第2話 アッチェラ

 ベイクは相変わらず修道士から貰い受けた白装束を、綺麗に洗濯しながら愛着していたが、髭と髪を剃らなくなった。髪はいつも坊主より少し長いくらい。理由があった。別に賽銭を貰うことや一晩の宿を寄付してもらうためじゃなく、何となく人が避けてくれるのだ。彼は余り人が寄って来るのが好きでない。本当の僧侶だと思われると、気さくに色んな人が寄って来る。おばあちゃんはありがたがるし、商店街を歩くと余りに皆が物をくれ過ぎるのだ。

 罪悪感もあった。


 ベイクは村が見えた。夕暮れ時なので今晩はそちらにお邪魔する事にした。


 そこは盆地にポツンとある村なのだが、村というには何というか高価な住宅の集まりだった。路地はレンガで綺麗に舗装されているし、家の1つ1つが裕福そうだ。ちょっとした商店もあり、物々交換で成り立っている農村とは一線を画している。周りに川があり、人の背より少し高い外壁、入り口付近には衛兵も立っていて、小さな自治都市の様だった。

 村を守る川に渡された橋桁を渡り、村に入ろうとした瞬間、2人居る衛兵の1人が歩いて近寄って来た。


 「なに用だ?あんた僧侶か?」この衛兵、身なりはしっかりしているが、訓練された戦士では無かった。


 「いんや、こんな服を着ているが僧侶では無い」


衛兵がベイクの髭面とざんぎり頭を見る。


 「確かにな...このガザレに何の用だ?」


「一晩宿を求めてな。旅籠はあるかね?」


「あるにはあるが。アッチェラ様に旅の商人は村に入れないように仰せつかっている。あんた違うな?」


「違う。荷物がないだろう?」ベイクは生活用品が入ったバックパックしか持っていなかった。


 「まあ、良かろう。変な真似はするなよ。後で酷い目にあうぞ」守衛は通してくれた。


ただの村にしては随分警戒しているな、とベイクは率直に思った。何か、きな臭い匂いがしてきた。

 

 通りにはちらほら人が見える。子供連れの母親、花屋の前で立ち話する女性達、仕事帰りの中年男性。目を引くのは連なる家の綺麗さと村人の身なりの良さだ。こんな僻地の盆地にある村とは思えない。何か村全体を潤す産業があるのかなと、ベイクは思い、後で旅籠で訊いてみようと思った。


 夕陽で白い壁や瓦造りの屋根が赤く染まる通りを歩いていると、この集落は他とは違う雰囲気を醸し出していた。何というか、人々の表情に妙に違和感を感じる。それが何なのか、ベイクには分からなかった。すれ違う人々は皆ベイクの事を見向きもしない。怒っている人も居ないし、笑っている人も居ない。暗いわけでも明るいわけでもない。


 穏やかな無表情。


 まるで人形の町にでも来たかの様だった。


 旅籠の店主は衛兵とは違い、あっさりと部屋を貸してくれた。受付も部屋も調度品が真新しく綺麗で、店主は髭だらけの旅人を歓迎もしなかったし、嫌がりもしない。


 「前金で半分頂きます」無機質にそう言った。値段は普通なので、この綺麗さで言えば安い方だ。市街の宿くらいの設備はある。

 ベッドに身体を投げ出すと、もう1つ気づいた事がある。なんともこの村は静かなのだ。生活の音がしない。


 二階の部屋の窓から静かな往路を見下ろす。やはり静か。


 あれはなんだろう。村で1番大きな通りであろう道の突き当たりに大きく立派な建物が見える。やはり白塗りで大きな両開きの扉、2階部分はステンドグラスが等間隔で調度されており、何とも煌びやかで荘厳だ。恐らく村の教会なのだが、村の規模とひどく不釣り合いで、尖った屋根に頂く飾りが、何を象徴しているのか分からないが、何というかグロテスクだった。

 

 夕飯は久しぶりにパンと肉にありつけた。葡萄酒も出てきたが、給仕の老婆は世間話の1つもしない。始終薄ら笑いを浮かべて淡々と馳走してくれた。


 食べ終わるか終わらない頃に大きな鐘が鳴る。


 「あれは?」


「礼拝の時間だね」老婆は部屋から出て行こうとした。「あんたも拝むがいいよ。有難い物が見れる」


「何があるんだ?」


「来るがいいさ。アッチェラ様は外から来たものも迎えてくれる」


 またアッチェラ様か。誰だろう。あの聖堂の司教か何かだろうか。

 

促されるままに支度をしていくつも松明が揺らめく往路に出た。家族や老夫婦が先を急いでいる。皆聖堂に向かっているらしい。人集りが増えるにつれ、旅籠の主人と老婆ともはぐれた。ベイクは民衆の赴くままに煌煌と煌めく礼拝堂に入っていく。


 沢山の金の蝋燭が大きな聖堂を照らし、色とりどりのステンドグラスをが反射して、室内がオレンジに染まっていた。中は村の人間全てが入れそうなくらい広く、沢山の椅子があった。

 教台は階段式に人の背ほども迫り上がっていて、細工の細かいテーブルや聖水の入った瓶等が並び、その背後にはまた高く、村の象徴が安置されていた。


 竜の首。こちらを真正面から目を見開いていて、真っ赤な目をした白色のドラゴン。恐らく物理的か、術によって防腐処理された本物の竜の生首だった。後ろの方に座ったベイクにもはっきり見える大きさ。


 ベイクは身震いした。なんて事だ、と思った。


 ドラゴンは聖獣だ。白い竜は神の化身。戦いに身を置く者でなくてもそれくらいは通説のはず。生きたドラゴンを見る事も稀なのに、こんな所にホワイトドラゴンが。


 「あれは邪竜の首なんだと」後ろで男が呟いた。


 ベイクは振り返らなかった。自分に話しかけたかどうか分からなかったからだ。すると、ゆっくりと司祭が出てきた。裾からゆっくりと壇上に上がる。


 背の高い帽子に白いローブを纏った司祭。首から上に毛らしきものは無く、顔に歳の割に皺が無いので年齢がいまいち分からない。やはり薄ら笑いを浮かべていたが、百戦錬磨のベイクには、彼が人間の顔をした人間で無い者の様な気がした。なんとなく。


 「あれがアッチェラだ。邪竜を退治した村の英雄さ」ベイクは自分に話しかけている事を確信した。ただ、周りに人が居たので反応しなかった。彼がそのアッチェラに敬称を付けなかった事からも、またその口調からも、あまり良く思っていない事が分かった。


 「皆様、今日も穏やかに、幸福に過ごされましたかな。良い1日だったでしょうか。さあ、今夜も我が主に感謝を捧げて祈りましょう」司祭アッチェラが低い声で民衆を促すと、全員座ったまま頭を垂れて黙祷した。


 その後1人ずつ壇上の下に並び、司祭と竜の首に祈りを捧げる。ベイクは司祭の方を見ずに済ました。


 ホワイトドラゴンが邪竜?


 ベイクは考えながら礼拝堂を人集りに紛れながら出ていると、先ほどの男の子の声がまたした。


 「あんたあの竜の首に反応したな。この村の者でないだろう?」


ベイクが振り向くと、自分と同い年くらいの青年が立っていた。背丈が一緒くらい、短髪で無精髭を生やして日焼けしていた。


 その時だった。ミーガンに出会ったのは。

 

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