気持ちくらい理解してくれてもいいのに
母は我慢するし他人に我慢させる人だと、前に書きました(https://kakuyomu.jp/works/1177354054895092612/episodes/1177354054918230056)。
そういう価値観の弊害を、少し違う角度から書いてみます。
自分はトイレに立ったついでに台所で水分補給もするのですが、トイレと台所の出入口が3~4メートルくらい離れているため、その距離を往復して自室に戻ってくるのをずっと面倒に感じていました。
その導線を短縮するため、昨日思い切って、飲み水のペットボトルを洗面所に(それを見つかって母に怒られた後は自室に)置いてみました。
その後夕方に母と話したら、飲み物を入れる手間や洗う手間があるので(ペットボトルを自室に置くのを)やめてほしい、と言われました(口を付けずに済むようコップで飲んだのですが、それでも洗う必要があるそうです)。
また自分(大沢)が、トイレと台所の往復がめんどくさいということを正直に話したら、
「なんが「めんどくさか」ね!(何が「めんどくさい」よ!)」
と、「めんどくさい」という気持ちまで否定されました。
母にとって実際の手間が増えて困る、ということは理解できます(自分も手間が増えるのは嫌なので、「自分で洗う」とまでは言い出せませんでした……)。
しかし、「めんどくさい」という気持ちくらい理解してくれてもいいのに……と、自分も母に対して思いました。
そういう「嫌だなあ」系の気持ちを母や父から理解してもらえなかったことで、自分自身、そういう気持ちを抑圧してきたと思います。
だから自分も、辛い状況でじっと我慢したり、そもそも自分は何を幸せに感じるのかを見失ってきたりしてきたと思います。最近でもたまに、本当は辛い状況を楽しいと思い込もうとしてることがあります。
「嫌だなあ」という素直な気持ちを麻痺させないために、自分はほんのわずかでも、両親から距離を置こうとしています。トイレと台所と自室の行き来問題についても、面倒だという気持ちはなくならないので、他にいい解決策があったら実行してみたいです。
ご自身が感じる「嫌だ」にまだ気づいてないかたが、そこから抜け出す一歩として、まずは「嫌だ」に気付いてくだされば幸いです。
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