リリスはホモ・サケルである

 ようやく論法の一段階に入る準備が整いました。

 まず「HEIDEGGER’S GOS:AN ECOFEMINIST PERSPECTIVE」の「Lilith and Agamben」からリリスがホモ・サケルであると的確に述べている箇所を引きます。


 In terms of the application of these ideas to Lilith, she is undoubtedly the homo sacer. Lilith is exiled, under ban, abandoned, and cast out. The sovereign masculine first establishes itself as the rule, as a sovereign power, by excluding Lilith, by excluding what she represents. But, as Agamben would stress, she is included in his exercise of power by being excluded. Having thus established Lilith as a state of exception, the sovereign masculine, from within this “zone of indistinction,” makes the further distinction between the two realms in which masculine sovereign power rules, the two realms included in his domain: the realm represented by Eve (nature / zoe) and the realm represented by Adam (culture / bios). The masculine is to Lilith as the sovereign is to homo sacer. And while Adam represents in embodied form, the masculine itself, it is the ultimate masculine, God, who is behind it all, the supreme sovereign masculine.¹⁵


((それらのアイデアをリリスに応用することに関して、疑いようもなく彼女はホモ・サケルである。リリスは、追放され、禁止され、 放棄され、そして追い出された。主権的男性はリリスを除外することによって、彼女が表現するものを除外することによって、規則として、主権権力として、まず初めに自分自身を設立するのである。しかしアガンベンが強調するように、彼女は締め出されることによって彼の権力の使用の内に含まれる。リリスをこのように例外状態として設立させることで主権的男性は、この「区別のつかない域」の内部から、彼の領地における二つの領域――つまり、イブ(自然/ゾーエ)によって象徴される領域と、そしてアダム(文化/ビオス)によって象徴される領域――を含んだ男性的主権権力の規範の内部におけるその二つの領域をそのうえさらに区別させる。男性はリリスに対している。主権者がホモ・サケルに対しているように。そしてアダムが具体化された男性自身の形式を象徴している限り、それは究極な男性、神、そのすべての裏に隠れている、もっとも高い主権的男性である。))


 振り返ります。リリスは追放され、禁止され、放棄され、追い出される、とは、創世記の出来事を指しています。そして追い出したのはアダムとされています「ベン・シラのアルファベット」。

 こうしてアダムは女性に対して権力を持つことができます。自分から生まれたイブ(或いは妻としてのイシャー)を自分の支配下に置くことができたわけです。そしてイブに自然(出産、育児)などをゆだね、アダムは文化(社会、政治)を担うこととなりました。この二つの領域の出来上がりと分裂は、リリスの追放が原初的迫害の記憶となって、忘れられるものとして、考えられることができます。


 リリスを迫害した結果、アダムはイブという自然(ゾーエ)の女を近場に置き、自分は社会(ビオス)の男を担うことにして、その二項の外には二人を結びつける「神」の存在を規定して、おしまいとしたのです。結婚のときに誓う「神」のように。

 しかし私たちが事象の発端に目を瞑ることをよしとしない審美眼の持ち主なら、この規定された「神」は、存在しないと鑑定することができるでしょう。リリスと同じように、ビオスともゾーエともつかないところで存在もしないでいるのです。それにより主権を振るうこともできます。時にアダムがその位置を変わって主権を握ることもあります。イブがその位置になることはまずないです。

 その二つを結びつけている「神」は主権的な男性の力の投影に過ぎないとはよく言われますが、クラクストンはもう少しその先を考えて述べています。


 God, it may be argued, is nothing more than the projection of sovereign masculine power onto a supposed transcendent reality. Of course, this ties in with ecofeminism’s concern regarding the rise of patriarchal religion and its rejection of immanent divinity in favor of a merely transcendent divinity understood as masculine. However, because there is a need for and the necessity of a woman, of the feminine, the realm of zoe is established and the aspect of the feminine as represented by Eve is consigned thereto. ¹⁶


( 神とは、超越的な現実と仮定される方への主権的な男性の力の投影に過ぎないものだ、と主張されるかもしれない。もちろん、これは家長的宗教の発生と、また男性的として理解される単なる超越的な神性を支持する内在的神性のその排除に関わるエコフェミニズムの懸念に結びついている。しかしながら、女性による女の必然性と必要があるため、ゾーエの領域は設立され、そしてイブによって象徴される女性の面が、そこに委ねられる。)


 女性はどうしても社会に必要な存在とされます。次世代を出産し、社会を維持しなければならない。ですので、社会にはゾーエという領域が生まれ、イブがそれを担うようになったとしています。これはとても合理的な考えだとクラクストンは批判します。


 Keeping in mind the ways in which sovereign power is established in terms of the structural necessities, I think it appropriate here to call to mind the concepts of value dualisms. Such dualisms, it seems, are likely dependent upon some third thing that has been rendered a state of exception, abandoned, and thereby make possible the very distinction between the two parts of the created duality or binary. In considering the value dualism of the rational / irrational, I see the rational ( identified with that aspect of the feminine as represented by Eve ) as the two sovereign realms founded by means of excluding what I will call the non-rational (identified with that aspect of the feminine as represented by Lilith ).¹⁷


((主権権力は構造の必要性の点から設立されたという方法を覚えておきつつ、私は二元性の価値の概念に思い当たることが適切だと考える。そのような二元性は、放棄され、例外状態にされて、それによって二つ、または二重に作られた二つの部分をうまく区別することを可能にさせる、ある第三のものに左右されているように思える。合理性/不合理性の価値の二元性を考えるに、私は二つの主権的領域として合理性(イブにより象徴される女性性の面として定義される)は、私が非‐合理性(リリスによって象徴される女性性の面として定義される)と呼ぶそれを除いたことによって基礎づけられたのだと思われる。))


 アダムとイブの二元性を理解しやすいのは、不合理を除いた結果だからと考えることができます。つまりこの合理的な考えには、不合理なものを除外したことによって、成り立ったということです。そして非‐合理な存在とは、男性的主権権力の投影による「神」ではなく、リリスのことです。社会に参加しかねない女としてのリリスを放棄させたことで、社会に参加しない分を弁える合理的なイブがアダムの元に下ったということです。ひとまず合理的理性が私たちを許してくれるのなら、その範疇から離れえた私たちはようやく非合理な存在としてのリリスを垣間見ることができてきたのではないでしょうか?


 Lilith, in all her non-rationality, is wild sexuality, untamed, like nature itself, unpredictable, and therefore threatening. The aspect of the feminine represented by Lilith is, in its essence, and has been described as, beyond comprehension or subordination to reason. Such is the very essence of the affects of desire and lust. They defy reason, do not submit to it, and as such, they are attributed to Lilith. This, it may be argued, is precisely why she is perceived as so dangerous. Thus, the masculine establishes itself as sovereign in relation to the feminine as represented by Eve by abandoning, casting out, and rendering as a state of exception that Lilith, as an aspect of the feminine, is more correctly understood as actually representative not of woman alone, but of that aspect of embodied human existence that is non-rational human sexuality. The masculine seeks not only to distance itself from nature without, but from nature within.¹⁸


( リリスは、彼女の非‐合理性のすべてにおいて、野蛮な性欲で、自然そのもので、それ自身が自然のようで、予測できず、したがって脅迫的である。リリスによって象徴される女性の面は、その本質において、理解あるいは理性への従属を超えたものとして記述されてきた。これが、欲望と色情による影響の本質にほかならない。彼女らは理性に反抗し服従せず、そのため彼女らはリリスに起因させられる。これが――議論されるかもしれないが、すなわち彼女がとても危険であると理解されるわけである。したがって放棄され、追放され、そして女性の面によるリリスという例外状態として表現されることによって、またはイブによって、象徴される女性との関係性の中で、自身を主権者として設立する男性は、女個人のではなく、非‐合理的な人間の性が具体化された人間の存在の面である実際的な象徴としてもっとも正確に理解される。男性は自身を自然の外だけではなく、自然の内からも遠ざかるよう努める。)


 こうしてリリスは、野蛮なもの、非合理な女、男に従属しない女、として社会から爪弾きにされます。爪弾きにされ、妻弾きにされます。そして男はよりよく、その危険な女の側面をイブに不可させないよう、ゾーエという場を与えイブを支配します。しかしそうすると、アダムはゾーエ、自然から離れてしまいます。それは自身の自然からも。環境に目を向けない男というのは、自分の環境、肉体、にも気を使わない男です。妻が、夫の体調を管理するというわけのわからない依存構造もこうして説明できます。


 そしてこの二人の関係は、「神」によって結びついたものではなく、「リリス」によって結びついているものだとクラクストンは言っています。


Eve, like zoe, represents reproductive or biological life, that which is necessary to the continuation of the species. Eve represents the realm of “nature,” the irrational aspect of life of the species whose purpose and place is to be distinguished from, but nonetheless made subject to Adam, Adam being he who represents and exemplifies bios or life in the polis or the realm of “culture,” that is, rational life with a telos more fitting his superior nature and power. Lilith, in being abandoned and rendered a state of exception, acts as the hinge from which each of the other two is articulated via the rule of sovereign masculine power.¹⁹


(イブは、ゾーエのように、種の存続のために必要なところの生物学的または生殖に関わる生命を象徴する。イブはそれが際立たされるようになる場所と目的であるところの種の生命の不合理な面である「自然」の領域を象徴するが、それにもかかわらず、アダムの支配下にされた。アダムは「文化」の領域や国家における生やビオスを――すなわち、彼の上位の自然と力にもっとも適したテロスによる合理的な生活を示し、象徴するものである。リリスは例外状態にされ放棄されている最中に、主権者の男性的力による役割を経て結ばされる互いの他の二つの蝶番として働く。)


 リリスという存在がいなくなったがゆえに、(例外扱いされているがゆえに)、アダムはその強引な力でイブと結びついているということです。容易に理解できることかと思います。そしてリリスを迫害したのが、アダムであるので、アダムはその迫害したときの記憶でもって、男性的主権権力を振るい続けています。


 The analogy between homo sacer and Lilith in terms of their role as hinge is a very fruitful one, I believe. Just as homo sacer is the hinge that joins domus and polis, zoe and bios, nature and state, divine and juridical, so is Lilith the hinge that joins Adam and Eve, sacred and profane, good and evil, that which is made by and in the image of God and that which is made by man. Lilith is the “zone of indistincution” from which these distinction are possible and in which they are joinded.²⁰


(ホモ・サケルとリリスの彼らの 蝶番としての役割から見るアナロジーは、私が信じるとても有益なものの一つである。ちょうど、ホモ・サケルが、家庭ドムス都市国家ポリスを、自然と国家を、神性と司法性を接合する蝶番であるように、リリスもまた、アダムとイブを、神聖と瀆神を、善と悪を接合する蝶番であり、それは神のイメージによって作られたところのものであり、また人によって作られたところのものである。リリスは区別可能であるこれらと、彼らが接合されているその中に基づいて「区別がつかない域」である。)


 アダムとイブの二元論に、第三の道が切り開かれています。それは、アダム/イブ。と分けるその境界そのものに目を向けたとき、区別がつかない域のことです。


 Just as Agamben tell us that “The foundation is thus not an event achieved once and for all but is continually operative in the civil state in the form of sovereigin decision, “ so do we see the way in which the tensions, generated in the positing of there three distinct realms of Lilith, Adam, and Eve, with Adam in the role of the civil state, continually make themselves felt in terms of the sovereign decision that perpetuates and reinforces these distinctions, as evidenced not only by the contents of any number of the sources cited in the second section of this chapter but by a host of contemporary realities that concern feminists and ecofeminists alike, such as unequal pay for equal work for women, the pornography industry, sex trafficking, prostitution, lake of maternity leave for working mothers, continued denial of reproductive freedom for woman, rapeculture, slut-shaming, repe-vicim blaming, domestic violence, and various other afflictions, some far more horrifying than the ones faced by women in the more affluent countries, such as female-genital mutilation and pubic stoning. The seemingly incessant drive within our culture to always ultimately fault the feminine/ victim / woman for any and all acts deemed to be of an abhorrent, violent, criminal, aberrant, or otherwise sexual nature is built into this paradigm.²¹


((「その基礎は、かつて成し遂げられた出来事ではあるけれども、それではなく、主権の決定の形式において市民国家に継続的に働いている」とアガンベンが私たちに伝えるとおりに、私たちはこれら(リリス、アダム、そしてイブ)の区別を補強し、永続する主権の決定の点から彼ら自身を継続的に堪えさせるアダムの市民国家の役割に、それら三つのはっきりした領域を仮定することによる発生した緊張の方法を見るのである。それはたとえば、この章の第二節で例証されるいくつかの根拠の内容によってだけではなく、フェミニストとエコフェミニストに関わる多くの現代の実情――女性のための平等な仕事における不平等な賃金、ポルノ産業、性的人身売買、売春、働く母親のための産休の置き去り、女性の生殖の自由の継続的な否定、レイプ文化、スラット・シェイミング、強姦被害者の非難、家庭内暴力、またその他の様々な苦労、裕福な国のある女性が直面する以上のはるかにおぞましいもの、女性器切除や石打ち刑などによって明示される。忌々しい、暴力性、犯罪性、異常性かつその他の性的本質であると見なされるどんなにまたはすべての行為も最後にはいつも、女性/被害者/女を非難するために、私たちの文化内での表面的に絶え間ないドライブは、このパラダイムの中に組み立てられている。))


 このパラダイム。リリス、アダム、イブの三つの領域は、アダム/イブの二項対立となって普段は目にすることになり、人目にはなかなかリリスが見えなかったりします。がしかしリリスは、「/」に潜んでいます。次元の裂け目からの声に、アダムたちは耳を貸しません。そしてそれが目にされたとき、大抵、男たちは主権的行為におよびます。上記されている、女性に対する暴力や、被害者ぶるなという言葉の暴力や、男を誘惑した女が悪いというような売春行為を正当化させるような言動やらに繋がります。そして最後には「ぜんぶ女が悪い」と締められます。それは社会構造がそうさせているわけです。それは社会構造が悪いというのでもなく、社会構造を悪くしないよう不合理なものを社会から弾き出したために、不合理なものが悪いと言っているわけです。そしてこの不合理なものの象徴が、女の不合理な面とされているのです。それが男の不合理な面ではなく女の非合理な面であった理由を、繰り返して申す必要はもうないでしょう。

 このとき、間違いなく男性は主権的アダムとしての身振りをしていて、女性はホモ・サケル的リリスとして、虐げられています。

 アガンベンを引用します。


 法的秩序の一方の極にある主権者とは、彼に対してはすべての人間が潜勢的にホモ・サケルであるような者であり、他方の極にあるホモ・サケルは、彼に対してはすべての人間が主権者として振る舞うような者である。²²


 イブ(ゾーエ)ではない、アダム(ビオス)でもない、リリス(ホモ・サケル)が権利を主張したとき、アダム(主権者)との衝突が起こります。そしてそれは社会が絶えず動き続けている限り、絶えずアダムの権力は行使され続けています。ここに至って、私たちはリリスがホモ・サケルとして明るみになっていることを、知ることになったと思います。


 If it be conceded that erotic perception, desire, lust, and sensual longing are inescapable human realities, then the ways in which these three realms, represented by Lilith, Adam, and Eve once distinguished as such, will interact will indeed be a continual and constant laying and maintenance of this foundation.

 Agamben tell us that the “sovereign decision” in the state always refers to the bare life of the citizens; that is, in each sovereign decision, it is asserted either implicitly or explicitly that each citizen is a potential homo sacer. In other words, in each sovereign decision there is a threat. Likewise, there is in the operation of the sovereign masculine, as represented by Adam in his sovereign power to make decisions, the continually reestablished fact that each woman, as an instantiation of the feminine, is a potential Lilith. As Agamben points out this is the originary political element, and it is neither zoe nor bios. It is bare life; It is the homo sacer. It is neither Eve nor Adam. It is Lilith.²³


(もしエロティックな認識、欲望、肉欲、官能的な切望が避けられない人間の現実であるということを認められるのならば、そのとき、かつてはっきりと区別されていたのでリリス、アダム、そしてイブと象徴されるそれら三つの領域が互いに影響し合うだろう具合は、この基礎の維持と継続的で不断の布設になるだろう。

 アガンベンは国家における「主権者の決定」はいつも市民の剥き出しの生に言及していると私たちに伝える。つまり、それは各主権者の決定において、各市民が潜在的なホモ・サケルであるということを明示的あるいは暗黙に主張されている。言い替えれば、各主権者の決定には脅迫がある。同じように、決断を下す彼の主権権力におけるアダムによって象徴される主権的男性の運営において、女性の実体化としての各女が、潜在的なリリスであるという継続的に再建される事実がある。アガンベンが指摘するように、これは政治的要素の源となるものである。そしてそれはゾーエでもなければビオスでもない。それは剥き出しの生である。それはホモ・サケルである。それはイブでもアダムでもない。それはリリスである。)


 こうして私たちは、ホモ・サケルはリリスだと認めることができたと思います。


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