祖父母との関係・それにたいして母は・・・。



  私は、父方の祖父母に、とても可愛がられていました。


 私は記憶にはないのですが。


 私が産まれた時から、祖父はとくにメロメロで。


 母が産後の入院中はもちろん、退院してからも、毎日、仕事を終えお風呂を済ませ、家に来ては、私を抱いて、片時も離さなかったそうです。


 私が物心つく、三歳くらいになると。


 祖父は、万札を私に持たせたり。金庫から時には100万円札を取り出して(!!!)


 幼児には見合わぬほどの大金を私に持たせました。


 いけすかないじいさん。そう言われていましたが。


 孫に大金を持たせるのが、祖父なりの最大の愛し方だったのでしょうね。

 

 私には10歳離れた姉がいますが。


 姉は母の連れ子だったため。(姉は、父と、父方祖父母と血がつながっていない)


この人たちにとって、私は初孫だったのです。


 何でも与えてもらいました。


 しかし。


 私が徳をすると、必ず母は、祖父母の文句を言いました。


 姉と一緒に。


 私は小学校から、料理に興味を持ち始め。


 卵焼きや味噌汁。おさかなを焼いたり、時には唐揚げだって作れちゃう、お料理好きな女子に成長したのですが。


 そんな私に。


 祖父が。


作ってほしいな~って、言って。私は、張り切って。料理を作ってあげてたり、しました。


 中学生に上がり。


 思春期という事もあって、母や姉の存在がとにかく疎ましかった私は。


 当時、携帯電話を持ちだした祖父母と。電話をするようになりました。


 そして。


 空いてる土日があれば。


 祖父母と出かけるようになりました。


 ・・・・当時、私。友達いなかったんですよね。


 小学校からすでに。母は私とかかわる友達すべてに、根拠の無い、文句言うし。


 おこずかいは中学一年生なのに、千円しかないし。漫画一冊買ったら、何もできなくなるから、友達と遊びにも行けないし。そしたら、共通の話題も無い。


 当時、大阪の新今宮に新しく出来た遊園地も。誘われたから行きたい!と言ったのに、私だけ行かせてもらえず。


 遊びに誘われても断るしかないなら、友達を作るのを諦めてたんですよね・・・。


 そうやって、小学校ですでに集団から孤立しているうちに、うまく人と話せなくなっていて、中学生になっても土日に一緒に出掛ける友達はいませんでした。


 でも。


 そんな私は。それでも、純粋に。


 一緒に街を歩ける、家族以外の「誰か」を求めていたのかもしれません。


 祖父母はおこずかいをくれましたし。


 私も少しはおしゃれに目覚めていたので、好きな服も買いたかったので、それ目当てでよく上本町とかで待ち合わせして、デパートに言ってました。


 私嬉しかったんですよね。


 母は。いつも、私の意志とか人格とか無視して、私の事をすべて決めようとするし。


 姉は母の味方するし。


 気が付いたら、いやいや母の言う事ばかり聞いて適当にやり過ごした自分が嫌で。


 でも、どうしたらいいか分からなくて、いつも、孤独だったんです。


 でも。


 祖父母はいつも、私がどうしたいか聞いてくれたんです。


 私の意志とか、人格に、ちゃんと向き合おうとしてくれた、唯一の大人だったんです。


 中学生の女の子が、祖父母と食事をして、買い物行く。


それって、別に悪い事じゃないですよね。


 

 でもある日。部屋にこもっていたら、姉に呼び出されました。


 リビングに降りていくと。姉と、母が。深刻な顔で、私を見ていました。


「あんたね・・・。最近、地味なのよ!。おじいちゃんとばかりデートして気色悪い!。」


第一声にこう言われました。


「私なんて、あんたと同じくらいの年の頃なんて。彼氏おったわ!!。」


は・・・。私が小学校の男子と話しているだけで、いやらしい!男狂い!なんて言ってたのに、それ言う?。


 男の子のメル友と、メールしてたら。勝手にメールチェックして、メール出来ないように設定したのそっちやん!。


 彼氏作りたくても作られへんやん・・・。


 色んな疑問が、頭を駆け巡りましたが。


 なんだか、私は母と姉のタッグが、一番怖い存在だったので。上手く口が回りませんでした。


「服装だってあんた、地味になってるよ。年寄りに染まってるよ。」


だからなんやねんって今なら突っ込む。


「お父さんが言ってたよ!。ユキが小遣いせびりにじいさんと会ってるって・・・。」



・・・・小遣いせびり。


年寄りに染まってる。


気色悪い・・・。



 私。本当に、祖父母に会いたいと思ったから、会っていただけなのに・・・。


 これは、激しく傷つきました。


 じゃあ、もう会わへんわ!!そう激しく思いました。


 目の前がまっくらになりました。


 あるときはこうも言われました。


「女優になるかな。小説家になるかなって・期待をこめて育ててるのに!。あんたはおじいちゃんに付いていくんやな!。」


そうやって炎のように泣き怒り狂う母が怖くて。


違うよ、違う・・・。私はそういうしかありませんでした。



 今思えば。


姉は。


私だけが、祖父母に優遇されていたので。


何の苦労もなく、徳をしている私に。


もしかしたら、嫉妬していたのかもしれません。


そんな姉を不憫に思った母が。


姉に甘く、私に厳しくするために。


祖父母に待遇してくれる私を、天狗にならないように、ああいう言い方をしていたのかもしれません。


・・・・いやどうかな・・・。


確実に言える事は。


 母は。


祖父母に私を奪われると思っていたのかもしれません。


私に、祖父母を好きになって欲しくなかったのかもしれません。



まだまだ中学生な親子関係なんて。


どんなに本人が祖父母の事を好きであっても、そんなに切れる訳ないのにね。


 とにかく。


私が祖父母におこずかいを貰ったり、イベントごとに何かくれるたび、母と姉は、祖父母の悪口をまるで、斧のように、何発も、何発も、私に振り落としました。


 私。今も分からないんです。


こういう時の孫の立場って、どんな態度を取って、どんな言葉を返したら正解なんでしょうね。


 誰か教えてもらえませんか?。


 本気で。



  この、中学生くらいのあたりから。


私は、祖父母と距離を置く事に決めました。


私にとって、祖父母と会う事は。「気色悪い」事だから。


「彼氏が本来いるべき」な年頃な私が、祖父母と会ってちゃ「良くない事」らしいから。


「女優になるかな。小説家になるかな」なんて期待を背負っている私が。祖父母に会ってたら。母の期待を無視する事になるらしいから。


だから。


祖父が入院にしても。


私は固くなに口を開かず。


母の影に隠れて。


目の前にいても、目も合わせず。


話しかけられても、一言しか返さず。


話しかけられなければ、何も話さない、気難しい可愛くない孫になりました。


数年後。


私は二十歳になりました。


祖父母が振袖を買ってあげたい。と言ってくれましたが。



「なんなの、こんな時もしゃしゃり出て!!!!。」



なんて、母が騒いだので。




じゃあ・・・振袖は遠慮するよ。と私は言いました。


小学校で地元で友達はほとんどいなかったから、地元の成人式に出席する気はなかったから、写真だけだったし。




今思ったら。


そこは少し後悔してるんですよね・・・・。


姉は、立派に成人式・振袖着てるんですよね・・・。


振袖は祖父母が買ったものじゃないかもしれませんが。ちゃんとお祝いしてもらったみたいです。


でも、自分の娘が成人を迎えたら。振袖を着るなんて、誰が負担したっていいじゃないですか。


「振袖買っていただいて、ありがとうございます。」


と娘のために、祖父母に頭を下げたらいいじゃないですか。


今なら。そう母に言えるんですけど。



私は。姉と母に、文句を言われるのがとてもしんどかったんだと思います。 



それでも。


せめて、二十歳のお祝いに何か買ってあげたい・・・と祖父母が言ってくれたので。


お祝いとか結婚式に着ていけそうなドレスを買ってもらい。


家族で写真を撮りました。


初めての、家族の集合写真です。


 白いティアラ。白いドレス。自分で無造作に造り上げたアップスタイル。


あまり、メイクを濃くしたら、キャバクラ嬢になってしまうから、メイクは控えめにして。


 精一杯のオシャレでした。


 家族は誰も綺麗って言ってくれなかったけど。


旦那や、家に出入りしていた、写真を見た知らない工事のおじさんは「女優さんみたい!!。」なんて、お世辞を言ってくれたので。


 よしとします。笑


 その日の事を。


 家族はどう思っていたのでしょうか。


 いまだに、その感想は聞けていません。



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ずっとあなた(親)が嫌いでした。 夏戸ユキ @natsuyukitarou

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