春風ひとつ、想いを揺らして◇◇◇文芸部

八重垣ケイシ

春風ひとつ、想いを揺らして


 男は一人、薄暗い道場の中で修練に励む。木人――人に見立てた木製の柱に、間断無く掌底、蹴撃、拳と打ち込む。一撃、一撃と重い打撃にしっかりと固定されている木人が揺れる。

 どれ程の時間を費やしていたのか、足元には汗で小さな水溜まりができている。


 裸の上半身から薄く湯気が登り、長い武術の修練の果てについた筋肉はたくましくしなやか。肩が沈み、なで肩に見えるのも、雨林蟷螂拳に身を捧げた男、ホアンのこれまでの修練が作り上げた肉体。


「ふう、」


 最後にひとつ、木人に鋭い蹴撃を当て、ようやく動きを止めるホアン


「まだ、やってたの?」


 道場の入り口に背を預ける女の言葉にホアンは振り向く。その女は気怠そうに続ける。


ホアン、アンタに武の才はさして無いんじゃない?」

「勝手に決めるな」

「去年も一昨年も、初回の相手が悪かったとはいえ二年連続一回戦敗退でさ」

「……」


 黄は口を閉じる。昔からこの女に口で勝てた試しは無い。その上、去年の武闘会で負けたのは、この女が差し入れした肉まんで腹を壊し、試合で全力が出せなかったからだ。


 ――今年は、試合前に差し入れには口をつけん――


 ホアンは女から目を外す。


「修練の邪魔なんだがな」

「ま、やりたいだけやってみたら?」


 ――いつも苛つかせてくれる女だ――


 立ち去る女を一瞥し、ホアンは修練を再開する。

 

 ――今年こそは、あいつに勝つ――


 女の名は春風シュンプー。景始虎拳の使い手にして大武闘大会二年連続の優勝者。

 そして、ホアンが幼い頃から一度も勝てたことが無い幼馴染みでもあった。

 

 ホアン自身、どうしてここまで春風シュンプーに勝つことに拘るのか、本人はまだ自身の胸の内に気がついていない。

 鋭い蹴撃が風を切る音が道場の中に響く。撃たれた木人が揺れて震える。

 大武闘大会の開催日は近づいている。


◇◇◇◇◇


 ――これ、どうしましょう?


 文芸部の先輩はその顔に動揺が出ないように気をつける。

 文芸部の部室で、新入部員の持ってきた小説に目を通したところ。先輩の前には、この問題の小説を持ってきた新入部員がいる。

 可愛らしい女子生徒だが、今は自分の書いた小説を先輩に見てもらい、感想を待っている。まるで、ご主人に待て、と言われた小型犬のように。ハッハッという息づかいが幻覚として見えそうな程に。先輩が小説を読んでなんと言うか、心待ちにしている。


 文芸部の先輩は新入部員の持ってきた小説にもう一度目を通す。心の中で頭を抱える。


(文芸部に入ろうって人が少ない中、めっちゃやる気出して入部してくれたのはありがたいのだけど。いつもの後輩君に出してるお題を見て、あたしもやってみます、と言ったからやってもらったけど。

 私の出したお題は『春風ひとつ、想いを揺らして』のハズ。えぇと、春風が名前で、揺れた想いがサンドバッグのような木人の揺れで表現されているのよね? 春風に誘われて、過去の思い出に揺れる物語、じゃなくて、春風シュンプーが人名でチャンピオンで武闘大会というアクション物が出てくるとは思わなかったわ)


 なんと言おうかと悩む先輩の気も知らぬように、新入部員の女子は前のめりで。


「先輩、どうですか?」

「え? えぇと、そうね。アクション巨編のオープニングのようね」

「え?」


 新入部員の女子は目をパチクリさせる。


「先輩、これは幼馴染み二人のラブロマンスです」

「ええ!?」


 文芸部の部室の窓から、風に乗って桜の花弁が一枚、二人の間を通り過ぎて行った。 

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春風ひとつ、想いを揺らして◇◇◇文芸部 八重垣ケイシ @NOMAR

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