間違った生存戦略を捨てる
昨日から、精神障害者向けの職業訓練をしてくださる事業所さんへの通所を始めました。
「職業訓練」とは言っても、その事業所さんはそれぞれの利用者の個性を伸ばすことを重視されているため、できることの自由度はかなり高いです。自分も、通所は基本的に週一にしてもらって、あとは自宅での小説執筆など(この雑記の更新も含みます)をテレワークとして扱ってもらえることになりました。
実家を出る口実であるとはいえ、自分でも受け入れてもらえる場所を得られて、一安心しています。
それで本題ですが、そういう実家の外の人たちに関わると、
「俺は実家で間違った生存戦略ばかり身に付けてきたなあ」
と感じることがあります。
昨日通所した際、事業所の責任者のかたは、人並みに速く行動できない自分(大沢)に、
「ゆっくりでいいよ」
「疲れたら休んでからでいいよ」
と、たびたび優しい言葉をかけてくださいました。
それから、他の利用者のかたからお菓子をもらった際、間食しない主義の自分はいったん断ったのですが、それでそのかたがへそを曲げることもありませんでした。
他の職員さんや利用者のかたたちの態度も温かくて、自分が普段から持っている対人恐怖が、少し和らぎました。
それはみんな、個性(それも、精神障害という強すぎる「個性」)やこだわりを持っている他者を尊重することに慣れているからだろう、と思います。
一方実家では、世間体とか無駄な因習とかばかり気にするくせに、多様な他者への理解がなくて、目の前の相手の個性や気持ちを尊重する能力の低い両親と毎日生活しています。
そういう家で育ってきて、自分も、
・波風立てないように自分の個性や本音を隠し、自分の気持ち自体も殺していく
という生存戦略を身に付けてきたのだと思います。
その反面として、
・他人の個性や気持ちをないがしろにした失礼な考えや言動
という、悪い癖も身に付けてきました。
それらは、はっきり言って害です。なぜなら、
・自分と相手の両方の都合や気持ちを尊重した上ですり合わせる
という、健全な人間としての生きかたとは真逆だからです。
「他人の個性や気持ちをないがしろにする」という悪い癖は、今までの人生経験から割と克服してきました。
しかし、「波風立てないように自分を殺して生きる」という生存戦略の「傷跡」
はまだ克服しきれていなくて、それを未だに実家の外でも「発揮」してしまいます。
仮に一生克服できないとしても、せめて実家を出ることで改善するといいなあ……と思っています。
一人でも多くの人が、間違った「生存戦略」から解放されることを願っています。
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