セーラー服と嘘
六畳一間
エイプリルフール
「私、結婚します」
左手の甲をこちらに向けてくる。薬指には銀色の線が夕陽に反射してキラリと光る。
「なんだエイプリルフールか」
エイプリルフールぐらいいいよねって腹痛の嘘で部活をサボり、塾は部活で遅れると嘘まみれのままファミレスでダラダラしている最中。
本日は毎度お馴染み、毎月一回のサボりデー。私達は大いに自分に甘く、すぐに褒美を与える。
「早いよ。少しはノってよ」
「そっか。結婚おめでと〜!!!どこの馬の骨と結婚するの?うちの娘はやらん!」
「情緒。情緒もポジションもとっ散らかってるって」
やる気のない拍手を送ると拍手の間にチョップを繰り出すものだからこちとら不本意な白羽取りをした。
チョップした拍子に月島の薬指からガムの銀紙がヒラヒラと落ちていく。
「難しいな。そもそもまだ結婚出来る年齢じゃないね」
「七月になれば私だって結婚出来るし…」
白羽取りしたままだった手のひらをマッサージしてみる。これはピアノの先生から教えて貰ったやつ。指を絡めて親指と小指の付け根の辺りをリズミカルに押すと無言になった。
いつものマシンガンよりも早いトークはどうしたのだろう。目線だけを上げると何も考えてなさそうな真顔で手のひらを眺めている。気持ちいいのかな?
「そういえばエイプリルフールに結婚しますって嘘つくと婚期が遅れるんだって」
「えっそれはダメ」
マッサージを続ける手のひらに視線を戻していても素早い動きで頭を上げたのが分かった。
「いや、嘘だけど」
「嘘かーい」
月島は揉まれていた手を引き剥がしてツッコミをいれると背もたれに背中を預けて下へ沈んでいく。それは腰が痛くなる姿勢だぞ月島クン。
揉んでいた手がなくなると手持ち無沙汰になってホウレンソウとベーコンのバター炒めをフォークでつつく。
「結婚したいんだ」
「まぁ…そりゃね」
ベーコン食べたいな…ベーコンを食べすぎると月島に怒られる。バランスが大事なのだそうだ。
ホウレンソウでベーコンを巻いて隠して食べてみる。ヨシ、バレてない。ベーコンのホウレンソウ巻き作戦成功。
「誰と?」
「いや別に…具体的な事はないけどさ」
先ほどよりも沈んだ体勢でドリンクバーのグラスに手を伸ばすが届かず、何も掴めなかった手はテーブルに不時着した。
仕方ないので少しだけそちらにグラスを押し出すと今度はちゃんとグラスを掴んだ。
「蔵前はどうなの?結婚したい?」
「んーどうかな?この人だーって人がいたらかな」
「なんじゃその受け身っぷりは」
「やっぱ運命ってあるじゃん」
「蔵前から運命って言葉が出るとは」
「失礼だな」
分かりやすく運命と言ったけれど巡り合わせという言葉の方が好きだ。月島も巡り合わせで出会ったようなものだ。
たまたま同じクラスでたまたま隣の席だった月島が私の鞄に牛乳を溢さなければここまで仲良くならなかったと思う。
「暇だーゲームしよ」
「今日何も持ってきてないよ?」
私もソファの背もたれに背を預けると月島の目から上しか見えなくなる。こんなキャラクターがいた気がするな。
「現代っ子め…たまには画面を見ないゲームもいいじゃない」
「なにがある?しりとり?」
そこしか見えない目が笑っている。何やら楽しげだがその目は私にとってはイヤな予感だ。
イヤな予感が起き上がって楽しそうに説明を始めた。
「真実と挑戦ってゲーム」
「あぁ…洋画で見たことある。ルール分かるの?」
「とりあえずジャンケンでもなんでも勝ち負けを決める。えーっとそれから…」
月島の非常に曖昧で途切れ途切れな説明によると、勝った人が真実か挑戦かと聞く。負けた方はどちらかを選ぶ。
そして、真実はどんな質問にも素直に答えなければいけない。挑戦は歌ったり踊ったり、やれと言われたことをやらなければいけない。
「…って感じ」
「ありがとう蔵前!」
結局私がスマホで調べた。一番重要な部分が曖昧なんだもの。
「歌ったり踊ったりはここじゃ難しいな」
「挑戦は座ったまま出来るものにしよ」
「はいよ。でもなんでエイプリルフールに真実のゲーム?」
「あえてさ!嘘ついても良い日にあえて嘘をつかない!それもまたわびさび!」
「わびさび…」
使いどころはあっているのか。勝っても負けても難しそうなゲームに気乗りはしないがやってみるだけやってみよう。
「いくぞージャーンケーン」
「ホイ」
私の勝ち。
「真実か挑戦か」
「真実!」
勝った事に安堵したが何を聞くか考えていなかった。普段聞けない事を聞けばいいのだろうけど何かあったかな…?
「今日の下着の色」
「今日は水色!はいジャーンケーン」
セーラー服の胸元を覗き込んで確認すると照れも隠れもせずアッサリと次のゲームへと進む。これ、楽しい?
「私の勝ちだ!真実か挑戦か!?」
「うーん、真実」
「蔵前は一年の頃に山田君に告白されていたようですが、実はしばらく付き合っていた?」
「いや、付き合ってないよ」
そもそも告白された記憶もない。
「えーホントー?たまに一緒に帰ってたじゃん」
「あぁ、その時は塾が一緒だったから」
月島が同じ塾に入ってきたのは二年からだから知らなかったのか。ちょうど山田君もレベルの高い塾に変更した時期だったな。
「ふーん…まぁいいか。ジャーンケーン」
「ホイ」
また負けた。
「真実か挑戦か!?」
挑戦したくないが真実もな…とりあえずどんなものが来るのか挑戦してみるか。
「じゃあ挑戦」
「よし、しばし待て」
月島は私のグラスを持つとドリンクバーの方へと軽い足取りで向かった。
どうせ適度な飲み物を混ぜてくるんだろうな。楽しそうでなによりです。
「ヘイお待ち」
「なにこれ?」
「飲んでお楽しみ」
混ざりきっていない黒と緑が危険を知らせてくる、虫みたいな色だ。炭酸が入ってるようでフツフツと気泡が昇っている。
「あ、美味しい」
「でっしょ〜!コーラとメロンソーダって意外と合うんだよね」
「え、挑戦ってこれ?」
「あっ…まぁよし、次いくよ!」
結局、私の挑戦は月島が飲み物を取ってきてくれただけだった。月島のアホの子の部分が出た。アホの子が八割を占めていると思っているが。
「ジャンケーン、ホイ」
私の勝ち。
「真実か挑戦か」
「真実!」
「うーん…そういえば月島好きな人いるって言ってなかった?誰?」
「やっぱ挑戦で!」
途中で変えるのもありなのか。月島は焦った表情で急にソワソワしだした。そんなに言いたくない事なのか、好きな人はもう誰かと付き合ってるとか…?まぁ今となっては些細なことでもあるのかもしれないな。
「じゃあ…寿限無で一席お願いします」
「おっそれが来るとは」
焦りの表情から楽しげな表情にコロッと変わり、すぐさま靴を脱いでソファに正座した。スカートの裾を膝に仕舞い込むようにポジションを正して、一度目を瞑った。
「えー子供さんが産まれると昔はお寺のお坊さんや物知りのご隠居さんに名付け親になってもらうなんてことがあったんです」
割り箸と紙ナプキンを扇子と手拭いのように巧みに使って表情豊かに演じていく。怪訝な顔をするシーンでも心のうちは楽しげなのが伝わる。
「なんだい、随分長い名前だねぇ。えぇと、寿限無寿限無五劫の擦り切れ…」
最初で最後に見たのは確か二年の文化祭の時。生真面目な担任やら無責任なクラスメイトやらが色々あって結局全く関係のない月島がクラス発表を押し付けられた。
「海の砂利とか水とか魚なんてのは取っても取り尽くせないぐらい数が知れないというので海砂利水魚、これもめでたいが…」
本番直前まで『なんとかなるよ〜』としか言わず、何をやるのかは言わない月島にクラス一同は不安と諦めを抱えていたが月島はやる時はやる女だった。
装備は簡素な着物と座布団一枚。それに扇子と手拭い。たったそれだけで月島は体育館に詰め込まれた何百人の観客の心を一人で奪っていった。
「その名前のおかげでしょうか、すくすく育つと大きくなってガキ大将。近所の子供と喧嘩して…」
話しながらセーラー服のスカーフを取った。
「おばちゃ〜ん、おばちゃんとこの寿限無寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の…」
近所の子供、母親、父親の表情へとコロコロと変えていき、繰り返すごとに早口になっていく。
また月島の寿限無を見れた事に関しては真実と挑戦ゲームも悪くないな。
「あんまり名前が長いからコブが引っ込んじゃった」
テーブルに手をついてお辞儀をして終わると無意識のうちに拍手をしていた。
月島は正座を崩して再びソファに背を預けると私のコーラメロンソーダを勝手に飲む。
「おみごと。なんでそんなに上手いの?」
「それは次の真実でお答えしようじゃないか。ジャンケンー」
今度も私の勝ち。
「んで、なんで上手いの?」
「真実か挑戦か聞かないんかい!まぁいいか。爺ちゃんが弁士だったの」
「弁士?」
「活動弁士。無声映画の隣に立って話す人だよ」
「あぁ、すごい。けどそれって結構昔じゃない?」
「そう。若い頃やってて、その後も語り部とか声の仕事をやってたから小さい頃から色々教えてもらってた」
「へぇ〜すごいな」
しばらく一緒にいたのに知らなかった。たかだか高校の数年でお互いのことを知るには時間が足りない。
「よし次!私の勝ち!真実か挑戦か!」
「真実」
私の一言を聞くと月島は背もたれから背中を離してテーブルに手を乗せ拳を軽く握る。
すぅ、と息を吸った。
「二年の夏合宿の時、寝る前に言ってたことってホント?」
「え?…ごめん全く覚えてない」
ッハァーと息を吐き出すと再び背もたれに寄りかかる。
「え?なに?私何か言ってた?」
「いや、うん。これはいいや。ッシャァ次ィ!」
すぐに背もたれから離れて背中をビシッと真っ直ぐ伸ばした。気になりすぎる。次の真実で聞くか──。
──ポヨン
「あ、もう時間だ」
「あーお終いか」
母親から『ご飯』とメッセージが来て、ゲームの終了を知らせる。コートと鞄を持って立ち上がると月島が先に歩き出す。
「蔵前、今日は私が払おうじゃないか」
颯爽と伝票を指の間で挟むと顔の横で決めポーズをする。ツカツカとレジの方へと歩いていく。
「月島、スカーフ忘れてるぞ」
「あっやだ、カッコ悪い」
ファミレスから出るとまだまだ寒い四月の風にセーラー服のスカートが煽られる。
「はー楽しかった」
「ねぇ、知らない人達に嘘つくのって意味あったの?」
ゆっくりと歩いていく。駅まで数分。反対の電車だから月島とは駅でお別れだ。
「だってさー蔵前に嘘ついてもすぐバレるじゃん」
「月島の嘘が下手なだけでは…?」
少し先を歩いていた月島はくるりと身を翻してこちらを見る。器用に後ろ歩きで道を進む。
「いやいや、いつものおばちゃんいたじゃん?」
「あぁ、あの店員さん」
向かい側から人が歩いて来た。月島の腕を掴んで左へと避けさせる。フラフラとしていて危なっかしい。
「あのおばちゃん、あんたら四年目…?みたいな顔してたから騙せたと思うよ」
「顔覚えられたのか」
「三年も通えばね」
「嘘ついてサボりまくった三年間だったなー」
空を仰ぐと駅へと続く複雑に混じり合う歩道橋が目に入る。もうこんなところまで来てしまった。
「その割に成績良かったの腹立つな」
「勉強は要領なのだよ」
フッフッフッと人差し指を立てて笑うとその指を掴まれて引っこ抜かれそうになる。
「腹立つな〜こんな指はもいじゃう」
「いてて」
歩道橋の下まで来ると途中でどちらともなく歩みが止まった。話しながら近くのガードレールに背中を向けて立ち止まる。
「あーあ、もう終わりかぁ」
「もうこれもただのコスプレだよ」
セーラー服のスカーフを摘んでヒラヒラとさせてみる。月島の方を見るとさっき適当に差し込んだだけのスカーフがブサイクだ。直してやろう。
「一日で変化する服装の意味…これは哲学だ…」
「それはどうだろうな…」
スカーフを直し終わると同時に沈黙が生まれる。もっと一緒にいたいのに、もっと話したいのに言葉が出てこない。
「明日にはもう行っちゃうの?」
「うん。始業式は来週だし」
月島は近くにあった自販機でココアを買った。『何か飲む?』と聞いてくるので同じものを頼むとココアを渡してくれてガードレールに座った。
「いいな一人暮らし」
「炊事洗濯家事ぜーんぶ自分でやらないとだよ?」
「それは自信ないな…」
「甘えられる時に甘えておけばいいよ」
最後の時間を続けたい。このココアがなくなったら、きっと本当の終わりが来る。
「ねぇ、最後にもう一回さっきのゲームしよ」
「うん?いいよ」
ココアの缶をマイクのように私に差し出して最後の質問をする。
「じゃあ蔵前クン!真実か挑戦か!」
「真実」
「私と付き合える?」
ココアのマイクも下ろして落語家の時の表情は何処か、月島の表情で聞いてくる。
落語をしている月島に惹かれたのかと思っていたけれど、違ったようだ。
「…うん。月島クン、真実か挑戦か」
「挑戦!」
「じゃあキスして」
「蔵前はアナーキストだなぁ。キスだけに」
落語は上手いのにダジャレは下手だな…とりあえず今は、いろんな意味でおあとがよろしいようで。
セーラー服と嘘 六畳一間 @rokujyo_hitoma
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