無難に我慢料稼いで苦しく生きろ

はっきり言われたわけではありませんが、タイトルに書いたことが、両親から自分が押し付けられた生きかたです。

「無難に苦しく生きろ」というのは矛盾しているかもしれませんが、つまりは、

「普通の人にできる程度の難易度の仕事を、好きじゃなくても理不尽なことがあっても嫌々やって、その我慢の対価としての給料で生きろ」

ということです。


具体的なエピソードは割愛しますが、今まで両親から勉強や仕事について言われてきたこと、それに彼ら自身の(特に母の)仕事への態度を総合すると、上に書いた価値観が見えてきます。

今ほど多様な生きかたが示されなかった時代に育った人たちなので、彼らがそういう息苦しい価値観で生きていることを、一応は「仕方ないこと」として理解します。

しかし、そのとばっちりを食った身としては、今でも恨みと後悔がないまぜになったやるせない気持ちを引きずりながら生きています。


自分は、今まで両親から、得意なこととか自主的にやりたいこととかを応援された記憶がほとんどありません。代わりに、両親から「やらせたいこと」を命じられることや、それを頑張ったら応援されたことは何度もありました。

例えば高校生の時の進路相談の際、志望する進路として、両親(両方か、父か母のどっちか片方かは覚えていません)に勝手に「公務員」と書かれました。他のエピソードも、思い出せたら別の機会に書きます。

それに二年半ほど前も、小説で食べていこうとしていることについて、母から馬鹿にされたことがあります。最近でも両親から(少なくとも母から)、そっちで食べていける可能性をあまり期待されていません。


そういう人たちに育てられたため、自分も、「無難に我慢料稼いで苦しく生きる」以外の生きかたを長いこと選べませんでした。

10代後半くらいには、嫌いな仕事でも感情を殺してそつなくこなせるロボットのような人間が「社会人」であると、そしてそういう人間にならないと生きていけないと、本気で信じていました。だから、心の底からやりたいことに挑む楽しさや、自分にとっても楽しい仕事で人にも喜んでもらうという喜びを、感覚的には理解していませんでした。

20代前半くらいには、バイトをしてある程度楽しく感じる時もあったので、「自分が楽しめる仕事で喜んでもらう」喜びをやっと感覚的に理解しました。それでも、やっぱり「普通の人」にできるレベルの無難な仕事を得る、つまり正社員になる以外の選択をする勇気が持てませんでした。実際のところ、自分はそもそも組織で働くことに向いていないので、そっちのほうが自分にとってはかえって難易度が高かったのですが……。


今では、プロのラノベ作家になるために真剣に挑戦していて、自分の天職(と信じられること)に挑む楽しさも、自分が楽しく書いた物語で人に喜んでもらう楽しさも知っています。

しかし、上に書いた経緯で人生を浪費してきたため、実際に挑戦を始めるのはかなり遅れました。中学生の頃から「小説家になりたい」と思っていたのに、最初の新人賞向け小説を書き始めたのは、やっと20代後半に入ってからです。

だから、今でもたまに、

「子供の才能を伸ばしてくれるいい親に育てられてたら、自分は20代の頃にはプロのラノベ作家になってたのでは?」

と思います。


自分はそういう風に、「無難に我慢料稼いで苦しく生きる」以外の選択肢を潰されてきたために、人生を浪費してきました。

同じ道を辿る人たちが、一人でも減ることを願っています。

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