第12話 死ぬまで
ベイクとミーガンは一息入れていたが、夕方ただならぬ気圧の変化と、近寄ってくる禍々しい殺気で理解した。旅籠で茶を飲むのを止め、準備に取り掛かる。
あの邪悪なる司教アッチェラが帰って来たのだ。村の犬が吠える。風が腐敗臭を乗せて強く村を吹き付けた。自然の全てが彼を嫌悪し、そっぽ向いていた。
村の中には入れられない。外で出迎え無ければなるまい。2人は大急ぎで武装して、橋桁を掛けて外に出た。
村人たちは何事も気づかず、昼の惨事について小声で話をしたり、半壊した教会の残骸を片付けたりしていた。
2人が村の側の原っぱで待機していると、遠くから野鳥が泣き叫びながら飛び立ち、森を走る道路の周囲の木が枯れていくのが見えた。人が歩くスピードで、急激に枯れていっているのだ。
その真ん中には、道を闊歩して来る人影。いや、人影では無いかも知れない。怒りに震えながら、草木や地面を汚染しながら、もはや人に化ける事をやめた魍魎が、口から悪しき息を吐き出しながら、全裸で歩いて来る。司教服も、格式高い帽子も、希少価値の高い木で作られた尺も、何もかも脱ぎ捨て、嘘をついていない姿。
あの配偶者と同じく人型ではあるが、身体中鱗に覆われていて、エメラルドグリーンに艶がある。目は魚みたいに丸く瞬きはしない。唇も歯も魚に近かった。頭は丸く身体中は幼児体型の様に腹が膨らんでいる。手足は細く、特に指は不気味に甚だしく細い。足元の雑草が枯れている。本来どこに生息しているのか、見当がつかない化け物だ。
人型の時は高い声が不釣り合いだったが、今の姿だと一致した。
「お前ら、許さんぞ」
「許さんのはこっちだ。寝言うな」ミーガンは草刈り鎌を握った。
「その姿で現れるということは、敗れかぶれになったな」
「村ごと消し去ってやる」緑の魚人はこちらに歩いて来た。
「その前に教えろ。あの毒は何処に売る気だった?買い手が居るのか?」ベイクも身構える。
「寝ぼけているのはお前らだ。俺があれで天下を取るつもりだったんだよ」鱗男は駆けてきた。
早かった。メスとは比べ物にならなかった。
ベイクは肘を曲げ、石のナイフを出して、鱗男に投げた。ナイフを避けようともしないが、3本投げてかすり傷1つ付かない。
鱗に覆われた肘がベイクの腹部に食い込んだ。背後に下がり、力を入れて受けたが凄い力だった。ベイクは腕を巻き込んで頭を抱え、首をへし折ろうとした。だが皮膚も硬く、首輪の力も強いため、びくともしない。首を腕に巻いたまま宙ぶらりんになってしまった。
鱗男に両手で首に巻いた腕を掴まれる。
ぐりりり と体内に硬いものが砕ける音が伝わる。二の腕が、化け物の腕力だけでひび割れた。
頭をつん裂く激痛が走り、ベイクは鱗男の足元に倒れた。
緑色の足はベイクを蹴るために振り上げられた。後ろからミーガンは、普通の人間なら真っ二つになろうかという勢いで、草刈り鎌を胴体に叩きつけたが、木の柄が折れて、勢いよく刃先が飛んで行ってしまった。
そのままベイクは肋骨の辺りを蹴り上げられ、2本折れた。
地面のベイクを無視して、アッチェラはミーガンに振り向いた。大きな眼球がはみ出た目に、折れた柄を突き立てようとしたが、相手の拳の方が早く顔面に届き、ミーガンの鼻と、前歯が一本折れた。しかし、血が吹き出すのを物ともせず、背中から出したナタを左手一杯振り上げ、相手の右太腿に叩きつけた。すると、鱗が割れ、中から白い体液が滴った。
中身が柔らかい甲虫みたいな体だ、とミーガンは思った。
アッチェラは軽く悲鳴を上げた。
空かさず、足にナタが刺さったまま、長い鋭利な指を振り下ろし、ミーガンの頸動脈を切り裂いた。
鮮血が目に入り、ベイクは何事か見えなかった。まだ地面に脇を付けたままだった。アッチェラの足の間から、赤く染まる、目を開けたまま事切れるミーガンが見えた。
ベイクは百戦錬磨だと、自分では思っていたが、ショックで凍りついた。悲しみが怒りに変わらない。泣きそうで、体に力が入らなかった。
アッチェラがこちらを振り向き、見下ろす。
「即死させてしまった。畜生。お前は即死させんぞ」
殺さなければ殺さなければと思ったが、死んでもいい気持ちになって、どうでも良くなって立てなかった。
「な なんだ貴様は」アッチェラが何かに叫んでいる。ベイクは見向きしなかった。ミーガンの鮮血に塗れて、地面に横たわっていた。
「そんな...貴様」
ベイクは動かない。
(絶望しては参りません)
ベイクは焦げ臭い匂いを感じた。
(強く生きねばなりません。死ぬまでは)
アッチェラを見上げた。白い炎を纏い、燃えている。苦しむ事も無く、苦痛を感じる素振りも無く、死を、裁きを受け入れるようにただ燃えていた。
ベイクが地面から見渡す。
逆さまに、ホーリードラゴンとその子が見えた。子はあの助けた子。子はもう1人の親を連れてきたのだ。
(遅れました。彼は残念でした)
聖獣は近寄ってくる。
(この子をありがとう。夫も、この子も何処に行ったのか分からなかったのです)
ベイクは膝をついて座り直した。
「ミーガンは、彼は」
(主の元へ向かいます。私の夫と同じ場所へ)
ベイクは痛みなど感じず、涙を流した。嘶くと少し痛い。
アッチェラは消し炭になろうとしていた。
(彼は妻を、子を、村を守りました。夫も。私も使命を果たして果てましょう。貴方も果たしてから果てなさい。ありがとう)
聖竜の親子は飛び去った。村人の騒つく気配が背後からする。ベイクはミーガンを抱え、力一杯走った。森を。山の斜面を。走って走って、探した。彼の場所を探し回った。
綺麗な泉で彼と自分を清め、村の妻と子供を見渡せる丘に辿り着いた。
もっと、もっと早く助けてくれたらと、聖竜に思ったりもした。でも違った。自分なのだ。
無念で、無念で涙が止まらなかった。
幸福の村 〜ギュスタヴ・サーガ〜 山野陽平 @youhei5962
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