みんな義務感で干からびてると思ってた
自分が両親から植え付けられた価値観は「無難に我慢料稼いで苦しく生きる」ことだと、昨日書きました(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/16816452221026468849)。
そういう生きかたしか知らなかった頃の自分は、みんな義務感の苦しさに全身を侵されたまま、干からびた心を抱えて生きているのだと思っていました。
今でこそ自分は、自分がやりたいことで食べていくために真剣に挑戦していて、心の底から望むことをやる楽しさや、その中で経験するしんどさも含めた「生きている実感」を感覚的に理解しています。
しかし昔の、特に20歳前後くらいの自分は、その感覚を理解していませんでした。
代わりに、その頃の自分が知っていた「頑張り」の感覚は、義務感でいやいや行動している時の、全身がからからに干からびて固まってしまうような感覚です。そんな乾いた心を、頭で考えた理屈で強引にむち打って頑張るしかないと思っていました。
例えば、リアルの社会で働いている人たちや、あるいはヒロインのために命がけで戦うフィクションの主人公だって、同じ感覚で頑張っているのだと思い込んでいました。
もちろん、人間が社会で生きていく上で、義務とそれに伴う義務感を多かれ少なかれ背負うことになるのは理解しています。
しかし、義務感だけでは頑張れないと感覚的に理解できてきたのは、20代前半くらいからです。
そして、最近でもまだ「毒」は残っています。仕事などへの頑張りの話とは少し違いますが、例えば街中で手をつないで歩いてるカップルを見たら、彼らはそれを心から自然に行えているのではなく、良好な関係を維持するという義務感から意図的に「仲の良さ」を演じてるのでは? と感じてしまうことがあるのです。
それくらいに、今日書いた思い込みは自分の中で根強いです。
この記事から、自分が経験した精神的な地獄が、少しでも読者様に伝われば幸いです。
そして、同じ地獄にとらわれているかたが、脱出のための気付きを得られることを願っています。
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