視野が狭いのは母のほう

先日母から説教を受けたのですが、その内容は「やっぱりこの人と関わっちゃいけない」と思えるやばいものでした(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/16816927859577169446)。

上の記事には書かなかったのですが、その説教の中で言われたことの一つが、

「あんたは視野が狭いから色々な人に会って視野を広げろ」

ということです。

しかし自分から見ると、むしろ母のほうが視野が狭いです。


以下に上げるのは細かい例ですが、

・自治体に認められた同性パートナーを「気持ち悪い」と一蹴する

・eスポーツどころかスケボーでさえ「スポーツ」と認めない

などといった、

「異質な他者や新しい価値観を認めない姿勢」

が母には見られます。

他にも、詳しく思い出せない具体例はいろいろとあるのですが、母はテレビで個性的すぎる人やモノを見るたびに、無根拠に脊髄反射で「おかしか(おかしい)」「普通こうやろ」と言います。そこから、母が狭い「普通」の中で思考停止していることがうかがえます。

そんな母の視野がどれほど広いのか、疑わざるを得ません。

その人から、

「(私が考える)普通の人間にならなきゃお前は生きていけないぞ!」

というプレッシャーを、自分はさんざんかけられてきました。


逆に自分は、母に言われるまでもなく、すでに家族以外のいろいろな人に会って視野を広げていると自負しています。

だから、

・自分は「普通の人」にはなれそうにないこと

・そんな「普通じゃない」人でも受け入れてくれる人たちや、助けてくれる人たちが世の中にはいること

・だから、「普通」から外れた人たちでも、あるがままに生きていていいこと

を知っています。

つまり、視野を広げた結果、むしろ母の洗脳から脱することができたのです。


母のような思考停止の生きかたは、ある意味では幸せです。

なぜなら、

・同質な人にばかり囲まれて価値観の変化も経験せず、新鮮な刺激がない退屈な生活に陥るリスクがある(母はすでに陥っているかもしれません)

ことの代わりに、

・異質な他者や新しい価値観を理解する努力をしなくて済む

からです。

だから母にはぜひとも、そんな狭苦しい「幸せ」に閉ざされた人生を全うしてもらいたいです。

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