー2


「夜だけじゃない。最近、いつもその人のことばかり考えてしまう。何処にいても、でも、気付けばその人のことばかり想っている自分がいる」

 隣に座る華代の顔を見ることが出来なかった。

「……今、その話をしたってことは、つまり、それは私じゃないんだね」

「うん。違う」

「そっか。……でも、まあ、良かったと思う。なら私も嬉しい」

 喉の奥からしぼり出すような声で、華代は小さくつぶやいたのだけれど……。

「ごめん。真扶由さんでもないんだ」

「え?」

「思い出してしまうのは、華代でも真扶由さんでもない」

「そうなの? え、じゃあ、もしかしてあずさちゃん?」

 四月の入学式に先立ち、赤羽高校で一足早くマネージャーの仕事を始めた梓ちゃんは、僕のファンであることを隠していない。相変わらず『優雅様』と呼んでくるし、彼女の想いは全部員につつけだ。しかし、

「まさか。梓ちゃんじゃないよ。そんなことになったら、それこそ本気で楓に殺される」

「……じゃあ、本当に分からない。優雅、クラスに仲の良い女子なんていないよね。相変わらずやたらと告白されているって噂は聞いてるけど、よく知りもしない女にほだされるタイプじゃないでしょ。誰のことを思い出してるの? ……さては、まさか二次元?」

 思わず苦笑いが零れてしまった。

「僕のことを何だと思ってるんだよ。そんなに想像力豊かじゃないよ」

「じゃあ、誰? 私、誰かの存在を忘れてる?」

「まだ、自分でも確信が持てていないからさ。伊織にもけいろうさんにも話してないんだ。でも、華代にだけは相談してみたいなって思った」

 隣を向くと、華代は露骨に軽蔑の眼差しを浮かべていた。

「自分のことを好きだって言ってる女に、恋愛の相談をするとか人間性を疑うよね」

しんらつだな」

「まあ、良いわ。優雅の人間性は理解してる。話してくれるなら聞くよ。誰なの?」

「笑うなよ」

「笑うわけないでしょ。人の恋心を笑うほどちてない」

「じゃあ、言うけど」


 今でも脳裏に焼き付いている風景がある。

 あの日見た彼女の涙が、心の一番柔らかい場所で揺れている。


「世怜奈先生だよ。最近、いつも先生のことばかり思い出してしまう」


 一体どれくらいの沈黙があっただろう。

 華代はしばし真顔のまま僕を見つめて……。

「何で腹を抱えて笑ってんだよ。人の恋心を笑うほど堕ちてないって言っただろ」

「いや、だって世怜奈先生って。え、優雅、本気?」

「本気とか本気じゃないとか、恋愛ってそういうのあるの?」

「多分、ないんじゃないかな」

「じゃあ、聞くなよ」

 よっぽど面白かったのだろう。ひとしきり笑った後で、

「まさか優雅がこっちの仲間入りをするとは思わなかった」

「何だよ、仲間入りって」

「不毛な片想い仲間。伊織も、圭士朗さんも、真扶由も、私も、皆、叶いそうにない恋をしているなって思っていたけど、優雅が先頭を走り出すとは思わなかった。本当のことを言うと、私もそれなりに悩んでいたんだけどね。何だか優雅の話を聞いたら申し訳なくなってきた」

「どういう意味だよ」

「だって世怜奈先生って、九歳も年上の社会人だよ? しかも、あの人、本当にサッカーにしか興味がない真性の変わり者だよ? 幾ら何でも現実味がさ」

 あわれむような眼差しで僕を見つめた後で、華代はぐっと両の拳を胸の辺りで握って見せた。

「優雅。私、応援するからね。優雅が真扶由以外を好きになったら、不幸になれって全力で念じるつもりだったけど、これは逆に応援するよね。むしろ逆に」

「お前、さっきから何でそんなに楽しそうなんだよ」

「だって、たかつきゆうまいばらにだよ。SNSに投稿したら、速攻でネットニュースになりそう。ねえ、真扶由にも話して良い?」

「駄目。先生のことを一番理解しているのは華代だって思ったから話したんだ。それに、よく思い出してしまうってだけで、これが恋かどうかなんて本当にまだ分からない」

「いや、普通にそれは恋でしょ。びっくりはしたけど、考えてみれば凄く納得出来るもの。片想いって大変だよ。夜、眠れなくなったりするからね。眠れないまま朝がきて、自分は何のために生まれてきたんだろうとか、馬鹿みたいなことまで考え始めちゃうからね。優雅も覚悟しておいた方が良いと思うな」

 両手の指を組み合わせて、華代は大きく伸びをする。

「先輩たちも卒業しちゃったしさ。戦力になる一年生が入ってこなかったら、レッドスワンはどうなるんだろうって、正直、来年のことは不安の方が大きかった。でも、伊織の進路のことも、優雅の恋のことも、楽しみが増えた気がする」

「相談されているっていう自覚、絶対ないよな?」

「先生、優雅に告白されたら、どんな顔をすると思う? 想像しただけで笑っちゃうよね」

「お前、本気で楽しんでるだろ」

「だって振られたんだから、楽しむくらい自由でしょ。正当な反論出来る?」

 ……僕は相談相手を間違えてしまったんだろうか。

 今更、何を後悔しても遅いけれど、確かに僕に華代を責める資格はないだろう。


 診察室の前で待つよう看護師に呼ばれ、ソファーから立ち上がる。

 右膝と左膝が壊れてから、もう一年と七ヵ月が経っている。

 ぜんじゆうじんたい断裂という大怪我を負った左膝の傷は癒え、リハビリも完了している。残るは今日調べてもらった右膝だけだ。原因不明の激痛に襲われ続けた右膝だが、ここ何ヵ月かはほとんど痛んでいない。

 この右膝さえ完治すれば、今度こそ僕も仲間と共にフィールドに立てるだろう。


 期待しても傷つくだけだと、嫌になるほど思い知ってきた。

 今日だって医師から何を告げられるかは分からない。

 けれど、今だけは希望を描こうと思った。

 僕にはもう一年、高校生活が残っている。

 それは、大切な仲間や世怜奈先生と過ごせる最後の一年。

 待ち受ける未来の色は、まだ想像も出来ない。それでも、今の僕は、ただ……。



 光溢れる未来だけを信じていたかった。




The REDSWAN Saga Episode.4『レッドスワンのしよう』に続く


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【単行本の文庫化決定】「レッドスワン」シリーズ 綾崎 隼/メディアワークス文庫 @mwbunko

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