足枷をかけられたままフルマラソンに勝とうとしてた
自分は家で一人の時には小説執筆がはかどるのですが、父や母が家にいる「だけ」でも調子が悪くなります。具体的には、真綿で首を絞められるようなプレッシャーのためにうまい表現を出しづらくなったり、そもそもスムーズに書き進めること自体できなくなったりします。
それに加え、去年の梅雨の頃から、父や母の最低どっちかがほとんど毎日、一日中家にいるようになりました。つまり、執筆がはかどる日がほとんどなくなりました。今も新人賞向け小説を書いているのに、そのままの調子だと締切りに間に合わなそうです。
だから最近はとうとう、原稿をオンラインドキュメントにコピーしました(念のため書いておくと、そのドキュメントはアカウントの使用者とサービスの運営会社しか見られないはずです。あと、他に見る可能性がある誰かがいるなら、それはせいぜい運営会社の委託先くらいのはずです)。
そうすると、ネカフェやコワーキングスペースのパソコンで、あるいはどこか公共の場所でスマホで書けます(外で書き足した文章を自分のパソコンのワープロ原稿に戻したり、公共の場所で書く場合には原稿をのぞき見されることを避けたりする必要はありますが……)。
そうして、実家ストレスのない状況での執筆を、最近の自分は試みています。
一方、一昔前の自分は、実家ストレスにお行儀よく耐え続けながらでも、創作や事業で成果を出せると信じていました。
それはまるで、足枷をかけられたままフルマラソンに勝とうとするようなものだと、
最近思います。
当然それでは、勝つどころかまともに走ることさえできません。だから自分は、何度も疲れてへばったり、転んで怪我したりしました。
それなのに、その頃の自分は、
「誰にだってハンデはある! このくらいのハンデ当たり前!」
「この走りにくさもトレーニングのためのいい負荷だ!」
「俺みたいなのろまのダメダメなランナーでも飼ってもらえるだけありがたいなあ」
という風に、足枷や、それをかけた人たちに対して納得したり、あまつさえ感謝したりしようとしていました。
そんな納得や感謝では、足枷によるハンデを無効化できない。そのことを自分は、やっと去年認めました。
実は自分は、普通の状態で走れても、大して速いランナーじゃないかもしれません。
それでも、せめてその「普通に走る」ことができるようになりたい。
そのために、実家ストレスという足枷を外す努力をしています。
一人でも多くの「ランナー」が、「足枷」から解放されることを願っています。
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