春風ひとつ、想いを揺らして

新巻へもん

大和は国のまほろば

「馬っ鹿じゃないの? こんなべちゃあとして締まりのないもんは葛餅ちゃうわ。ほんまもんを知らんのやねえ」

 いきなりの宣戦布告であった。東京東部の学問の神様がおわす神社の参道入り口にある老舗の隅の席で、マチルダさんは僕に挑戦的に眉を上げる。


 さすがに声は落としているので、お店の人には聞こえていないと思うが気が気じゃなかった。マチルダさんはスイッチが入ると怪しい関西弁になる。本人いわく、あちこち転居を繰り返すうちに言葉が混じったらしい。金髪でナイスバディのマチルダさんがポンポンと話す謎の言葉には妙な迫力があった。


「そうは言っても、ここのお店は結構有名なんだよ」

 僕が口をとがらせるとマチルダさんはフフンと鼻を鳴らした。思いっきり人を憐れむような表情をする。そして首を振り振り偉そうにのたまった。

「それじゃあ、本物の葛餅を御馳走しましょうか?」


「そんなことを言って、料理の能書き垂れるしかないボンクラ新聞記者のつもり?」

 精一杯の嫌味を込めて言ってみた。

「あんなハラスメント三昧の父を見て育ったのに自分も嫁さんに同じことするダメ男と一緒にするな」


 さすがは自称マッドサイエンティストである。色々と博識だ。僕が感心しているとマチルダさんはこともなげに言う。

「ほな、今週末に奈良までいきまひょか?」

「奈良? そんな遠くまで気軽にほいほい行けないよ」


「いいじゃない。どうせ、まだ次のメカは完成しないんだし。それにギリギリ桜も見ごろよ。奈良には何もないと馬鹿にしていたのを反省させてやるわ」

「たかがくず餅のために旅行するの?」

「あ。別にいいのよ。素直に自分が間違っていましたって認めて、これは葛餅じゃないって認めるなら」


 そこまで言われては僕も黙っていられない。江戸っ子として受けて立つことにした。

「これを超えるものはないと思うよ。いいよ。その勝負受けて立つ」


 ***


 東京生まれの東京育ちの僕が就職した会社の先輩であるマチルダさんと付き合いだしてからしばらくしての頃のことだった。何かのきっかけで奈良には何もないと言ったらマチルダさんが猛然と反論してきた。生まれが奈良だということを知らなかったが故の発言で、そりゃ見事なブロンドの持ち主が奈良県立病院で生まれたとは普通思わないじゃん?


「そりゃ、奈良にだって色々あるのかもしれないけど、全国的な認知度があるものと言ったら大仏と法隆寺ぐらいだと思う。イメージキャラクターも尖がり過ぎてるし、定番のお土産もない。なんか、全般的に地味だよねえ」

 今ではその発言は良くなかったと反省している。


 このセリフのおかげでその日の翌日は全身からミミズ腫れの跡が引かなくなった。ちょっと力が入り過ぎちゃったらしい。泣きながら謝ったボンデージ姿のマチルダさんが、秘伝のガマの油の軟膏を塗ってくれたのですぐに治ったけれど、その時はまた病院に逆戻りするかと思ったものだ。


 僕の勤め先は由緒正しい悪の秘密結社である。お陰でしょっちょう入院していた。お給料は未経験者の僕に月35万円も出してくれるし、住まいも会社持ちで待遇はいい。まあ、今ではマチルダさんと一緒に住んでいるので元の家は倉庫になっている。元々つましい生活を送っていたので、結構な貯金もできた。


 ちなみにマチルダさんは僕の勤めている会社のエンジニアで、僕なんかよりずっと高給取りだ。なので、最初は僕が旅行代を出そうとしたのだけれど、押し切られてしまう。

「これはジョージの誤りを正すための旅行さかい、うちが出すのが筋ってもんや」


 ***


 新幹線で京都まで行き、私鉄に乗り換えて奈良に到着した。レンタサイクルを借りてまぶしい新緑の中を走る。あまり人通りのない山道を走ること約20分。木漏れ日の中のサイクリングはなかなかに気持ちのいいものだった。しかし、こんな道にわざわざ4時間もかけて訪ねてくる価値のある店があるとも思えない。


「ねえ。仕事を休んできたのはいいんだけどさ。総統はあまりいい顔してなかったじゃない。そうまでして来るだけのものが本当にあるんだよね?」

「問題ないわ。休暇は労働者の権利よ」

「いや、まあ、そうなんだけど」


「私が本気になれば次のメカなんて1週間で完成するもの」

「って、2週間前も言ってなかったっけ?」

「そ、それは美味しいものを食べてないのがいけないのよ。今、それを摂取しに向かってるのだから合理的な行動といえるわ」


 二人並んで自転車を漕ぐ。運動不足な僕は坂道でへばってしまった。4月も初旬だというのに気温は高め。ぽかぽか陽気といえば聞こえがいいが、全身から湯気が出そうだった。何の鳥だか知らないがピロピュルと鳴きながら、僕たちに驚いたのか林の奥に消えていく。もう無理、そう思ったところでマチルダさんが声を弾ませて到着を告げた。


 山道の途中にあったその茅葺のごく普通のたたずまいの家は特に感慨を呼び起こすものではない。赤い幟に「ご休憩所」の文字が翻っていなかったら気づかないで通り過ぎるかもしれなかった。車数台分の駐車スペースの奥のガラス戸は向こう側が暗いので中が良く見えない。


 マチルダさんは邪魔にならないように端の方に自転車を止める。

「レッツゴー」

 僕と腕を組んで進みでると元気よくガラス戸を引き開けた。

「こんにちは~」


「はい。いらっしゃい」

 姉さんかぶりをしたおばさんがやってくる。店の中には先客が一組だけ。あまり流行っているようには見えない。おばさんは外の明るさに目を細めていたが相好を崩す。

「あら、久しぶり」

「ご無沙汰してます」


 挨拶を始めた二人から少し距離を取ると僕は店の中を見回す。古ぼけた写真が壁際にかけてあったり、大きな焼き物が飾ったりしてある。掃除が行き届いていないわけではないが、侘しい感じはぬぐえなかった。


「ジョージ。こっちこっち」

 マチルダさんの声がする方を見ると入り口と反対側にあるガラス戸のところから僕を呼んでいた。店を通り抜けて近づくとそちら側には露台があってテーブルと長椅子が何脚か置いてある。こちらには2・3組の客がいた。


 ちょうどがけ地に立っているらしく、露台からの眺めは悪くない。春霞がたなびく中、五重の塔が霞んで見えた。うららかな景色の中でゆったりと時が流れていく。そよ風がそっと吹き、自転車で火照った体を冷ましてくれた。


「いいお店でしょ?」

「まあ、景色はね。でも、肝心の味は食べてみないことには……」

「すぐに分かるわよ。謝罪の言葉の準備をしておくことね」

 マチルダさんは胸を張った。そうじゃなくても服で包み切れていないのにはちきれそうだ。


「お待ちどうさま」

 おばさんが手に直径15センチほどのお皿を2つ持ってやってきた。その上にはプルプルとしたものが山盛りになっている。僕の知っているくず餅よりも透明でより弾力がありそうな感じであった。


 添えられていた匙ですくおうとするがつるりと逃げてうまくできない。ようやく乗せて口に運ぶ。はむ。口の中で黒蜜の甘さとほんのごくわずかな苦みが交じり合った。つるりとしたのど越しも心地よい。気が付けば匙を持つ手が止められなくなっていた。


 小山のような葛餅は僕のお腹の中にあっという間に消える。向かい側の席からマチルダさんが微笑みかけてきた。その前の皿も当然きれいになくなっている。結構な量を食べたはずなのに、どこに収まったのか不思議でならなかった。


「私はお替りするけどどうする?」

 マチルダさんがおばさんに手を振って合図をした。うぐ。ここで、お替りをしたら負けを認めることになってしまう。しかし、これを一皿しか食べないのは名残惜しすぎる。どうする僕? 食うべきか食わざるべきか、それが問題だ。


 おばさんがそばに来た。

「どうなさいます?」

 マチルダさんが小首をかしげる。余裕を見せるその顔を眺める僕の鼻先をそよ風が撫でていった。

 


 


 

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