怒りや悲しみを麻痺させちゃいけない
昔とある恩人に、「(君は)心がからからに乾いて麻痺してる」と言われたことがあります。
それは、自分が喜びを素直に感じようとしていないからだ……と、少し前までは思っていました。
それも原因の一つかもしれませんが、もう一つの原因は、怒りや悲しみを押さえつけて麻痺させていること。そのために、他の感情も麻痺させていることかもしれません。
少し前、休日に家を離れる時間(=両親から離れる時間)を長めに作ったら、感情のブレーキが外れて怒りが噴出してきた……という話を書きました(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/1177354054934500446)。
それから最近、そのブレーキが外れがちになってきました。昨日の午後も、母のちょっとした高圧的な命令の一言で、自分の全てを否定されたような絶望感や、いろいろぶっ壊してしまいたいくらいの怒りを覚えました。
だからまた気持ちが荒れて、ガス抜きをしてしまいました。ハンドソープやらティッシュやら蛇口の水やらを無駄に出しまくったり、トイレのドアをばんっ! と叩きつけるように閉めたりするなど……。
そうして怒りに身を任せると、母と同じになってしまうのでは? また、結局自分の首を絞めるだけなのでは? という疑念や恐怖はあります。
だからそうならないように、自分も両親に対する怒りや、その根底にある悲しみを、前向きな考えかたや言葉やマインドフルネスなどで上書きしようとしてきました。
それで心の落ち着きを取り戻したつもりになっても、実際は怒りや悲しみが麻痺しているだけだと思います。それらの気持ちが心の奥底では消えていなくて、緊張のために全身がさび付いたように感じる……という状態が、慢性化してしまうことがよくあるからです。
だから時々、溜まりに溜まった怒りや悲しみを吐き出すと、心洗われた気分になります。
最初に書いたように、怒りや悲しみを押さえつけていると、きっと心の全てが麻痺してしまいます。
それを続けている人は、他人の怒りや悲しみに共感する力も失ってしまうと思います。
だから、怒りや悲しみを押さえつける癖を抜きたい。そう思うことが時々あって、今回改めてそう思いました。
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