ホモ・サケルとは何か?

 始めにジョルジョ・アガンベンの紹介をします。

 彼は1942年生まれの現代イタリアを代表する哲学者です。

 彼の哲学的思考は、どこか考古学的です。膨大な知の積聚から発掘、再調査し、そこに今まで見出されなかったものを発見するといった手法が取られています。

 私は特にこれといった哲学的素養も持ちませんが、個人的にアガンベンに私淑しています。


 アガンベンはポンペイウス・フェストゥスの古法『言葉の意味について』に姿を現すホモ・サケルの形象を、ホモ・サケルの始まりとしています。


 しかし、聖なる人間ホモ・サケルとは、よこしまであると人民が判定した者のことである。その者を生け贄にすることは合法ではない(neque fas est eum immolari)。だが、この者を殺害する者が殺人罪に問われることはない(sed qui occidit, parricidi non damnatur)。最初の護民法には、「平民決議によって聖なるものとされた者を誰が殺害しても、それは殺人罪ではない」とある。悪い人や不純な人がホモ・サケルと呼ばれるのはそのためである。²


 法によってホモ・サケルは「殺害が処罰されない、犠牲が禁止されている」と定められています。どうしてそういった矛盾を持つ形象が生まれたのでしょうか?

 それは、それをそう定めることができた主権者の権力によるものだとアガンベンは言います。


 主権による例外化において、法は自らを適用から外し、例外事例から身を退くことによって、例外事例へと自らを適用するが、それと同時に、ホモ・サケルは、犠牲化不可能性という形で神に属し、殺害可能性という形で共同体に包含される。犠牲化不可能であるにもかかわらず殺害可能である生、それが聖なる生である。³


 例外化という用語が出てきました。

 これは例・ルールを定めるときに、ルールのルールを定める者は、誰か? という理解を働かせれば容易にわかることかと思います。ルールを定める者は、ルールの外にいるものです。ルールの外にいることによって、ルールを変えたり定めたりできます。ルールブックそのものみたいな男のことです。男はルールの外にいることで、ルールを定めるルールブック男として自分自身をルールに定めることができます。これが例外化であります。つまり。例外化は排除の形をとります。

 アガンベンは述べています。


 例外化とは一種の排除である。例外は、一般的な規範から排除された単独の事例である。しかし、例外をまさしく例外として特徴づけるのは、排除されるものが、排除されるからといって規範とまったく関連をもたないわけではない、ということである。それどころか、規範は、宙吊りという形で例外との関係を維持する。規範は、例外に対して自らの適用を外し、例外から身を退くことによって自らを適用する。この意味で、例外はまさしく、その語源ex-capereのとおり、外に捉えられているのであって、単に排除されているのではない。⁴


 こうして主権者は規範の外にいながら、規範に則ることができます。そして例外はもう一人いたはずです。そう、ホモ・サケルもまた例外扱いされています。犠牲不可能でありながら、殺害可能な例外状態の存在。規範の外に位置する聖なる存在。

 では、そんなホモ・サケルが主権者と合間みえないなんてことがあるのでしょうか? いやない。主権者とホモ・サケルは密接に結びついているのです。


 したがって我々が問うべきなのは、主権の構造と聖化の構造は何らかのしかたで結びついているのではないか。この結びつきにおいて両者は互いを照らし出すことができるのではないか、ということである。これに関しては、第一の仮説を提出することができる。すなわち、刑法からも犠牲からも離れた本来の場へと回復されたホモ・サケルは、主権的締め出しの内に捉えられた生の原初的形象を掲示するのではないか、それは政治的次元を構成した原初的排除の記憶を保存しているのではないか、という仮説である。⁵


 忘れえぬものというベンヤミンに培ったアガンベンの考えがあります。それは始まりでありますが、いまは誰も覚えていないもののことを言います。

 たとえば普段何気なく私たちは複数の言語を持って話していますが、そこには忘れられた言語への憧れがあります。

 今は誰も覚えていないかもしれないけれど、バベルの塔という伝承があって、人々はそこで同じ言葉を話していました。しかし神の罰が下って、バラバラの言葉を話すようになったと想像するようなものです。

 この一連の想像は、複数の言語を話しつづける私たちが、忘れようにもどうしても忘れられないものに端を発しています。共通の言語があったかもしれないという憧れとなって、私たちに残りつづけています。私たちが複数の言語を使い分けて話すことで変調をきたすのをやめないかぎり、共通の言語があったことは忘れえぬものとなって残りつづけます。


 そしてアガンベンは、ホモ・サケルという形象も、権力構造の原初的排除の記憶そのものとして――忘れえぬものとしてそこにあるのではないか? と仮説を立てたのです。


 同様にリリスという形象もまた忘れられていましたが、忘れえぬものとして、再発見されました。リリスは今ではフェミニストの象徴とされています。エコフェミニストのクラクストンによれば、リリスという形象はアダム的主権権力の構造を構成するにあたって、邪魔者として排除されたものです。


 そろそろホモ・サケルの読解はここらへんとし、リリスの方に移りたいと思います。

 最後にクラクストンによるホモ・サケルの読解を上げておきます。

 それはこういうことになります。


 Homo sacer is the one who has effectively been abandoned by both the juridical and the divine orders. The sovereign, who is the sovereign in both of those realms, exercises sovereign authority by virtue of the withdrawal of the protection afforded by being included in his realm of dominion. However, the withdrawal of the protection and resultant abandonment are nonetheless themselves supreme exercise of sovereign power. Thus, the realm in which homo sacer finds himself is a realm that, although a state of exception, is nonetheless a realm in which sovereign power is manifest in its own absence. Doubly excluded from both the juridical and divine realms, homo sacer is neither fit for sacrifice nor worthy enough to be considered a victim of homicide. The homo sacer, as such, may be killed with impunity.

 The realm in which homo sacer exists is not a realm merely devoid of law, but is a realm that results from the exercise of sovereign power in its highest form, according to Agamben. Homo sacer finds himself abandoned, cast out, excluded and under ban by means of sovereign power’s fullest exercise of power, that is, sovereign power’s ability to rule by suspending the very law it creates.⁶


(ホモ・サケルとは、司法と神性の両方の命令によって効果的に放棄させられたものである。主権者――それら両方の領域における主権者は、彼の支配の領域に含まれることで付与させた保護の取り消しの効果によって主権者の権限を行使する。しかしながら、保護の取り消しと、その結果として生じた放棄は、それ自身最高の主権権力の行使にすぎない。したがって、ホモ・サケルが彼自身を見つけるところの領域は、例外状態の領域ではあるけれども、主権権力が自分自身の不在を表わすところの領域に過ぎない。司法と神性の両方の領域から二重に締め出されたホモ・サケルは、殺人行為の犠牲者に、熟考させられるほど十分な価値はないし、適した犠牲でもない。ホモ・サケルは、それ自体のために何の咎もなく殺されるかもしれない。

 ホモ・サケルが存在するところの領域は、単なる法の欠いた領域ではないが、アガンベンによると、もっとも高い形式における主権権力の行使よって生じた領域である。ホモ・サケルは、主権権力の最上級の力――それがまさしく作る法律を停止することによって統治する主権権力の能力――を用いた禁止の下で、放棄され、追放され、締め出された身となる。)

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