伊藤計劃氏を弔いたい
昨日の記事の冒頭で、伊藤計劃氏のSF小説「ハーモニー」について触れました(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/16816700426238432385)。
自分は、「ハーモニー」の前作にして、同作と並ぶ伊藤氏の代表作である「虐殺器官」も読んでいます。
二つの作品の内容を簡潔に説明しておくと、
・虐殺器官:いろいろなハイテク装備で武装している上、戦闘に都合がいいように感情や感覚を調整してる諜報員兼特殊部隊員たちが、人間の脳にある虐殺の本能を刺激する文法(!)の力で虐殺を引き起こす言語学者を追う
・ハーモニー:(「虐殺器官」のラストで引き起こされた世界規模の大虐殺の反動のため)「健康な生活が第一」という価値観に支配された世界で、ほぼ全人類がAIやナノマシンなどのハイテクによって完璧に健康に管理されているという一見ユートピアっぽいディストピアの物語
という感じです。
二つの作品に共通するのは、
・人間は所詮、遺伝子や脳のプログラムに従って動くモノでしかない
・意識(つまり魂)なんて、脳が作り出す思い込みに過ぎない
という主張です。そのことが、生物学や脳科学のしっかりした根拠とともに語られています。
それでも人間が「改良」された結果として、「ハーモニー」は、
・判断を誤りうる意識(つまり魂や自我と呼ばれるもの)が肉体の生存の邪魔になりうるために、ほぼ全人類が意識を捨てさせられ、
・意識がなくとも常に合理的な行動ができる肉体の群れ(つまり、魂を失ったモノとしての人体)のみが生き続ける
という結末を迎えます。
そこから自分が受け取ったのは、
「魂を捨てて肉体だけを活かしたほうが、人類にとって幸せなんじゃないか?」
という、テクノロジーの進化の帰結についての伊藤氏の問題提起です。
しかしながら、伊藤氏もどこかでは、
「魂の存在意義があると思いたい!」
という葛藤を抱えていたのではないかと、自分は考えています。
現に「虐殺器官」でも「ハーモニー」でも、「人間はモノでしかない」と思わせるいろいろな根拠を突きつけられた主人公たちの葛藤が描かれていたし、特に「ハーモニー」では、ほぼ全人類が魂を捨て去る時までの主人公の思索が、悲しい筆致で描かれていました。
残念ながら伊藤氏は、三作目のオリジナル長編「屍者の帝国」の執筆の途中で亡くなりました。もし同氏があと10年くらい長生きしていたら、魂の存在意義をしっかりした科学的根拠とともに語る物語を書けたのだろうか……と、自分はたまに思います。
だから自分は、魂の存在意義を全力で肯定する物語を書きたい。つまり、伊藤氏の問題提起への答えを、同氏への弔いとして捧げたい。そして、もしいわゆる「あの世」が実在するのなら、その弔いを伊藤氏自身にも受け取ってもらいたい。そんな大層なことを、はっきり言って無力でちっぽけなアマチュアラノベ書きの身で考えています。
「人間とテクノロジーの関係」という、現代人にとって差し迫ったテーマについて重大な問題提起をしてくださった伊藤計劃氏に、感謝と哀悼の意を捧げます。
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