この苦労がなぜ自己責任なんだ?

「実家を出たい」とたびたび公言してきましたが、先日その具体的な準備として、一人暮らしの始めかたを解説しているブログをブクマしました。

それをざっと読んで、一人暮らしにはいろいろとお金やモノなどの準備や計画、そして「一人で生活する」リスクへの覚悟が必要だと改めて理解しました。

つまり、一人暮らしのためには自分でいろいろな責任を背負い込むべきだ、と再確認してから、

「心を病むほど生きづらい家庭に生まれたのは自分の責任じゃないのに、そこから脱出する苦労がどうして自己責任なんだろう……?」

という疑問が、ふと頭に浮かびました。


「人生や世の中には悪条件があって当たり前。それは自分の努力でしか打開できない」

そういう「正論」は世の中にあふれていますし、自分自身、それを少し前までは真面目に信じていました。

しかし、去年の春に「ジョーカー」(善良な男が、貧困や周囲からの疎外をきっかけに悪に堕ちていく姿を描いた映画)を見てから、

「社会とか職場とか家庭とかいった環境が悪かったら、自助努力が追いつかなくて脱落する個人がどうしてもぼろぼろ出てくるよね」

という問題意識を持つようになりました。

言い換えると、自己責任論を疑い出したのです。


時代が進むごとに、身体障害とか知的障害とか発達障害とか、いろいろな「生きづらさ」に対する公的なきめ細かいケアは増えてきています。最近だと、イギリスが国レベルで個人の孤独への対策(!)を始めたのは有名な話です。

だから、肉体的に死ぬほどの虐待・ネグレクトを家族から受けていなくても、精神的に病むほどの抑圧を受けている人への公的なケアも、そのうち制度化されるのではないか。今の自分は、そう期待しています。

とはいえ、そういうケアがない今、ひとまず自分は実家脱出のための自助努力をするつもりです。

それから経済的に成功できたら、そういうケアも事業としてやってみたい。そういう夢も持っています。

同じような考えの人たちの力が集まって、生きづらい人たちにとってもっと生きやすい世の中が実現する可能性を、自分は信じています。


この記事が、一人でも多くのかたにとって、自己責任論の呪縛を解くきっかけになれば幸いです。

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