オリンピア2世
くれない
第1話 オリンピア2世
まったく嫌になる。
競技場のやり投げピットでため息をはいた。
ウォーミングアップをすませ、スパイクに履き替える前にスマホを確認していると、
2日前の代表選考会での記事が載っていた。
あれだけのカメラマンが写真を撮り。
複数の報道陣がインタビューをしていたのにも関わらずフタを開ければ……
オリンピア2世‼
陸上競技やり投げ代表に内定‼
と新聞に載っている。
何だよオリンピア2世って、名前を載せろよ。俺は外国の貴族か!
俺の名前は尾林 健人、
去年から続く代表選考会で名だたるライバル達をおさえて、見事代表の座を手に入れたのに、俺に付きまとうのはいつもオリンピア2世という言葉だ。それもこれも全ての原因は偉大なる俺の親父、尾林 力のせいである。
力と書いてりきと読むのと思いきや、そのままちからと読むのだから祖父も大胆な名前をつけたものだ。しかし親父はその名前に負けず劣らずの男に成長をした。
俺と同じやり投げ選手で、今から20年前の日本代表。しかも、金メダルを取ったゴールドメダリストだ。当時、陸上のフィールド種目は海外の選手に遅れをとっていると言われていて、誰も親父が金メダルをとるとは思っていなかった。だが、その予想を覆すように予選から自己ベストを連発し、決勝では当時の日本記録を大幅に更新をして見事金メダルを獲得した。
その姿を見て当時のテレビの実況をしていたアナウンサーが、
「尾林(おばやし)の名前はオリンとも読むことができる。まさにオリンピックに愛された男、オリンピアです。」
と大層な名前をつけてしまったのでそれが日本中に広がった。
鞄にスマホを置き、スパイクに履き替え、軽くそこでジャンプをする。なんだか身体のキレがいい。うん、今日は絶好調のようだ。
軽く小走りをして、予め芝生の上に突きさしておいたやりを取りに行く。
梅雨時期なので夜に少し雨が降ったのか、芝生の上は少し濡れている。それが眩しく輝く太陽が雨水を蒸気にして、新緑の匂いを一層強めた。この匂いを嗅ぐともう夏もそこまできているのだなと感じる。
やりを手に取り、肩回りのストレッチをしながらピットに戻る。ピットに戻るとさらにトラックのレーンまで下がり助走の距離をとった。
よく競技を知らない奴らは、
「どうしてあれだけ助走距離がいるの?」
と聞いてくる。
やりの長さは2メートル以上ある。
これだけ長い棒状の物を人間の力で遠くに飛ばそうと思ったら、そりゃ助走距離がないと飛ばすことなんて到底できない。
世界の猛者どもは、このやりを90メートル地点まで投げることができるが、
今の日本ではそこまで投げることができるやつはいない。俺でも80メートルを投げるのが精一杯だ。でも昔はこのやりが90メートルを飛んでいく光景をよく見ていた。
幼い頃、親父が競技場で練習をしているとき母とよく弁当を持って見に行っていた。
競技場の観客席に座り、ゴールドメダリストの投擲を間近で見物する。なんて豪勢な話だと思うが昔はなんとも思ってもなかった。
やり投げピットに立った親父は、ゆらりとスタートを切りそこからグングンスピードを上げ、高速でピットを走り抜ける。そこから流れるように投擲フォームに入り、投げたと思った瞬間、やりは勢いよく天高く舞い、きれいな放物線を描き、サッカーのセンターラインを大きく超え、90メートルと書いたペグを少し超えてザクっと突き刺さる。
そしていつも90メートルを超えると親父は右手を握りしめて胸をポンポンと2回叩き拳を上げる。
「あれはなんの仕草?」そう母に聞くと、
「あれはね、自分を褒めてるのよ。よく投げた。いい投擲だった。って」
「ふーん。」
昔はそれがすごいかどうかなんてよく分かっていなかったが、今になって親父はやはり化け物だったんだなと感じる。
俺なんか練習でも90メートルを投げたことはない。さすがにオリンピアという異名は伊達ではない。
1投目はウォーミングアップで軽く投げた。やりは軽快に60メートル前のペグに刺さった。先ほどの投げで意識したことを思い出しながらやりを取りにいく。
やりを引き抜き戻って、2投目は80パーセントくらいの力で投げる。
先ほどより勢いよくやりは飛んでいき、70メートル手前のペグで突き刺さった。
あれで70メートル……
やはり今日は調子がいいみたいだ。
投げたやりを引き抜き、立ち止まって80メートルのペグの先を見た。
少し考えいったん戻り、手にはメジャーと90メートルのペグを持ってきた。
いつもは飛ばないと思って90メートルのペグは刺すことはないのだが、
今日はなんだかいけるようなそんな気がする。
2日前のインタビューで、
「もし、お父様が生きていたらなんて言われたと思いますか?」の質問に、
「分かりませんが、多分、まだまだだな。っていうんじゃないですか。」
そのように返答をした。
あれは本音だ。実際に親父がなんていうかは本当にわからない。
親父は俺が中学に入学する3日前、車にひかれそうになった妹をかばって死んでしまった。俺が陸上をはじめたのも中学からなので、親父は俺が競技者になった事も同じやり投げをしていることすら知らない。
でもあえてそれでよかったかと思う。
今では俺も日本代表の選手だが、親父みたく昔から強かったわけではない。
高校時代は県4位が最高で、いつもプログラムの一番上に載っている県高校記録の親父の名前を見ては疎ましく思っていた。
大学時代からはやっと努力が実を結び、日本選手権ではベスト8に入れるようになったが、日本選手権10連覇を成し遂げた親父からして見れば大したことではない。
だから、まだまだだな。って言葉が一番しっくりとくる。
90メートルのところにペグを刺して、またピットに戻った。改めて90メートルのペグを見る。あんなに遠い。こんな距離投げれるのか?
そう思った瞬間、なぜだか親父の言葉を思い出した。
あれは4歳のとき、自転車になかなか乗れない俺に「健人、なぜ乗れないと思う?」と聞いてきた。
親父の言っている意味がわからず。
「わかんないよ。」
そう答えると親父はにっこり笑い。
「自分が乗れないと思ってるからだ。ほら自転車に乗れてる自分を想像してごらん。すべてはイメージからだぞ。」
それからすぐに乗れたかは覚えていないが、
日々、世界の大会に参加をしていた忙しい親父との唯一の記憶。今なんで思い出したんだろう。
俺は目をつぶり90メートルを投げれる自分をイメージした。高速でピットを駆け抜け、スムーズに投擲動作に入る。投げ出されたやりはきれいな放物線を描き……
いける。
そう思った瞬間、身体は勝手にスタートを切っていた。イメージ通りに高速でピットを駆け抜け、スムーズに投擲動作に移行していく。まるであの長いやりが自分の身体の一部のように感じる。
そのままのスピードを利用して
全力で投げた。
やりは勢いよく天高く舞った。
しかし、投げ出すのに集中し過ぎて、
フィニッシュの事を考えておらず、そのままダイナミックにコケてしまった。
「いてて……」
倒れながら急いでやりが飛んだ方角を見た。
でもここからではどれだけ飛んだかわからない。起き上がろうとしたとき、落ちたやりの近くに誰かが立っているのが見えた。
今日はまだ他の競技者の姿は見ていない。
誰だ?
ぼやけて見える人影はこっちを指さし、
右手を握りしめた。
そして胸をポンポンと2回叩き、
拳を上げた。
あのポーズは、
「お、親父!!」
急いで起き上がって再度確認をしたが、
もうそこには誰も立ってはいなかった。
さっきのはいったいなんだったんだ。あの仕草は確かに親父だ。
小さいときに何十回も見ているので見間違うはずがない。アドレナリンを分泌し過ぎて幻覚でも見たか。
でもあの幻覚は俺を指さしていたがいったい
なんだったのだろうか。
少し立ち尽くしいろんな事を考えたが、
ふっと我に返った。
そういえば記録は?
俺は急いでやりの近くまで走って行き記録を見た。
こ、これは……
2020年夏、
少し動いただけでも汗がでる。
身体を動かすには最適だが、脱水症状にならないように注意すべくこまめに水分を補給する。
前の選手が投げ終わった。
「85メートル72」
さすがに世界中から集まった選手、
只者ではない。
私は手に入念に滑り止めをつけ、
やり投げのピットに立った。
その瞬間、
「オリンピア2世!!」
「2世!!」
「2世頑張れ!!」
応援の声が次から次へと続き、約6万人の大声援になった。あまりもの声援にマイクで、
「しぃーーー」っと注意する始末。
その声にクスリと笑ってしまった。
もう名前で呼ばれることはいっさい無いが、今はこの異名が大変気に入っている。
ピットでいつものように目をつぶった。
最近ではもうルーティンの一つになってしまったようだ。
よし、イメージは完璧。
やりをゆっくり構え、はじめの一歩を踏み出し徐々にスピードを上げ、高速でピットを駆け抜ける。そこからスムーズに投擲フォームに入っていき全力で投げた。
やりは勢いよく天高く舞い、風をグングン切ってきれい放物線を描く。
それを見ている観客の歓声はどんどん大きくなり、やりが刺さった瞬間。
一際大きい歓声が競技場を包み込んだ。
俺は右手を握りしめて胸をポンポンと2回叩き、拳を上げた。
了
オリンピア2世 くれない @hidekoro
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