ホモ・サケルから読む百合 「百合とリリス - Lily and Lilith - 」
葎織 蓮丞
まえおき
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目次
 ̄ ̄
まえおき
ホモ・サケルとは何か?
リリスとは何か?
リリスはホモ・サケルである
リリスは百合である
百合は純潔のアレゴリーである
百合を純潔に繋げる境界にリリスがいる
あとがきに代えて、女のイデア
註
参考文献
まえおき
約三か月前にある百合論に出会ったのがきっかけでした。
かの論は百合への理解の糸口と、この百合論を書く際の規矩となりました。
川崎めて仟さんの「崇高なる力の百合論 ラカン・レーニン・ヴァイニンガー」には、百合への理解の突破口が切り開かれていました。
そして私は、ラカン理論を応用した川崎さんの百合論に寄せた私自身の感想――「常識の軛を外された女」とはいったい何かをできるだけきめ細やかに考察し、私なりの百合論をここに仕上げました。
この論の効果としましては、二つのものが提供されます。
読者に向けては、新たなる百合の見方。作者に向けては、百合創作のアイデア。
実は見方とアイデアのその二つは、対流圏内で同じ言葉となって流れています。それを私たちが見ることができたのなら、それにまさる幸甚はありません。
結論を先んじて言ってしまえば、私たちは、百合をホモ・サケルとして見ることができました。百合をホモ・サケルとして見ることができたとき、私たちは百合の今日日性が何一つ失われることがないと結論づけることができました。
大まかな流れとしましては、この論はいたって単純な類推による三段論法にしたがって展開されていきます。
① ホモ・サケルはリリスである。
② リリスは百合である。
③ 百合はホモ・サケルである。
注意することがあります。単純明快な三段論法によって、ホモ・サケルの全てがリリスというつもりではないことです。もしそうなら、ホモ・サケルという内容にリリスしか詰めこめなくなり、百合が入る余地もなくなるでしょう。よって単純なアナロジーの裏では、複雑なアレゴリーを展開してきます。
① ホモ・サケルはリリスである。
② 百合は純潔のアレゴリーである。
③ 百合を純潔に繋げる境界がリリスである。
こうして私たちは二種類の結論を引きだすことができます。まず一つ目は「③ 百合はホモ・サケルである」という結論。これを、「顕れるリリス」とします。次に二つ目は「③ 百合を純潔に繋げる境界がリリスである」という結論。これを、「隠れるリリス」とします。この結論もまた、おいおい説明していきます。
この百合論の大半は「① ホモ・サケルはリリスである」の説明に占められています。①の主張は、ジョルジョ・アガンベンとスザンヌ・クラクストンの読解に依ります。内容は特にクラクストンの本「HEIDEGGER’S GOS: AN ECOFEMINIST PERSPECTIVE」の第五章における「Lilith and Agamben」の読解にあてられます。クラクストンはこの章においてリリスはホモ・サケルと主張しています。私たちはその主張を全面的にこの論に拡張することになります。
また全面に渡って、LilithとLiliyのアナロジーが幅を利かせます。しかし短絡的にリリス=百合と言い張るつもりではまったくないです。むしろアレゴリーで考えますと、リリスは百合の背面にホモ・サケルとして潜んでいることとなります。リリスと百合の親和性の謎は、今のところヘラクレイトスを引用するに留めておきます。謎は「不可能なものを結びあわせること」であり、真の意味作用はいつも「謎めいたもの」である。¹
まえおきが長くなりました。
ではまず先ほどからいっている「ホモ・サケル」とは何か? これを見ていきます。
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