第32話『1日の終わり』

 



「ふぅ……少し長くはなったが、何とか終えられたな」


 アイリスとの会話を終えた後、ウィリアムは受付を後にしてある場所にへとゆっくり歩いて向かっていた。


「しかし、まぁ……思っていたよりも得られるものは得られた訳だが―――果たしてこれの価値を彼女は分かっているだろうか……多分、分からない気がするが」


 歩きながらもウィリアムは手に持った布袋を見つつそう呟く。そうして歩いていった先、そこは冒険者ギルドの敷地内にある訓練場であった。


 普段はここで新人ベテランを問わず、多くの冒険者達が訓練を積んで冒険に備える場所ではある―――が、それは昼間においての話である。


 現在の時間帯としては夕方―――というよりも既に夜に近かった。数多いるはずの冒険者達の姿はあらず、街の喧騒とは打って変わって訓練場は静寂で包まれていた。


 しかし、そんな無人であるはずのこの訓練場にウィリアムよりも先に身を置いている者がいた。


「あっ、ウィリアムさん。終わりましたか?」


 そう、それはイヴであった。彼女は門を抜けて冒険者ギルドの建物にへと辿り着いた後、ウィリアムから受付には同行はせずに訓練場で待っている様に指示を受けていた。


「あぁ、報告はもう済んだ。そっちは……いや、聞くまでも無いか。見れば分かるな」


「はい。こっちも少し前に終えたところです。ちょっと予定よりも時間が掛かってしまいましたが……けど、何とかなりました」


 イヴはそう言うと、誇らしげな感じにウィリアムにへと自分の成し遂げた成果を見せた。彼女の直ぐ傍には装甲熊の死骸―――今は解体をされて肉や皮、骨となったものが置かれていた。


 ウィリアムがアイリスにへと報告を済ませている間に、イヴは装甲熊の解体作業を全て終わらせていたのであった。イヴは時間が掛かったと言ってはいるが、ウィリアムからすれば早過ぎると思うぐらいの感覚だった。


 また、少しだけ離れた別の場所では猪の死骸も解体され、装甲熊と同じ状態となっている。そうした解体作業をしていたせいか、イヴの周辺や彼女の手や腕、衣類は獣達の血で赤く染まっていた。しかも顔を拭った時に付着してしまったのか、イヴの頬にも血が付いていた。


 事情を知っているウィリアムをしてでもちょっとした猟奇的な光景でもあり、何も知らない他人がここに足を運べば、何があったのかと驚愕するだろう。場合によっては卒倒してしまう可能性だってある。


「でも、装甲熊って凄いですね。やっぱり体格が大きいだけはあって、かなりの捌き応えでした。今までに何度か熊は捌いてはきてますけど、今回ばかりは手こずりました」


「そ、そうなのか……」


「はい。普通の熊と違って身も少し固めな感じでしたから、ナイフを刺そうとしても刺さりにくかったですし、それに刺さったとしても思う様に切り進めていけなくて大変でした」


「いや、それにしたって……この短い時間でよくもまあここまで捌き切ったというか……そもそも、訓練場で解体作業をしたという事がそもそも前代未聞というか……」


 後頭部を掻きながらそう言うウィリアムではあったが、この訓練場で解体作業をする様に指示をしたのも、他でもないウィリアム自身である。そしてその許可もアイリスからしっかりと得てもいる。


 本来であればそうした行動が常識外れだという事は重々承知ではある。しかし、ウィリアムがそうした措置を取らなければ、イヴは街中の大通りで解体作業を始めようとしていたものだから。それを防ぐ為にウィリアムはそう動いたのだった。


「しかし、この量……どうやって処理するつもりなんだ? 君は食べると言ってはいたが、とてもじゃないが一人では食べきれない量だと思うが……」


「……? これぐらいでしたら、私でも何とか食べ切れるはずですけど……」


「―――冗談だよな? 男の俺でもこの量を一気には厳しいと思うが……」


「あっ、いえ。流石に一度に全部は食べませんよ。しっかりと後の事を考えて、処理をした後に乾燥させたり煙で燻したりして保存食にしてから食べます」


 ―――あぁ、なるほど。それならこの量でも食べ切れるって訳か。


 そうした処理を済ませれば長期間の保存がきく。ギルドの依頼をこなす際に遠出をする時には保存食は欠かせないものでもある。


「けど、そうするのはいいとして、保存食にするなら処理にかなり時間と手間が掛かるんじゃないか? 今からだと時間も限られてくると思うが、一体どれだけの量を処理するつもりなんだ?」


「それはもう、全部です」


「は?」


「だから、全部です。猪の肉も装甲熊の肉も、今日は食べないで全て保存食にするつもりです」


「す、全てって……この量を、全部……?」


 ウィリアムはそう言いつつも横目で解体された肉を見る。猪と装甲熊を合わせても量としては数百キロはくだらないだろう。


 それだけの量を処理をし、更に保存加工までするとなると作業時間は途轍もなく掛かる事が専門家では無くとも容易に予測が出来る。


「いやいや、寝ずに作業をしたとしても、この量は終わらなくはないか……?」


「えっ? そうですか? これぐらいでしたら明日の朝までには終わるとは思いますよ」


「朝、まで……?」


「はい。頑張って、美味しく食べられる様に仕上げていきます。何しろこれは、今後の生命線でもありますから」


 正気かと疑う様な眼差しでウィリアムはイヴを見るが、その表情は嘘を言っている様には思えない。イヴは本気でそうと言っているのだった。


「それに前はこれよりもっと多い量を保存食にした事もありますから、これぐらいでしたら何とかなります」


「けど、朝までって事は……寝ずに作業をするつもりなのか? そんな事をして体力が持つのか……?」


 住み慣れた土地からこの街に初めてやって来て、それでいて更に依頼もこなして現在に至っているのだから、流石に疲労もしているはずだ。


 ウィリアムはそうした事も気遣ってイヴにへとそう尋ねた。しかし、返ってきた言葉といえば―――


「気遣ってくれてありがとうございます。でも、大丈夫です。数日でしたら眠らなくても動けますから、一日ぐらいは問題ありません」


 さも、それが当然の様にイヴはそう返答をしてきた。虚勢や意地でそう言っているのではなく、余裕そうに彼女はそう語っていたのだ。


 本人が大丈夫だと言ってしまっている以上、こうなってしまってはウィリアムも掛ける言葉が無かった。

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