リリスとは何か?

 ▪ ―― イブの二つの名前。


 早速「リリスとは何か?」を説明したいところですが、その前に少しだけイブについて話します。

 旧約聖書の創世記において神は二人の人間――男と女を作り出しました。そして男は――アダムと呼ばれますが、自身の肋骨からイブを生み出しました。

 あまり知られていないことかもしれませんが、イブには名前が二つあります。いえ、かつてイブにはもう一つの名前があったという方が正しいです。イブとエバではありません。


 それは「ishah」です。


 まず「Eve」が、イブやエバと呼ばれるよく知られた名前です。では「ishah」とは何か? それはアダムがイブをイブと名付ける前の彼女の名前だったものです。楽園追放後にアダムはイブをイブと名付けます。それまでイブは「イシャー(ishah)」でした。

「ishah」とは「女」のことです。神はアダムの骨から女を作ったとき、こう名づけています。「男から取ったものだから女と名づけよう(創世記2:4b-25」ここから「ishah」には「妻」という意味が生じます。男から生まれた女は、「妻」です。


 といってもよくわからないと思うので、「Jože Krašovec」の「The transformation of biblical proper names」を引用してサマリア五書から説明します。「ishah」はヘブライ語のラテン翻字で「ʾiššāh」と表記されます。


 Acoording to the Yahwist narrative of creation (Gen 2:4b-25), Adam has given his wife a generic name (V.23): “This one shall be called Woman (ʾiššāh), for out of Man this one was taken (mēʾîš luqqāḥāh-zōʾt).” It is noteworthy that the Samaritan Pentateuch has the expression mēʾîšāh ʿout of her Manʾ instead of mēʾîš, a rendering found also in LXX and Tg. ⁷


((ヤハウィストの天地創造(創世記2:4b-25)によると、アダムは彼の妻に属名を与えている(v.23)。「これは女性(ʾiššāh)と呼びましょう、これは男の外から取られたために(mēʾîš luqqāḥāh-zōʾt)」 サマリア五書は、mēʾîšわりにmēʾîšāh 〝彼女の男の外“という言い回しを使っていることは注目すべきだ。これは、LXXとTgにもまた見られる翻訳である。))


 LXXとは七十人訳聖書のことでTgとはタルグムのことですが、今は関係ないです。

「サマリア五書は、mēʾîšわりにmēʾîšāh 〝彼女の男の外“という言い回しを使っていることは注目すべきだ」は、なぜ注目に値するか。


 それは「彼女の男」とは「夫」のことだからです。

 そして「彼女の男の外」とは「妻」のことだからです。


 モーセ五書の「男の外から取られた」よりも、サマリア五書の「彼女の男の外から取られた」の方が、その女が男の妻であることが如実に示せていると思います。古代の聖書にはそういった言葉遊びがあります。そしてここからわかるように「ishah」「ʾiššāh」は「女」の他に「妻」という意味もあります。


 また「Eve」はハヴァとも呼ばれ「生きるもの」という意味です。こちらはよく知られていると思うので、深くは説明しません。


「ishah」は「女、妻」という意味。

「Eve」は「生きるもの」という意味。


 このイブに纏わる二つの名前「ishas」と「Eve」をそれぞれフェミニズム的観点から見ていきます。


 私たちは、イブに纏わる二つの名前から、イブがアダムの「妻(ishah)」であり、また「生きるもの(Eve)」であるということができます。この二重性は熟考しすぎるに越したことはありません。つまり、「妻」のイブは、そのまま男性社会の外にいる妻としての女性を指すことができます。「妻」とは「彼女の夫の外」。女は社会に参加せず、家庭で男を支えよ、という風に考えることができます。そしてもう一つの「生きるもの」のイブは、社会に存在しない女の様態を指すことができそうです。つまり私たちは「生きるもの」としてのイブに「ゾーエ」という観念をあてはめることができます。


 といいますか七十人訳聖書(LXX)には、イブはゾーエだときっぱり明記されています。該当箇所の創世記第三章二十節を示しておきます。「καὶ ἐκάλεσεν Αδαμ τὸ ὄνομα τῆς γυναικὸς αὐτοῦ Ζωή・・・ ὅτι αὕτη μήτηρ πάντων τῶν ζώντων. (Gen 3:20)」「and adam called the name of his wife, Zoe・・・, for she was mother of all the living.⁸」「そしてアダムは彼の妻を、ゾーエ・・・と名づけた。彼女はすべての生きるものの母であったからだ。」


「ゾーエ」とはアガンベンがよく用いる生命の観念のうちの一つです。もう一つは「ビオス」と呼びます。



 ▪ ―― ビオスとゾーエ。ゾーエの旧姓としてのイシャー。


「ビオス」と「ゾーエ」は、簡単にいって社会的生き方と自然的生き方を言い表します。社会的生き方とは、これも簡単にいえば、仕事のことです。自然的生き方とは、家にいてまったり過ごすみたいなことです。もちろんそれは「ビオス」があってこそのまったり生活なので、「ビオス」のない「ゾーエ」という生活を考えたとき、その生き方は地獄に似た様相を持ち始めます。つまりただ生きているということです。

 そしてホモ・サケルとは「ビオス」を奪われ、ただ生きるために生かされている存在だとアガンベンは言っています。


 ここでイブ=ホモ・サケルと言うことはできません。イブは社会の外にありながらもアダムの妻として社会に属しているからです。犠牲不可能で殺人可能という邪悪であり聖なる存在でもありません。

 ここまでで私たちが言えることは、イブ(時にishah)は社会的でありつつ社会には混ざらず、自然的に生きている女(Eve, Zoe)ということです。明瞭に言えば、専業主婦のことです。イブとアダムがいて、社会は成り立っているという強固な観念です。すなわちアダムが「ビオス」で、イブが「ゾーエ」ということです。

 詳しく述べますと、まだイブが「イシャー」であったころは、アダムも「ビオス」ではなかったのですが、二人が楽園追放させられ、イブが「ゾーエ」と名づけられたときになって初めて、アダムは「ビオス」としてイブを従属させたということです。こうしてアダムとイブが互いに違う部分を補い合うという強固な社会構造が出来上がりました。


 ここをイブ=ホモ・サケルと履き違えてしまったとき、どうなるのか。イブの権利主張は健やかなる母子生活を望むこととなります。アダムによる支配の下、アダムのイシャーとして、子を産み育てることこそが女の喜びということになります。それは男性優位的社会の温存という結果に繋がることになりますし、権利主張を突きつける相手が主権者ではない、主権権力を持たない男になります。

 ホモ・サケルが権利主張するとき、戦う相手は主権者にならざるを得ないとは、さきに書いた通りです。ここをフェミニズムの観点で言い替えますと、こうなります。リリス=ホモ・サケルが権利主張するとき、戦う相手は男性優位な社会を作り出す主権者にならざるを得ない。


 そしてリリスこそ、ビオスを奪われたゾーエとしてのホモ・サケルです。薄っぺらの二項対立の奥行にはビオス――社会的生き方を、男性的主権者によって奪われた、または拒んだ女が潜んでいたからです。



 ▪ ―― リリスとは何か?


 ではリリスの説明に移ります。

 旧約聖書の創世記において神は二人の人間――男と女を作り出しました。そして男は――アダムと呼ばれますが、自身の肋骨からイブという女を生み出しました。とは、さっき言いました。アダムはその女を妻としました。

 ここでおかしな点に気づきます。では初めに神が作り給うた女はどこにいったのかしらん? と。ここに至極一般的な想像力が働く余地が発生します。クラクストンはこの矛盾からリリスが想像されたのだと言っています。想像主は、あるユダヤ人聖書学者だとしています。


 It is thought that it was this discrepancy in the two biblical accounts of the creation myth that first gave rise to the stories of Lilith. It is thought that Jewish biblical scholars, in an attempt to make sense of the existence of two differing accounts of the creation of woman, developed the understanding of Lilith as the first wife of Adam. Lilith, like Adam, was created by God from the dirt of the earth and was thus equal to Adam. Viewing herself as equal to Adam, Lilith was reluctant to submit to him. When he sought dominion over her, she was quarrelsome and contentious. She did, however, provoke in Adam much desire for her. Yet, she refused his advances and did not wish to lay beneath him for the sex act. The story goes that when Lilith saw that Adam was determined to overpower her, she uttered the name of God, rose up into the air, and flew away to live at the Red Sea, a place full of lascivious demons with whom she was said to have acted out her lust and passion, giving birth to more than a hundred demons daily. ⁹


(聖書の創造神話の二つの記載における食い違いが、最初のリリスの物語を生じさせたのだと考えられている。ユダヤ人聖書学者は、女性の創造の異なった二つの記載の存在に関する理解の試みが、アダムの最初の妻としてのリリスの理解になったと考えている。リリスは、アダムと同様に地球の泥から神によって創造され、またそれによってアダムと対等であった。アダムと対等だと自分自身を見るリリスは、アダムに服従することをいやがったようだった。彼が彼女に支配を及ぼそうとした際、彼女は喧嘩好きで議論好きだった。彼女は、しかしながら、アダムにたくさんの彼女への欲望を引き起こした。だけれども、彼女は彼の進みを拒み、性行為のために彼の下敷きになることを望まなかった。アダムが力によって彼女を屈服させることを決心したことをリリスが知ったとき、彼女は神の名前を発し、空中に立ち昇り、紅海に住むため飛び去った。その場所は、彼女が言われた、彼女の肉欲と情欲をともに実行に移せた扇情的な悪魔で満ち満ちていて、日に百以上の悪魔を産んでいるという話である。)


 ユダヤ人の聖書学者とは、「Raphael Patai」という人類学者のようです。しかしこの記述は「ベン・シラのアルファベット」のことかと思われます。

 後半から悪魔やら情欲やら出てきましたが、前半部分は男性からの支配を拒む女性という構図です。つまりアダムとの性行為を拒否したリリスは、アダムの元から去ったということです。しかしただ去ったわけではありません。それから好色な悪魔と情を交し、毎日百以上の悪魔を産むようになったとされています。ここに男性本意なやっかみが見え隠れしていることがわかるかと思います。すっぱい葡萄みたいなものです。手に入らなかったから、その女をめた糞に貶してやろうという傲慢さです。こうしてリリスはアダムの言うことを聞かない傲慢で悪い女に貶められました。そしてことごとくあらゆる悪徳をアダムはリリスのせいにしていきます。


 In the Garden of Eden, Lilith appeared to Eve as a serpent and seduced her into eating the fruit of the tree of knowledge of good and evil. Lilith then prompted Eve to tempt Adam with this fruit, as well. It is here that we can see that the aspect of the feminine represented by Lilith in the myth is not without intimate relation of the feminine that is perhaps “less evil” than Lilith, she is still, in her being as woman, susceptible to the influence of Lilith. Eva must, therefore, be kept under a tight rein, so as to prevent Lilith becoming a further corruptive influence.¹⁰


(エデンの園において、リリスは蛇としてイブに現れ、善悪の知恵の木の果実を食べるように、彼女を誘惑した。その際、リリスはイブをこの果物でアダムをそそのかすようにも駆り立てた。ここにおいて、神話内のリリスによって象徴される女性的面は、おそらくリリスよりも「まだましな方」という女性的な親密な関係がないわけではないが、彼女はまだ女性であるためにリリスの影響を受けやすいのだということが私たちはわかる。それゆえイブは、リリスがさらにまた堕落を招くことを防ぐために、厳格に制御されなければならない。)


 まずは蛇でした。知恵の実を食べるようイブを誘惑したのが蛇に変身したリリスとされます。そのときのイブは、まだイブではなく、「イシャー」であり、「女」であったので、リリスの影響を受けやすかったのでしょう。そしてまた排除したはずのリリスが誘惑する蛇として現れたので、アダムはますますイブに警戒し、またイブを従属させます。

 しかし果実の誘惑に屈し、楽園追放されたアダムとイブです。アダムはそのときようやく「イシャー」に「イブ」と名を与え、百三十年間、彼女との交際を絶つことにしました。その間にアダムはよく夢精したと言われます。それもリリスの仕業とされています。またリリスの誘惑は男性一般にも及びます。真夜中に一人で寝ている男のもとにやってきて、精液を搾り取るというわけです。その精液で悪魔や悪霊を作るのだそうです。


 It was from this understanding of the biblical text that, in the first century AD, Rabbi Hanina was prompted to issue a warning that forbade men from sleeping alone in a house since, under such conditions, Lilith would likely seduce them. Lilith, as the seductive, Lust-inspiring aspect of the feminine, is understood as an ever-present threat to men:


  And she [Lilith] goes and roams at night, and goes all about the world and makes   sport with men and causes them to emit seed. In every place where a man sleeps   alone in a house, she visits him and grabs him and attaches herself to him and has   her desire from him, and bears from him. And she also afflicts him with

  sickness, and he knows it not, and all this takes place when the moon is on the   wane.¹¹


(聖書の記述のこの理解から、西暦1世紀において、ラビ・ハニナは、男性が家に一人きりで眠ることを禁じるという警告を発するよう促された。そのような状況下では、リリスが彼らを性的に誘惑しそうなために。リリスは、色情を呼び起こす誘惑的な女性の面として、男性に向かって絶えず‐存在する脅威として理解されている。つまり。


 また彼女「リリス」は夜に放浪し始める。そして世界中を歩き回り、男性をもてあそび、彼らが射精する原因となる。男が家に一人きりで眠るありとあらゆるところで、彼女は彼を訪ね、捕まえ、肉薄し、彼から欲望を求め、彼から出産している。そうしてまた彼女は、それと知らずに彼を病気で苦しめる。これらすべては月が欠け始めた頃に生じる。)


 またさらにリリスは悪徳な売春婦となり、男たちを誘惑します。そして事を終えると大仰に飾り立てられていた百個以上の装飾品を脱ぎ捨て、ベッドに横たわった男を殺しゲヘナに送ると言い伝えられたりします。


 また夫を誘惑する女として、現れたりもします。それは結婚という形式が、どうしても第三者の女を生じさせないからです。クラクストンは次のように述べています。


 Thus, it is clear that a man who feels sexual desire for his wife, or any other woman, desire that is in any way beyond the scope of what is legally, religiously, or morally permissible, feels such desire because of Lilith. It thus appears that erotic desire in and of itself is the result of Lilith’s presence and evil-doing. Lilith then, it seems, is the source and cause of all incarnate and embodied sexual desire and lust.¹²


(したがって、自身の妻、あるいは他の幾人もの女に性的欲望を感じる男性が、どのようにもしがたく法的に宗教的に、または道徳的に許される範囲を超えてそのような欲望を感じていることは、明らかにリリスによるものである。それはつまり、性的欲求とそれ自体は、悪の仕業とリリスの現存によるものだとみられるためだ。リリスはそのとき、すべての性的欲望と色情の体現であり化身であるその原因と、また源であると考えられるようだ。)


 さらにリリスの脅威はとどまりません。時にリリスは、女性のありとあらゆる身体の痛みの原因ともされています。


 Lilith is seen as ultimately responsible for all barrenness, miscarriages, stillbirths, infant deaths, and any other manner of affliction having to do with failed reproductive capacity, pregnancy, or childbirth. The standard view is that she is motivated to do these things out of spite, hatred, jealousy, wrath, and envy. Women are understood to be especially susceptible to the influence of and harm from Lilith during certain times, such as prior to the loss of virginity, during menstruation, and the hours before childbirth. Thus, it appears that all things uniquely feminine or belonging to woman in the embodied sense are themselves “evil,” or at least potentially “evil,” in their being intimately connected to Lilith.¹³


(リリスは、すべての不妊、流産、死産、乳児死亡、またいくつかの苦悩の様――妊娠や出産、生殖能力の失敗に関する――の究極的な原因であると考えられている。標準的な見方では、彼女はそれらの物事――憎悪、嫉妬、憤怒、そして妬みの面当てに動機づけられている。女性は、次のような特定の時期――処女喪失よりも前、月経期間中、出産前の時間に、リリスからとりわけ害され影響されやすいのだと、理解されている。よって具体化された観念における女、あるいは唯一女性に属しているすべての物事は、彼女たち自身が「悪」か、彼女たちがリリスと親密な関係を結んでいることにより、少なくとも潜在的に「悪」とみえる。)


 リリスは女の恐ろしさのすべてを詰め込んで、体現されたもののように思えます。それは間違いないのでしょう。アダムがイブを支配したとき、イブの厄介で不要な女の部分は、外に締め出されたのですから。私たちが培ってきた処世術とは、女のリリスの部分を見過ごすことだったのでしょうか。しかしフロイトの抑圧されたものの回帰のように、それは獰猛な怪物となって還ってきたその有様です。


 事の始まりに遡れば、アダムがリリスを追放したのが事由です。リリスが恐怖の対象に見えてしまうのは、アダムの投射によるものです。投射とは、あの女はオレのことを好いていやがるぜ、と勘違いする男は、往々にして、自分がその女に惚れていることに気づいていないからです。そのようにして投射は起こります。この場合は、リリスは恐ろしい女だというのは、自分は恐ろしい男だ――女を従わせて主権的に振る舞い、時に暴力にも及ぶ――ことに気づかないふりをしている男が、リリスを恐ろしい存在に仕立て上げているということです。


 Lilith was possessed of the ability to inspire great lust and desire, as well as fear and terror. Understanding Lilith as such speaks not only to the tremendous nature of her purported powers, but also to the perceived extreme powerlessness of those who feared her. As I will demonstrate in the next section, the mythology of Lilith, understood through the lens of Agamben. Illustrates the way in which this particular aspect of the feminine, of woman, has existed in a perpetual state of exception that, once conceived and established by the masculine, founded the masculine as sovereign.¹⁴


( リリスは、不安や恐怖と同様に、大きな欲望と色情を引き起こす能力を所有していた。リリスを理解することは、そのこと自体において、彼女が称されている力のとてつもない特質だけでなく、また彼女を恐れた者たちが知覚した非常な無力さをも語っている。次節で私が説明するように、リリスの神話は、アガンベンのレンズを通して理解される。女の、女性のこの特有の面が、かつて男性によって考えられ確立され、男性を主権者として設立した永続的な例外状態の中に存在していた、という方法で例示する。)


 ここまでが神話上におけるリリスの解説になります。クラクストンが最後に述べているように、それらリリスの残虐でエロティックなイメージは、男性によって生み出されたものです。前述した心理学風に言うと、男性の投射の結果です。女は恐ろしい者というのは、この社会でなにやら言い得ているようですが、私たちが正常な感覚の持ち主なら、男性の方が恐ろしいとわかるはずです。男性が社会の実権を担っていますから。そして主権的男性は、自分に楯突く女性を恐ろしい女性として排斥したわけです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る