夜のティックーン、リリスのまなざし

 ジョルジュ・アガンベンの代表的な概念である〈ホモ・サケル〉から、手並み鮮やかに百合へ光を当てて御姿を浮かび上がらせてみせた、聖書からの示唆に富んだ美しい論考です。

 百合の定義は?と問われて、歯切れよく答える事を躊躇する程度には難しい問題でしょう。そもそもジャンル、文化、イデオロギー、それぞれで文脈もまるで異なり、我々は盲人となって象を撫でるような事ばかりしか出来ていません。

 その為、葎織さんが引用して下さった私の百合論では、パララックスな視座によって百合を紹介しようとしましたが、しかし葎織さんのこの論考は「リリス」という概念を用いて、軽快でスマートに百合という掴みどころのないものを新たなパースペクティブから語る術を教えて下さいました。精神分析やドイツ思想といったツールを使って実験台に上げる事なく、痛快なまでに分かりやすく輪郭を照らし出しています。

 〈ホモ・サケル〉という排斥された〈聖〉なるものであり、誰もが知るアダムとイヴという二項対立に潜む、残滓としてのリリスの影、ここに百合が見え隠れするのです。
 ヘーゲル『精神現象学』の中の、間違いなく女性蔑視者ヴァイニンガー風の色合いが感じられる部分で、ヘーゲルは普遍と特殊の間の否定的な関係を、まさしく倫理的共同体の〈内なる的〉である女を通して式に表しています。例えばギリシャ神話のアンティゴネとイスメネの間にも、リリスを見てとるのは難しくないことでしょう。

 アガンベンに対する予備知識ゼロでも読めるこの論考は、一読して損はないでしょう!〈ホモ・サケル〉的な――後退という原初的な行為であり、不滅の生命の実態との間に距離をおくことであるために、そうした実態が悪魔的な輝きを放つことが出来るのです。