毒吐けるほうが健康
自分は、父や母と一緒に自宅にいる「だけ」で真綿で首を絞められるようなプレッシャーを感じるため、自宅で一人でいる時か、あるいは最近なら家の外で小説を書いてきました。
今日も家の外で書くつもりでしたが、母が午前中外出しているため急きょ自宅で書こうとしました。しかしもはや、普段父や母と過ごしている自宅にいるだけでもむかむかして文章が出づらくなってきたため、さらに急きょ執筆を諦め、この雑記を書くことにしました。
もはや実家の家族にも、その家族と一緒に住む物理的な場所にもむかむかするし、それで小説がはかどらないことがさらにむかむかを増幅します。
そういう前置きの愚痴から本題に入りますが、世の中には、
「愚痴や悪口は余計に気分を悪くするだけ」
という考えかたも、
「気持ちをもたせるためには愚痴を言うのもいい」
という考えかたもあります。
普段この雑記に両親の悪口を書きまくっている自分は、もちろん後者の考えかたをしています。
なぜなら、毒を吐ける心のほうが健康だと感じるからです。
例えるなら、風邪のウイルスに対する免疫反応のようなものです。
ちゃんと免疫がある健康な身体は、咳をしたり体温を上げたり抗体を出したりして、侵入してきたウイルスを追い出したり退治したりします。そうでなければ、ウイルスにやられっぱなしになってしまうからです。
しんどい現実について毒を吐けるのも、似たようなものかもしれません。つまり、単純にストレスを吐き出したり、しんどい気持ちの内訳や理由を把握することでストレスを「消化」したりする。そのために愚痴れる心のほうが、ちゃんと「免疫」を機能させている健康な心なのかもしれません。
自分にも、心の「免疫」を抑えたまま「ウイルス」からのダメージをじわじわと溜め続けていた時期も、逆に「免疫」をちゃんと発動したほうがすっきりすると気づくことも、何度もありました。
その感覚を、やっと今日明確に言語化できました。
とはいえ、身体の免疫反応が過剰ならかえって自身を傷つけるように、心の「免疫」反応も、行き過ぎればかえって自身の気分を悪くしたり、他人からの印象を悪くしたりするといったダメージにつながります。
だから毒吐くのもほどほどにしたほうがいい、という注意喚起は一応しておきます。
心の「免疫」を無理に抑えているかたが、健康な心の反応を取り戻してくださることを願っています。
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