今なら「地鳴らし」したエレンを理解できる

最初に注意喚起しておくと、この記事は「進撃の巨人」終盤の軽いネタバレを含みます。


先週、「進撃の巨人」最終巻をやっと読みました。

主人公・エレンが辿った結末だけ超ざっくり説明すると、

・彼の祖国が世界中から憎まれていて、平和的な解決方法が見えなかったから、

・エレンは(建前上)祖国の同胞たちを守るために大量の巨人を動員(作中用語で「地鳴らし」)して、祖国に敵対する外の人類を皆殺し(!)にしようとしたものの、

・かつての仲間たちに阻止され、

・最後は(実は両片想いだった)幼馴染のヒロイン・ミカサに殺されました。


エレンの「地鳴らし」はもちろん、以下の描写からすると、明らかに「悪いこと」として描かれています。

・エレンが動員した巨人から逃げまどう人たちの恐怖や、踏みつぶされていく人たちの無惨な姿が描写されている

・エレンが助けようとしてる同胞であるはずの仲間たちが、人としての良心から彼を止める

・エレン自身、「地鳴らし」の最中に罪悪感を覚えている


その「地鳴らし」はエレン自身、巨人の力に逆に操られて(理屈がちょっとややこしいので、そこはここでは割愛します)実行した部分もあります。

一方では彼自身、その実行を心から望んでいた節もあります。

上に書いたように、彼は「地鳴らし」の最中に罪悪感を覚えるものの、一方では自由を手にしたことへの爽快感も覚えています(見開きで、幼少期の姿のエレンが両腕広げて「自由だ」と言う解放感あふれるイメージの場面に、それがよく現れています)。

それに、エレンはもう一人の幼馴染の親友・アルミンに精神世界で自身の真意を語った際、

・仲間たちを「世界を救った英雄」に仕立てるために悪役を演じたが、彼らに止めてもらえるかどうか分からなくても自分は「地鳴らし」を実行していたと思う(大沢による要約です)

と語っています。


エレンのその欲求は、ずばり征服欲だろうと自分は思います。

「自分の外の思い通りにならない世界を、力ずくで思い通りにしてやりたい」

という欲です。

自分自身、最近いろいろと思い通りにならない現実に直面するたびに、そういう欲を持っていることを自覚します(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/16816700427099792728)。

その欲求は、人間なら誰しも持っているはずです。

それをいい方向に使える人が、世界を変える偉大な発明家や実業家などになるのだと思います。

逆に、それを悪い方向に使ってしまう人が、毒親とか通り魔とか独裁者とか(そして個人が絶大な力を持てるファンタジーな世界でなら、一人で全人類抹殺を試みる殺戮者とか)になってしまうのかもしれません。

そういう両義性のある欲を、うまくいい方向に使えるか。最近の自分自身の経験と、エレンの末路を照らし合わせて、それを自分も自らに問い直しました。


「進撃の巨人」は、単純な善悪で割り切れない人間の二面性を嫌と言うほど描いていて、だからこそいろいろと語りたくなります。

そんな濃厚な物語を描いてくださった作者・諫山創氏に、感謝を捧げます。

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