勧善懲悪を超えられるか?

最初に注意喚起しておくと、この記事は映画「アバター」への批判を含みます。

同作を好きなかたが読まれると、気分を悪くされるおそれがあります。


今日、「アバター」を見ました。

ものすごく簡単にあらすじを説明すると、地球外の惑星を開拓するために送り込まれた海兵隊員が現地住民の側に寝返って、地球人と戦って勝利を収めます。


映像美で魅せてくるだけでなく、自然を破壊し「未開人」を迫害する人類の業への警鐘も込められた映画でした。

しかしながら、地球人側を単純な悪として描きすぎていて、他の惑星の資源を求める要因やその解決策といった部分への掘り下げが同作には不足していました。

つまり、すっぱりと勧善懲悪に振り切った映画すぎて、自分は物足りなく感じました。

例えば「進撃の巨人」だったら、どの陣営やキャラクターもそれぞれの正義と、その裏返しとしての悪を持っていて、「誰もがどうしようもなく正しくどうしようもなく悪い」ことを描いているので、単純な勧善懲悪を超えた深みがあるのですが……。


「正義が悪に勝つ」という構図は、物語に容易にカタルシスを与えることができます。

だから、映画からアニメから漫画からラノベまで、いろいろなメディアの物語で多用されるのでしょう。

「進撃の巨人」も、最終的には主人公・エレンが悪役を演じてかつての仲間たちに倒されるという形で、カタルシスを演出していました。

自分も、そういう勧善懲悪の構図の物語を何度も書いてきました。また、今頭の中にある次回作も、結果としては勧善懲悪で終わる物語です。


しかし、現実の争いは単純な善悪で割り切れないことがほとんどです。というかそもそも、「こちらが正義であちらが悪」と決めつけることが、人類が争いをなくせない要因の一つかもしれません。

だから自分はいつしか、その業を超えるための物語を書きたいという思いを持つようになりました。

そういう物語を書けたら、もちろん世に出したいです。


テーマの描きかたの部分では批判しましたが、「アバター」は素晴らしい映画でした。

同作に携わってくださったスタッフやキャストの皆様に、感謝を捧げます。

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